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やる気のない旅行(タイ)の記録④−Lady Boy

郊外の水上マーケット行きオプショナルツアーを申し込んだ時、一緒にLady Boyのショーのチケットを買いました。

Calipso Cabaret
Asiatique the riverfront Destination 19:45-21:00,21:30-22:45

川沿いのホテルを選んだのですが、その川の対岸にあるナイトマーケット。2日目アユタヤの帰りに寄ってタイスキを食べたのもこのナイトマーケットで、ここでいわゆる男性→女性の皆様の繰り出すショーを見ました。

詳細は後ほど語るとしてとりあえず青少年及び少女の親の皆様で子供に見せても大丈夫かしら?と懸念される方々に結論を、

……微妙

うちは中学生になったばかりの男の子なんですけど、後ろに座りながらハラハラしてました。ただ、一部に若干、母息子、父娘で見てると微妙なものがありましたけど、場面がどんどん変わるし、その気まずいかも!と思う場面も長くは続きませんでしたから、どうにかなるでしょう。

で、息子のことは置いといて大人としては十分に楽しめる内容だったかな。

始める前に家族四人でいかがわしいピンクというか赤いライトに照らされた椅子に座り、おばあちゃんが突然ショーの前に淡々と話し出す。この踊っている人たちは農村に生まれた特別顔の綺麗な男の子たちでお金がないからこうやって生きていくしかないんだよとしみじみと語るのです。そうなのか、と私もすっかりそんな気分になり、眉を八の字にしつつ、頭の片隅で、ちょっと話が古いような気がするがと思ってた。(ちなみに主人が一昨日車の中で中国人ガイドから聞いた話によると、以前は顔が綺麗で所謂スター素質のある貧しい男の子が性転換するなんて話もあったらしいが、タイはぐんぐん豊かになってきており、そういうのはちょっと前の話だとか。そして、現在ではむしろ自ら進んでその道に入る人が主らしい)

おばあちゃんの年代の中国人の人は、とにかく苦労をしているから橋田壽賀子さんの「おしん」的なものがど真ん中なのである。それで、一昨日私が爆睡している間に聞いた主人とガイドのおしゃべりの自分の好きな部分だけを覚えて、それ以外の部分はカットしてしまったらしい。

うちのおばあちゃんにはこういうところが確かにある。自分たち夫婦がどれだけ苦労して息子二人を育てたか物語では、工場で働く傍ら野菜を育てた話。幼い息子たちを家に残して働いた話等、さまざまあり、ばあちゃんもともと訛った中国語だし、自分も中国人ではないのであれだが、ふむふむと熱心に聞いていると、実はこの話かなり脚色入っているらしく

「そんな貧乏だったことなどないわー」
「そうなの?」

主人がキレる。主人の話によると、おじいちゃんは故郷の工場(実はこの工場というか会社現在世界に名だたるメーカーである)でそこそこ出世した人で、うちの主人はクラスのガキ大将系だったらしい。しかし、私は別におしんっぽいのが真実でもガキ代償が真実でも、どっちでもいいが。

そして、おばあちゃんはすっかり、この背のでかい美女たちは、田舎の貧しい可哀想な男の子たちであるという色眼鏡をガッチリとかけ、いかがわしいピンクの灯りの中でショーを眺め、私はその横で、性転換された皆様の美しい様子を滅多に見ることのできないものとして、鑑賞しました。

なんというか、男でもなく女でもない、第三のものとしての魅力があるのですよね。だから、もっとその魅力を全面に出すような筋立てはないか……

可哀想なボーイのメガネをかけたままのおばあちゃんの横で、これでもかというほどに脳みそフル回転して、私は舞台演出家でもなんでもないですが、セリフはいらない舞台だけど、所謂音楽劇というやつで、そこにはやっぱりストーリーをおかないといけなくて、どれならハマるか、むっちゃ考えてた。

基本的にはあのキャバレーショーはタイに遊びに来る欧米系の人をターゲットにしてたのでしょうね。もともとは欧米系男性がターゲットだったのだと思います。だから、古い欧米の映画やミュージカルのパロディなのですよ。しかし、そこに時代が開けていって女性や子供も見るようになったし、日本人や中国人も見るようになった。そこで、男性のみがターゲットだった時の性的な要素を控えめにして健康的な目で見られるように現在の人気ミュージシャンのモノマネが入ってくるわけだ。もちろん歌って踊れるスーパースターのモノマネよ。

美女になった男子が、キャバレーだからゾロっと並ぶのだけど、その中でもセンター張れるのは特別綺麗でしたね。綺麗なだけじゃなくてきちんと踊っているわけです。これ、いやいややってるわけないじゃんと思いつつチラリと横を見ると、おばあちゃんはやっぱり、あれは家が貧しくて本当はしたくないけどしょうがなく女の人になった男の子なんだという顔でやっぱり見ていた。

それにしてもですよ、せっかく女になってるところを失礼ですが、私はストレートなのでその綺麗な顔を男に戻して想像してました。背も高いし、男の人だったとしてもめちゃくちゃかっこいい人ばっかでしたね。ただ、本人たちは女の人になりたくてなってるのだろうから男として想像されたら迷惑でしょうけど。

最後には男とか女とか関係なく綺麗だなって思って見てました。

そして、あのショーには転換してない男の人たちも男役として出てくるのです。そして、舞台の中でだけ世界がひっくり返ってる。つまりはあそこでは女になれた男の方が偉くて、舞台を支配していて、女になれなかった男は女の引き立て役なんですね。

なぜって、背が高くて綺麗な人はおそらく全部女になってますので、女になれなかった男の人は舞台の上では容色的に劣っているわけです。

そして、その男の人たちがSMのMの衣装を着て、つまりは黒いブラとビキニをつけてハイヒールを履いて現れるのです。(青少年の親としては、ハラハラした場面でした)で、自分たちより背の高い女になれた男たちにムチで打たれるのですよ。もちろん本当に打たれるのではなくフリですね。

なんという皮肉!

とにかく転換した美女というのは、ある意味私に言わせると、美女軍団という存在で、下手な男より迫力あって、ある意味、男らしいなと。女として見ていると、

……安心する
なんだろう?あの妙な安心感。

「すごかったね!すごかったね!男も女も全部脱いだね!」

ショーが終わった後に無邪気にはしゃぐ主人。ちなみに念のためここに注釈するが、全部は脱いでない。下着姿ぐらいまではいったが、全部は脱いでない。

それからナイトマーケットの入り口までいってタクシーを拾おうとする。みんなふっかけてくるので正規値段で帰りたい主人が奔走する様子にしばらく付き合いつつ、脳みその片隅でこんなことを考えていた。つまりは、

もとは超絶イケメンのお兄さんが転換美女になった妹が主人公の話である。

「two hundred box」
「なんて言ってんの?」
「200だって」
「高いじゃん。来た時は140だったのに」

やめよ、やめよ。自分にはそんな小説書けないって。性転換系の心理は自分にとっては未知の領域だ。怪しくおかしく美しいかもしれないが。

今度はトゥクトゥクという三輪バイクの運転手に声をかける。

「How much?」
「Two hundred box」

お前もタクシーと同じ値段とるのかよ。

「なんて言ってるの?」
「200」
「ええ?」

何かに負けたくない中国人、旦那は駐車場の中に一旦入ってお客を下ろすタクシーを捕まえようと夜半の九時過ぎにクタクタの家族を連れて歩こうとする。ここで息子が吠えた!

「向こうだって生活かかってるんだから、200で客取れる時は200としか言わないよっ」

お前は一体何歳だ?価格決定の法則が、需要と供給のバランスによって常に動いていると知っているのか息子よ。しかし、よく言った。褒めてつかわす。

「夜でクタクタに疲れてるのに時間をかけて結局200で帰るなら、さっさと200で帰ろうよ!」

そこで泣く泣く200のタクシーに乗る。ちなみにタクシーの値段については昔の深圳もそりゃひどかった。ありとあらゆるぼったくり運転手がいました。それを一掃したのは何の力か?警察か?違う。

配車サービスです。

流しのタクシーに乗るとメーターを使わず言い値で払わされる。配車サービスが始まると、みんな流しのタクシーに乗らない。そして、サービス的に問題がある運転手はアプリ上でクレームされて、登録を外されるのです。カスタマーの勝利。

そしてその後、タクシーに乗りながら息子が転換美女になった様子を車に乗りながら想像してみた。

似合うだろうなぁ。

親バカながら、我が息子、なかなかのイケメンなのである。しかし、世の中の認識が開けてきたとはいえそういうマイノリティの道へ進むと苦労するだろう。どうしてもというのがなければそのまま男でいってくれ。

南無阿弥陀仏

こんなところでお経を唱えたらお釈迦様に頭を叩かれそうだが、唱えてみた。

「面白かったね!」

主人がまだ喜んでいる。

「うん。面白かったね」

宗教や歴史には素通りして、こういうのにばかり喜んでいては残念といえば残念ですよ、と旦那に思いつつ、でも、まぁ、中国人の働き盛りの年代は現在のトレンドやお金の流れに興味があるわけ。一風変わったビジネスという意味でも面白かったのよね。満席だったし。家族旅行だから私の好きなものばかり行くわけにもいかないし、これはこれで良いとしよう。

明日はトレインマーケットと水上マーケットだ。

2024.05.03
(お笑い芸人、優等生 共著)

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