短編小説:雪だるまごろごろ_2021.06.22
この短編は 長編きみどりに始まりふかみどりに終わる① のおまけです。
澤田暎
社食でカレーを食べていると、高梨さんが寄ってきた。
「前座っていい?」
「どうぞ」
しばらくカレーを食べる僕を見ている。
「似合わないですか?」
言われる前にこちらから聞いてみた。高梨さんは少し眉を顰めた。
「微妙」
どっちだよと思う。まぁいい。本当にこんなことはどうでもいい。
「そうじゃなくて、今日はあなたに言いたいことがあったのよ」
今日は高梨さんはかけ蕎麦にとろろがかかってた。パチンと割り箸を割りながら話しかけてくる。
「なんですか?」
どうせ理沙のことだろうと思いながら聞く。
「あなた、理沙ちゃんに将来の具体的なこと話してないんですって?」
「……」
カレーを掬って持ち上げたまま固まり、ぼたぼたとカレーが落ちた。
「ねぇ、女の人にとって30直前ってすごい大事な時期なのよ。澤田さんにそう言う気がないなら早めにはっきり言ってあげるのが愛情ってものよ」
「あの、待ってください」
スプーンを置きました。
「何よ」
「理沙が、そう言ってたんですか?」
「言ってたわよ。結婚とかの話は具体的に出ていないって」
ズーンと落ち込んだ。
「ちょ、どうしたの?澤田さん、急に……」
高梨さんの声のトーンが変わった。
「女の人ってよくわからない」
「え?何を言ってるの?いい歳した男が……」
コップの水をとりあえず飲みました。
「僕はね、高梨さん」
「ええっと、はい」
若干、周りを見回しつつ、高梨さんが相槌を打つ。
「かなりしつこく結婚してくれと言ってます」
「え……じゃ、なんで、理沙ちゃん、あんなこと」
「僕が聞きたいですよ」
下を向いた。ため息が出た。
「俺、39ですよ」
「はい」
「流石に結婚したいです」
「はい」
「それなのに、そんなこと言うなんて、僕にはもうちょっとだけ待ってみたいなこと言ってたけど」
「けど?」
ムクっと顔を上げて高梨さんのことを正面から見た。
「恋愛用の男と結婚用の男って違うんですかね?」
「へ?」
「俺、遊ばれてる?もしかして」
「ええっ」
頬杖をついてぼーっと空を見る。
「あの、澤田さん、カレーは?」
「食欲なくなりました」
そばを遠慮しいしい食べつつ、高梨さんは結局なんだかんだ言って人がいいので僕の前から立ち去ることができない。
「あのね、澤田さん」
しばらくして意を決したように話しかけてくる高梨さん。
「あなた、どうかしてるわ」
「どうかしてる?」
「ちょっと前の自分を思い出してみな」
「はぁ」
「ありとあらゆる女に果敢にチャレンジして、よくもまぁ、あの人、仕事も忙しいのに飽きないなと思ってたけど」
「はぁ」
「わりと勝率良かったじゃない。連戦連勝とまではいかないまでもさ」
「あの、なんで高梨さん、そんな僕の個人事情に詳しいんですか?」
「そういう細かいところは置いといて」
「はい」
こほん
「そんな、経験値の高い君が、立花さんのようなビギナーに弄ばれるなんて、さぁ」
「はい」
「冷静に見てありえないって。ていうか、理沙ちゃんそんなタイプに見えないし」
「でもね、高梨さん」
げっそりとした気分で言葉を続ける。
「いつも最高の刺客はそれっぽく見えないものですよ」
「いやいやいや、これはサスペンスではないから、この話は」
「じゃあ、なんで、高梨さんに結婚の話なんて出てないって嘘ついたんですか?理沙はっ」
「……」
「そりゃ、迷ってるからに違いないじゃないですかっ。だから、とりあえずは外野には内緒にしておこうとっ」
「いやいやいや、澤田さん、声大きいって」
社食のスパゲッティを頬張ろうとしている人、付け合わせのミニトマトのヘタを取っている人、味噌汁を飲もうとしていた人、皆が一時ストップして僕たちを見ている。
「ね、落ち着いて。澤田さんがこんなことで悩むなんて、前代未聞です」
「……」
「ていうか、本当はこんなキャラだったの?ま、それは別としてさ。あまりクヨクヨ悩まずに本人に聞きな?ね、本人に」
「なんて?」
「え、いや、だから、どうして嘘ついたのって」
「……答え聞くのが怖い」
「いやいやいや、何を言ってる。君、何歳?」
「39ってさっき言いましたよね?」
「ああ、すみません。何度も歳の話を。ま、でも、絶対大丈夫だって。ちゃんと聞きな」
ぽんぽん肩を叩かれた。
***
それから、自分としては珍しく仕事に集中できなかった。
もうちょっと待ってって言われてたけどさ、あれは、緩やかにごめんなさいを言うための、こう、軌跡というかさ。飛行機が着陸する時もいきなり落ちたら、墜落するわけでさ、こう、機長が副機長と協力しながらゆっくりと緩やかに……着地するわけで。
ずーんとまた、落ち込んだ。
俺、しつこすぎたのかな?
つうか、焦りすぎた?
俺、結婚したい男じゃないのかなぁ……
年収足りない?そんな悪くないと思うけど……
不潔?いやいやいや、俺、むしろ清潔。
そうではなくて、今まで振られた記憶を思い出す。
あれか、几帳面すぎ、綺麗好きすぎ?やっぱりこれ?
でも、理沙、こういうので嫌がってるように見えなかったけどな。
「ただいま」
姿が見えない。部屋に入って、手を洗うために奥へ行くと、お風呂に入っていた。石鹸つけて手を洗っていると、ガチャリとお風呂のドアが開いた。
「あ」
「ただいま」
「おかえり」
それから、ドアを半開きのままで手だけ伸ばして洗面所にかかっていたバスタオルを掴むと引っ張る。
ついいたずら心でそのタオルの端っこを掴んだ。理沙がタオルを取れなくて怒った。
「もう、暎さん、何するの?」
「理沙こそ」
「何?」
「別に見たことあるし、こっち出てきて拭けばいいじゃん」
「嫌なの。こっちだけ裸でそっち服着てるし」
僕からタオル取り上げると、バタンとドアが閉まった。
しばらくするとタオル巻きつけて出てきた。
「なんでまだいるの?」
「俺の家だし、どこにいたって自由だし」
「もう」
ちょっと怒りながら別の小さいタオル使って濡れた髪をふきだした。そこで、身体を包んでたバスタオル引っ張った。タオルが落ちて、理沙の綺麗な裸が見えた。
「ちょっと」
「いや、だって、隠されるとさ。見たくなるんだって、男は」
怒った理沙に叩き出されてしまった。
しょうがないのでリビングに行って、コート脱ぐと、ソファーに座ってテレビをつけた。夜のニュースを見るとはなしに見る。
理沙は洗面所でしばらく髪を乾かしていた。ドライヤーの音が聞こえる。
髪を乾かして、パジャマ姿で戻ってきた時は、もう怒っていなかった。
キッチンで冷蔵庫開けて冷たい牛乳をコップに入れてごくごく飲んでる。
「真冬によく冷たいもの飲むね」
「お風呂にゆっくり入った後はなんか冷たいもの欲しくなる」
「どうせなら、腰に手当てて飲めば?」
よくあるじゃないですか。銭湯上がりに瓶の牛乳腰に手当てて一気飲み、みたいなイメージ。
「なんだそりゃ」
ちょっと見たかったんだけど、スルーされてしまった。飲みかけの牛乳持って、人の横にすとんと座った。
「今日、高梨さんに会った」
「あ、元気だった?高梨さん」
理沙はもう新しい会社に通っていて、高梨さんには会っていない。
「理沙さ、最近高梨さんに何か言わなかった?僕たちのことで」
「え?なんか言ったっけ?」
目を瞑ってうーんと考え込んでいる。
「高梨さんにさ、理沙との結婚真面目に考えてって言われたんだけど」
「あっ」
理沙は不意にUFOでも見つけたような顔をした。
「あ、忘れてた。そうそうそうだった」
「……忘れてた」
俺が、半日、悶々としたのは一体……
「冷蔵庫に婚姻届まで貼って、しつこく結婚しようと言っているのに、どうして結婚について考えていないと言われたのか」
「はい」
「聞いてもいいですか?」
「ええっと」
理沙はちょっと上目遣いになって考えた。それから、牛乳を一口飲みました。
「スキー場でね」
「うん」
「リフトで上に上がって」
「うん」
「天辺で雪だるまを作っていたとするでしょ?」
「……うん」
かなりの忍耐力で、その、突然のスキー場の話を聞きました。
「あ、と間違った方向に転がしてしまうと、麓までそれは転がっていくじゃない?」
「いや、それはちょっと無理があるんじゃ?」
「いくじゃない」
「はい」
「そういうことなのよ」
「いや、全然わかりません」
大人しく聞いてみましたが、全然わかりませんでした。
「ぽろっと結婚式の話は出ていませんと言ったら、高梨さんが式だけじゃなくて結婚の話が出てないと思い込んじゃって」
「は?」
「いや、でも式の話は忘れてたけど、結婚の話は出てんですっていうタイミングを逃しているうちに、高梨さんが勝手にあなたが結婚したがってないって思い込んじゃって」
「……」
「わたしの手の届かないところに雪だるまが転がって、話が大きくなっちゃった」
「本当にそんなこと?」
「本当にそんなこと」
理沙をじっと見つめる。理沙が牛乳を飲む。
「なんか無理してない?」
「どんな無理を?」
「本当はこの人で本当にいいのかなと迷ってるとか」
「うーん」
いや、考え込んでるし。
「落ち込んだ。もう、いい。寝る」
「いや、お風呂入ってないよ。綺麗好きの暎さんが」
どうでもいい。臭いまま寝てやる。今日は。
「別に迷ってなんてないって」
理沙が抱きついてきた。
「本当に?」
「本当だよ。90%くらいもう決まってるからさ」
抱きつかれて言われると男は物事を冷静に判断できなくなります。
「……わかった」
「聞きたいことは聞けた?」
「聞けた」
「じゃあさ」
「ん?」
「わたしもちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なに?」
「こう、今まで複数の人の口からね」
「はい」
なんとなくいやーな予感がした。
「暎さんが今までありとあらゆるいろんなタイプの女性と取っ替え引っ替え付き合ってきたって聞いたんだけど」
「……」
「それって本当?」
「通過儀礼みたいなもので……」
「つまりは、本当?」
「いや、同じ会社なんだからそれとなく噂とかで聞いたことあるでしょ?」
「聞いたかもしれないけど、覚えてない」
そう、この人、僕にこれっぽっちも興味なかった人。
「そんな大したことではなかったと思いますよ。みなさんが思うような」
「なんで急に丁寧に話してんの?」
「なんでだろ」
僕に抱きついたままずいっと理沙が顔を寄せてきた。
「ね、そういう人と比べてわたしのどこが良かったの?」
そりゃもちろん、お掃除の腕が……
「掃除がどうのとかいうのはもういいから」
頭が真っ白になりました。
「そりゃ理沙ちゃんが可愛いから」
「その人たちだって綺麗だったんでしょ?」
「……」
「写真とかないの?」
「全て破って捨てました」
「画像データとか残ってないの?」
「全て消去しました」
後で全部消去しなきゃ。
「なんで?」
理沙が眉間に皺を寄せる。
「いや、これから結婚しようという時にそれが相手に対する礼儀でしょ?」
本当は無用な争いを避けるための男の防御本能だ。
「つまんないな」
やれやれ
「で、質問の答えは?」
「え?」
「わたしのどこが気に入ったの?掃除以外」
「……」
僕は知っている。男は目で恋をして、女は耳で恋をする。耳とはつまり言葉である。
今、ここで口に出した言葉で、俺の点数が決まる。そして、一度口に出した言葉はなかったことにはできず、僕の今後の人生に影響を与えるだろう。それにね。言わせてもらうとさ。自分は職業柄、なんというかこういう時にさも素敵なことをいいそうだという期待をされがちな人間なんです。少なからず理沙も、今まで僕に不思議な期待をしてきたわけで……。今回も何かありきたりなことを言ってしまえば、巷の男が言いそうなありきたりなこと。がっかりされるに違いない。
そうっと僕にくっついて僕を見上げてる理沙の顔を見る。
宿題にさしてもらってもいいですか?
とはいえないか、やっぱり。
「理沙ちゃん」
「うん」
「本当に大切なことは言葉にできない」
「え」
とりあえず時間を稼ごう。
「それが毎日言葉と向き合ってる人のいう言葉?」
「毎日言葉と向き合ってるからこそ思う。大切なことこそ言葉にしたとたん陳腐になってしまうものだ」
「……」
納得したか?
「めんどくさい男だな」
してないな、これはやっぱり。
了