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短編小説:月城さんの誕生日_2022.01.01


上条春樹

 静香さんの誕生日の夜、平日だったのでどうしても仕事を抜けられなかった。だから、外でご飯を食べようとかそういうことはできなかった。それは週末にしようと約束してあって、でも、せめてと家の近くの花屋で花束を注文してました。仕事帰りに受け取って、家まで歩いた。

 エントランスを抜けてエレベーターで上がる。ドアを開けた。

「おかえりー!」

パンパン

 クラッカーの音がして、紙切れが顔にかかる。ご機嫌な紙切れが引っかかって視界を遮られているが、声を聞いてわからないわけはなく、大体こんなアホなことをやる奴は身の回りに一人しかいない。

「普通、そういうものを、あからさまに顔に向けて発射しないだろ」
「や!お兄ちゃん何?花なんて抱えちゃって」
「……」
「身内が言うのもなんだけど、絵になるね。周りの女の人にキャーキャー言われなかった?」
「……」
「ね、静香さん、見て見て、花抱えてるよ」

暎万えまは居間の方から静香さんを引っ張ってくる。

「そんなに騒がなくても、暎万ちゃん」
「だって、お兄ちゃんが花抱えてるの初めて見た」
「え、そうなの?」
「そうなのってことは、今までも花抱えて帰ってきたことあるの?」
「たまーに」
「え、そうなの?うそ!やだ!似合わない」

 暎万が大爆笑している。その横でひろ君が若干青い顔をしている。

「そこまで笑うことないだろ、暎万。似合わなくないじゃん」
「でも、あの、お兄ちゃんが、女に貢がれることはあっても、貢ぐことのなかったあのお兄ちゃんが、イタタタタ……」
「それ以上余計なこと言ったら、お嫁にいけないぐらい顔を変形させてやるぞ」

 ほっぺをこれでもかとつねってやった。

 やめてやめてと自分の彼女と妹の彼氏君に本気で止められた。嫁にいけないくらい顔を変形させるのを諦めて、奥の部屋でスーツから部屋着に着替える。

「もぉ、まだじんじんするんだけど」

 買ってきた花の包装をほどいて静香さんと一緒に花瓶にああでもないこうでもないと刺しながら、暎万がぶつぶつ言ってくる。

「お前さ、こう、ゲリラ軍の待ち伏せみたいにうちに潜伏するのはいい加減にやめろ」
「お兄ちゃんが嫌がる顔を見られるのが、面白過ぎてやめられない」

 相変わらずひねくれたやつだ。

「ケーキはお兄ちゃんが帰ってくるまでって待ってたんだよ」
「ケーキ?」
「ひろ君が作ったんだよ〜」

 暎万がぴゅっと冷蔵庫まですっ飛んでいくと箱を抱えて戻ってきてパカりと蓋を取った。小さめのホールのケーキが見えた。ラズベリーのような赤が天辺、横から見ると上が淡いピンクのムース、下がチョコレートのスポンジ、間にクリームが挟まっている。綺麗なケーキだった。お店に並んでいるような。しかし……

「甘そうだな」
「いや、意外と大人味なんだって。ん、それ、何?」

 シャンパンを一本買ってきてた。テーブルの上に置いていた。

「開けよ。開けよ」
「お前の顔に向けて開けてやる」

 まだ、さっきの余計な発言に対する怒りがおさまらない。瓶を取り上げると暎万の方へ向けた。

「何?その小学生発言」
 
 余裕な顔でニヤリと返してくる妹。まさかそんなことしやしないとたかを括ってやがる。

「大丈夫、死にやしない」
「や、本気?やめてやめて」

 目に当ててはやばいよな。狙いを定めて……、ふと横を見ると静香さんがじっと俺を見てる。何も言わずにじっと見てる。

 ……

 やっぱり流石に小学生のようだったかもしれない。妹への嫌がらせは諦めて大人しく天井に向けて開けました。

「うちはシャンパン用のグラスは二つしかないから。お前らはコップな」
「なんだよ。お客様用のも用意しときなよ。ケチ」
「いちいち一言二言多い奴だな。そんなことやってると、彼氏に愛想つかされるぞ」
「その言葉、そっくりそのままお返しするわ」
「ほんと暎万ちゃんと春樹君って仲良いね。ね、ひろ君」
「はぁ」

 なぜかこの様子を見てそんな発言をする静香さん。適当に受け答えする彼氏。

 グラスとコップにシャンパンを注ぎ、テーブルの上には俺が買ってきた花を飾り、暎万の彼氏君のケーキに蝋燭を刺す。彼女の年だけ刺すことはもちろんしない。

「バースディソング歌うか」
「え、やだ、なんか恥ずかしいよ」

 ここまでくると突然静香さんが照れだした。

「え、いいじゃん。いいじゃん」

 暎万が押し切る。蝋燭に火をつけた後に部屋の電気を消した。
 ケーキの前に座った静香さんが照れ臭そうに笑ってる。3人にバースディソングを歌われて、蝋燭の揺れる炎に照らされながら笑ってる。こんな暗くてもちゃんと撮れるのかなと思いながら、スマホでこっそりその顔を盗撮してました。歌い終わった後に蝋燭の炎を吹き消すところまで。

「さ、食べよー、食べよー」

 暎万が張り切ってキッチンからナイフを持ってくる。

「俺がやる」

 ひろ君に取り上げられた。さすがプロ、手際よく切り分けてお皿に取り分ける。

「え、こんな味なの?」

 見た目ほど甘くなかった。食べて驚いた。

「それになんかいろんな味がする」
「でしょー」

 なぜか暎万が両手を腰に当てて威張っている。

「もっと見た目からして甘いのかと思ってた」
「今日は大人しかいないんでこんな味にしました」
「へー」

 感心した。

「よくわかんないけど、そこら辺のケーキ屋のケーキとは違うな」
「美味しいね。ありがとうひろ君」

 静香さんが言う。最初に甘酸っぱくて、後にカカオの苦味と生地からお酒の香りがする。暎万みたいに上手く言えないけど味が次から次へと駆け抜けてく感じなのだ。

「これって、生地も二層に分かれてるし、一番上にも別の味のソースみたいなのかかってるし、めんどくさくないの?」

 正直な感想を言ってみた。ひろ君は笑った。

「いや、手間暇かけるからちょっと値段張っても買ってもらえるんで」
「ふうん」
「慣れれば、そんなに難しくないんですよ。ただ、味のバランスが難しいですね」
「バランス?」
「季節によっても美味しいと思われる味は違うし、時代によっても変わってくるし、お客さんの年代によっても違う。何が正解なのかわからない中での試行錯誤です。あ、でも……」
「でも?」
「この味は、暎万の好みです」
「へ?」

 横でフォーク口に突っ込んだままの妹を見る。

「この人、そりゃ、もうあっちこっちのケーキ食べ歩いて比べてるんで、侮れないです」
「へー」

 相変わらずフォーク口に突っ込んだままボケッとしてる。

「お前、褒められてるんだからなんかリアクションしろよ」
「……もう一切れ食べたい」
「食うな!」

 そのやりとりを見ながら静香さんがくすくすと笑う。

「こんな賑やかな誕生日、初めてかも」
「え?」
「誕生日ってさ、結構、いやーな日だったんだよ。子供の頃」

 明るい声で静香さんが突然そんなことを言い出したのを聞いて、残りの3人は何も言えなかった。

「父親が帰ってこなかったからなぁ。でも、必ずお母さん、ケーキはお父さんが帰ってきてからねって言うのよ。だから、その日のうちに食べられたことがなかったの」

 毎日一緒に暮らしている僕自身が初耳の話だった。そして、そんな辛い誕生日を送ったことのない残りの3人はやっぱり何も言えませんでした。

「うーんと昔はね、いたの。お父さん。でも、お父さんはいたけど、こんな丸い立派なケーキは買えなかったんだ。お母さんが三角のケーキ三つ買ってきてさ。だけど、それでも楽しかったな」
「そっか」
「うん」

 暎万とひろ君は事情がわからないから尚更ぽかんとしている。

「暎万ちゃんにはまだ紹介してなかったよね」

 静香さんはつと立つと、壁際の本棚から一冊のハードカバーの本を取り上げる。それは、俺がご本人に会う前にできるだけ読もうと思って揃えた静香さんのお父さんの書いた本のうちの一冊でした。

「これ、うちの父親」

 裏表紙を開いて著者近影の写真を見せる。

「え、この人……」

 ひろ君と暎万が揃ってその写真を覗き込み、固まる。

「テレビに出てる……」
「最近は出てないけどね」
「嘘!静香さんってそんな有名人の娘さんだったの?」
 
 暎万がのけぞる。ひろ君は静香さんの手の中の写真と静香さんを交互に見比べる。

「残念ながら」
「ざ、残念ながら?」

 妙なコメントに聞き返す暎万に対して、静香さんは苦笑した。寂しい笑顔でした。

「お兄ちゃん、知ってたの?」
「そりゃ知ってるよ。ちらっとだけお会いしたこともあるし」
「え?テレビに出てるような人と会ったの?お兄ちゃん」
「まあな」

 興奮している暎万の横で静香さんは淡々としていた。そして、もう一度テーブルの上を見て、こう言った。

「ひろ君、ケーキ、ありがとう」
「え、あ、はい」
「誕生日ってやだなって思い出を少し、なんか塗り替えられた気がする」
「……」
「ケーキってさ」

 ダイニングテーブルの椅子に座って、頬杖をついて、ツヤツヤキラキラと光る残ったケーキを見ながら静香さんがとつとつと言葉を紡ぐ。

「ご飯じゃないからさ、食べないでも生きていけるじゃない」
「はい」
「でもね、人生には必要だと思うの。こういうものが」
「……はい」
「特別な日に食べる、特別に綺麗で美味しいケーキ。夢を見せてくれるよね。あー、美味しいな綺麗だな、生きててよかったなって思って、そして、きっと続けて生きていけばまた今日みたいにこんなキラキラ輝く素敵な想いをできるって元気になれるの。ケーキってきっと、人にそんな力を与えてくれるものなんだよ」

 そう言って、顔いっぱいの笑顔で彼女は笑った。

「きっと人を元気にしてくれるものなんだよ。だから、頑張ってね。ひろ君」
「はい」

 その顔を見ていると切なくて、僕は座っている彼女の後ろに立って彼女の両肩に手を置きました。

「静香さん」
「ん?」
「誕生日おめでとう」
「ありがとう。春樹君」

 これからもきっと毎年、僕は忙しい。忙しいけれどできるだけ、この人のところに戻ってこようと思いました。彼女の思い出を塗り替えるために。


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