中国で入院してみた
病院周りの経験は、或いは皆さんの参考になるかもと思いここに認めることとした。本日の記事に関してはそれが起こっている地域と年代に留意してお読みいただけるとありがたい。なぜかといえば、中国というのは大きいので一つのことをとってみても地域によって様々なのです。また、象が全速力で走っていると形容されるような国、変化が激しく10年前と今では違うということもある。だから、その地域性と時間軸を強調しつつ病院周りについて語りましょう。
結論から言うと、中国には日本でいうような看護師さんがいませんので、入院するときは家族が泊まり込み、世話をする必要があります。そして、その二、付け届けが必要です。
付け届けって何かわかります?
この話については10年前くらいのイメージで聴いていただきたい。それと、私は中国の南におります。北と南は違いますので全国そうなんだと思わないでいただきたい。
とある知人の話です。奥さんが病院で赤ちゃんを産みました。ご主人が廊下にいると、
「ほれ」
生まれたばかりの赤ちゃんを看護師さんにパスされた。(体は洗われとりあえずの処置は終わっている)
「え、これ、え……」
初めての子供をいきなり渡されても困ります。
「どうすればいいんですかぁ?」
「水でも飲ましとケェ」
あらかじめお世話になる看護師さんに付け届けを渡しておかないと、ここまでのサービスらしい。冗談のような本当の話だ。
そして、我が家の舅が胃がんになったとき、約10年ほど前の話。深圳は若者の街。こういう街のお医者さんは老人が少ない街なので、施術経験に乏しいらしい。少しでも経験のあるお医者さんに切ってもらいたいと広州へ知人の伝手を頼って名医を訪ねる。
入院する前に、高いタバコとかお酒とか、贈り物を準備するためにバタバタしている主人の様子が印象的だった。それだけでは足りなくて、大切なのは有力な伝手です。故郷の伝手を辿って名医に医者を紹介してもらう。
しかし、舅は癌を切除したも虚しく転移してしまい、最後の最後は故郷で迎えたいと深圳を離れてしまいました。主人の田舎は都会ではない。日本にあるような終末医療をしてくれる病院があるわけもなく、ここでまたあんぐりとあいた口が塞がらなかったのだけど……
親戚や古くからの友達の家から
「これつかって」
と渡されるものがある。それは腐らないもので、そして、それは以前その親戚の家でやはり癌で亡くなった人が出たときに使ったものの残りなんです。そして舅は別段自宅療養なんてものではなくて、だって、わざわざ自宅にお医者さんが定期的に来てくれるシステムなんてないんですから。末期癌ですよ?自宅で姑と義兄に囲まれながら、譲られたもので激痛を交わしながら亡くなった。
深圳を離れてわずか1ヶ月でした。
そして、そっからグッと時代が下って最近の話。昨年の12月。ゼロコロナの封じ込めが終わったばかりの深圳で、慢性の胆石を腹腔鏡で取り出すために深圳大学病院に入院しました。
中国って人が多いんだよな。胆石で私と同じ日に手術をする人が15人はいたんじゃないかしら?1人外国人で三人部屋に普通に入院したぜ。
ここでもあった。医者の争奪戦。何もせずに黙っていれば恩恵を受けられないのが中国。重要なのはコネとか付け届けとか、両方重要なのだ。しかし、たかが胆石だ。どうにかなるだろと思ってた。
ところがですな。この病棟の一番のエースのベテラン医師は、実は若い頃に日本にチラッと行ったことがあり、趣味で日本語を勉強してる日本贔屓な人だった。
「こんにちは」
「こんにちは」
「トーキョー」
「東京」
「ハハハハハ」
付け届けもコネもなかったが、お医者さんの気まぐれでエースに手術をしてもらうことになった。たかが胆石、されど胆石。
それからである、術前の説明が行われるから来いと言われ、のこのこ出ていった。みんないい歳の大人だったが、明日腹に穴あけられると思うと景気の悪い顔してたぜ。15人くらいが狭い部屋に所狭しと並ぶ。
そこにスパルタ看護師が来た。白衣の天使なんかでは決してない。軍隊の隊長のような看護師である。
「揃ってるかぁ?」
そんな知るか。
「なんだ、お前か?お前が日本人か?」
「はい」
「中国語はわかるのか?」
「一応わかります」
「そうか」
そして、看護師、もう一度全員を見渡す。
「揃ってるかぁ?」
だから、そんなん知るか。
「いいか、お前ら、明日腹を切ったらな、とりあえず6時間は絶対安静だ」
「……」
「だかな、その時もただ無闇にベッドで寝てるな」
何を言い出すんかいな。
「足を動かせ」
チーン
「腹はすぐには動かせないが、そろそろと足を動かせ、膝を立てて伸ばしてとな。それから」
「それから?」
「体の向きをゆっくり変えてどこまで動けるかやるんだ」
チーン
みんな思った。腹に穴開けたばかりなのに怖くて切ったばっかのとこ動かせるかよと。
「ゆっくり動かせば大丈夫だ。体を起こしてはならないけど、ちょっとずつ動かすんだ」
「……」
「そして、6時間経ったら」
「経ったら?」
「ゆっくりと上半身を起こせ!」
皆、その時、自分が、キョンシーになってしばし意識を失っていたのだけど、とうとうキョンシーとしての第二の人生を始めるぜとばかりにゆっくりむっくり起き上がるような場面を思い浮かべた。
「そして、今度はゆっくりと立ち上がれ」
「ええっ」
お腹に穴が空いてるのに?
「そして、自分でトイレに行けえ」
「えー」
「できないと思い込んでるからできないんだ。大丈夫だ。絶対安静は6時間だ」
この時、自分の頭の中には、ゴングがなった。
かーん!
そして、ファイティングソングが流れ出して。
テーレレー、テレレーレ、レー
やってやるぜ、やってやるぜ、うおおおおお!
そうか!入院って本当は熱い闘いなんだなっ!
シュッシュッ!
全然必要ないはずだが、術前の日にボクシングの素振りをしていた。
そしてである、麻酔をかけられスコンと落ち、意識が戻るともう自分の腹には三つ穴が空いていた。麻酔が効いているのでげき痛いなんてことはなく、しかし、一応絶対安静なので、ベッドに大人しく横になる。
天井を眺めながら、
北斗の拳とか、ドラゴンボールとか、キングダムとか、そういう主人公が血反吐を吐いて死にかける漫画を思い出しながら、せっかくなので自分もそういう負傷したキャラのつもりになってみた。滅多にないチャンスだからな。ああいう漫画では主人公は瀕死だったはずなのに、「あら、もう動けるの?」とかって超人的な回復力を見せつけるのがお約束だよなっと。
俺だってやってやるぜ、やってやるぜ!(←俺と言っていますが私は女です)
「何やってるの?」
「足動かしてるの」
「そんなんやって大丈夫なの?」
「大丈夫なんだって」
看護師は個別の世話はしてくれない。仕事を休んで付き添っている主人の横で言われた通りに健気に足を動かした。その後、足は平気なので、今度はそろっと胴体をねじってみる。ちょっと角度を変えたくらいだ。
「何やってるの!?」
「いや、ちょっと」
「痛くないの!?」
「たいして痛くないな」
どこまで動かしたらピリッと来るか、せっかくだから実験だぞっと。ピリ。
ちなみに結婚して10年ほど過ぎましたが、予定よりだいぶ早く生まれて初めて親以外に下の世話をされてしまった。これはあれです。
「病める時も、健やかなる時もー」
で結婚して、子供も生まれ、段階的に家族になってきましたが、まごうことなきさらなる第一線を越えてしまった気がしたぜ。
予定より早いぜぇええええ。
かなり微妙な経験でした。ま、でも、そんなことにクヨクヨしていてもしょうがない。
「あらよっと」
「何やってるのーーーーー!!」
そして、私は6時間を超えた時点で、看護師が檄を飛ばした通りに起き上がった。
「いや、トイレ行こうかと思って」
「なんで、昨日、お腹切ったばっかりなのに」
「ゆっくり動けば大丈夫だって」
そして、本当にあちこちに捕まりながら1人でトイレへ行った。トイレから戻ると同室のおばちゃんがあんぐり口を開けて私を、まるで奇跡の人を見るように見ていた。
「あなた、私とは違うお医者さんに切ってもらったから、だから、立てるのね?」
「いや、別に」
「でも、なんでそんなに治りが早いの?」
中国あるある。私は騙されてるっ!私を切った医者は隣の女を切った医者よりヤブだった説。あんた特別に何か贈ったのかとか聞かれたし。やれやれ。しかし、手術の技術のせいじゃない。ソウル(魂)の問題だぜ、君。おばちゃんは動くのが怖くてベッドに張り付いていた。君もキングダムの信を見習いなさい。
「ゆっくり動けば大丈夫だって」
「ええ?」
怖くって動けないだけで、穴開けたぐらいなら動けるぜ。歩けるぜ。かくして私はそれなりに入院ライフを満喫して退院した。胆石は取ったからすぐに体調が良くなるわけでもなく、しばらくは食事制限をさせられた。
すると……
「え、痩せた?」
「え……」
術前は絶食もしたし、術後も油っぽいもの全部食べられない。会社に出社したら皆に驚かれた。
やった!やったぜ!
油物を断つと肌の調子も良くなり、味覚すら変わった。体調が激しく良くなった。
このままこれを維持するぜー!
もちろん、できなかった。私は生粋の食いしん坊なのである、ちなみに飲兵衛でもある。
2024.04.03