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短編小説:木漏れ日のおまけ_2021.05.21
この短編小説は、長編:木漏れ日のおまけ です。 汪海妹
神谷和華、8歳、生まれて初めて失恋しました。
「おい、和華、いい加減その曲がったへそをまっすぐに直せ。遅刻する」
「嫌だ」
「お父さん、スピーチ頼まれてるし、遅れるわけいかないんだって」
「行かない。置いてって」
8歳の娘を1人で家に置いていけるわけがない。
和華ちゃんの部屋の入り口で小さな男の子抱っこしながら様子を覗いている麗子さん。今日はみんな正装してる。ちっちゃな男の子まで、ネクタイしめてます。
困った秀さん。奥さんの方を見ました。
「麗子から言ってよ。俺じゃ埒あかない」
「はいはい」
麗子さんは部屋の中に入ってくると秀さんに男の子を預けました。立ち上がって代わりに抱っこする秀さん。麗子さんは、ベッドに伏せてる和華ちゃんのそばにしゃがみこみました。それから、そばに立っている秀さんと抱っこされてる男の子に向かって言います。
「女だけの話だから、男の人たちは出てってください」
言われて男の子と一旦見つめ合う秀さん。まぁ、いいかと部屋を出てリビングの方へ行きました。
2人が出てった後、しばらく麗子さんは和華ちゃんの髪を撫でていました。和華ちゃんがそっと泣き顔をあげてお母さんを見ます。
「本当に大好きだったんだね。お兄ちゃんのこと」
「和華がお嫁さんになりたかったのに」
「うん」
「彼女いるなんて聞いてなかった」
「……」
いやいや、おいおい。大人の女の人と言ってること変わらんな。
「ママも聞いてなかった。騙されたな」
「……」
微妙な顔で麗子さんを見つめる和華ちゃん
「もう他の女の人のものになっちゃったら、お兄ちゃんのこと嫌いになっちゃった?」
「わかんない。でも」
「でも?」
「他の女の人の横でにこにこしてるお兄ちゃんを見たくない」
「なるほど」
麗子さんちょっと考えます。
「和華ちゃん、ママが一つ、いい女になる方法を教えてあげよう」
「方法?」
「そう」
涙に濡れた目でお母さんを見上げる和華ちゃん
「どんなに辛くても好きな人の幸せを一番に考えてあげること」
そう言って微笑むお母さんの顔を和華ちゃんはじっと見ました。
「お母さんの好きな人はお父さん?」
「やあね。どうしてわざわざ聞くの?」
「……」
「あ、でも、お父さんだけじゃないよ。和華ちゃんと秀斗くんも」
そう言うと、和華ちゃんがにっこり笑いました。麗子さんは和華ちゃんの頭を撫でた。
「いい女にはきっとまた次の素敵な人が現れるよ。だから、今日は歯を食いしばって行こう」
***
式が終わって披露宴に移って、それぞれのテーブルに新郎と新婦がキャンドルサービスにまわる。
「ああっ!秀斗くん、かっこいい。ちゃんとネクタイ締めてる」
「旦那の横で早速他の男褒めてんな」
毒づく秀さん、すかさずやり返す中川君
「いや、本当に和華ちゃんも秀斗くんも、いつもにまして素敵だね。よかったね。お父さんに顔似ないで」
「そんなにひどい顔だと思ってはいないけれど」
「いや、別に。麗子さんの方が上品だと言っているだけですよ」
なぜかおめでたい席でも睨み合う2人
「お前のその、周りくどい言い方、直接言われるよりもイライラするな」
「はぁ、そうですか」
ほっとくと延々と続くこの応酬。周りの人たちは慣れっこです。
「ほら、うちのテーブルだけでお引き止めするわけにはいかないですよ」
麗子さんが口を挟む。すると、そばでじっとしていた和華ちゃんがきっと中川君を見ました。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「おめでとう。幸せになってね」
中川君、いい笑顔で笑いました。
「ありがとう。和華ちゃん」
お嫁さんと一緒に嬉しそうにしている。ちょっとだけうるうるしそうになった和華ちゃん。その様子を見ていて、ハラハラしていた秀さん。なんだか一言言いたくなった。
そしたら、ぎゅっと横から手を握られました。横を向くと、麗子さんが微笑んでます。
娘は涙を堪えました。2人は気づかずに次のテーブルへと移っていった。
***
しばらくして披露宴は無事終わった。
二次会へと移るみんなを残して、家族持ちは帰ります。
お酒を飲んでしまった秀さんの代わりに麗子さんがハンドルを握っている。
たくさんの人にもみくちゃにされて疲れてしまったのか、弟の秀斗君はチャイルドシートの中で可愛い顔でぐっすり寝てしまった。横にいる和華ちゃんも爆睡です。その様子を見た後に秀さんが麗子さんに聞きました。
「和華、あんなにごねてたのに。どんな魔法を使ったの?」
「え?」
「最初っから最後まできちんとしてたじゃない。膨れっ面しないで」
ふふふと笑う麗子さん
「それは秘密です」
「ええ〜」
不満の声を上げるご主人
「和華には絶対言わないからさ。教えてよ。なんて言って聞かせたの?」
「秘密です」
「珍しく譲らないね」
「あなたのことは尊重してるけど、和華ちゃんも大切なんで」
「ふうん」
運転してる奥さんの顔をじっと見る。
「なんか、つまんないな」
「やあね、そんなことで拗ねないで」
「拗ねてなんてないけど」
でも、若干、拗ねてますよね。この顔は。
「女には女同士の話があるのよ」
「あんなちっちゃくっても?」
「すぐに大きくなりますよ」
はぁとため息ついた。秀さん
チラリとその様子を眺めた麗子さん
「子供ってコロコロ変わってくな」
「そうね」
「目を離せないなぁ」
「あら、大丈夫よ。和華ちゃんは」
「そう?」
「ええ、しっかりした子ですよ。和華ちゃんは」
秀さんは奥さんのその言葉を聞いた後にもう一度、振り向いてぐっすりと寝ている娘の顔をしばらく見ていた。
***
神谷秀斗 中学生になりました。
お姉ちゃんの和華ちゃんはもう大学生です。
秀斗君は、自分の名前が好きではありません。理由は簡単で、くだらないことでからかわれるからです。
秀斗君もお姉ちゃんの和華ちゃんも幼稚園からのエスカレーター式の学校に通っている。お坊ちゃん、お嬢ちゃんが通う由緒正しき学校で、ちなみにお母さんの麗子さんもかつてのこの学園の卒業生です。
お坊ちゃん、お嬢ちゃん、育ちのいい人が通っているけれど、でも、そんな人たちの中にも若いくせに親父ギャグ的なことを言う輩がいる。
秀斗君は、親父ギャグが大嫌いです。
面白ければ冗談は嫌いではない。
だけど、くだらない冗談を憎んでいます。
冗談のレベルで人間の品性というか、センスというか、なんだろ?とにかく頭の良さが測れるとまで思ってるぐらいで……
「秀斗、今だっ!シュートしろー!」
だから、体育の例えばサッカーの時間にこんなことを言われるとですな。
地獄に堕ちろと思います。ゴートゥーヘルです。
中指立てて、ファックユーと言ってやりたいぐらいです。ただ、キャラにそぐわないのでやりません。
ぎろりと不機嫌に睨むのみ。
でもね、第三者として弁護いたしますと、子供はね、悪気はないんです。
小学生の子がよく言うじゃないですか。
「お前、それ、昨日言っただろ?」
「え?いつ言った?どこで言った?何時何分何秒に言った?」
これと同レベルの他愛もないことではないですか。
別に漫才師になろうと思ってるわけでもない。言ってる冗談がつまらないからと言って、罪ではないのです。
しかし、秀斗君はとにかくこう言われるのが嫌いです。だから、自分の名前が嫌いです。
そういう秀斗君はどういう子なのか。
「神谷さん、お宅の息子さんは天才です」
「へ?」
初めて言われたのは何年生の頃だっけ?個人面談で訪れた学校の教室で麗子さん興奮した先生にそう言われた。そして、先生の言葉を裏付けるように秀斗君は学年で常に10番以内に入るようになった。
軽々と
勉強しないわけじゃないけど、むっちゃやってるようにも見えない。
夫婦で勉強してる様子をこっそり覗く。
別に特別な何かをしてるようにも見えない。
「あなたって学生の時、秀斗くらいできました?」
「いいや。麗子は?」
「10番以内なんて一回も入ったことありません」
突然変異だな、本当にあるんだなと思った2人
ま、でも、だからどうした。そんな教育熱心でもない2人、悪いことでもないしほっといた。
ところが当の親がほっといても、野次馬はいる。
末は博士か大臣か。先生がちやほやする。
そして、祖父母。特に祖母。
「秀さん、いい後継ができて安泰ねぇ」
麗子さんのお母さん、悪気はもちろんなかったよ。
でも、本人の秀斗君も、そして、一緒にそれを聞いていた和華ちゃんも心の中はざわざわとした。
そして、麗子さんは……
***
「ただいま」
「おかえりー」
「あれ、お姉ちゃんは?」
「今日、部活の打ち上げだって」
「で、お父さんもいないんだ」
「そうね」
秀斗君、学生服のままソファーにどさっと倒れ込んだ。
「なんかいいな。静かで」
台所で夕飯の支度をしていた麗子さん。チラリと長男の顔を見た。
「まるで2人がいない方がいいような言い草ね」
「いるとうるさいんだもん」
この頭の良くて、どちらかといえば大人しい長男。最近は難しい年齢になってきたこともあって、あまり本音を話してくれない。
息子の気持ちがいまいちわからなくて不安でした。もともと麗子さんは男兄弟がいないこともあって、男の子の気持ちがよくわかりません。
しばらくソファーでだらっとしたあと、制服の上着を脱ぐと、テレビをつけてぼんやり見ている。
「夕食前だけど、どうぞ」
麗子さんは冷蔵庫にあった葡萄を洗って持ってきました。
「あ、ありがとう」
寝っ転がったまま手を伸ばしたので、その手をピシリと叩きました。
「はいはい」
起き上がった。寝っ転がったまま食べると変なところに食べ物が入っていくと言われながら育っているんです。葡萄を食べている長男を眺めながら、麗子さん聞いた。
「秀斗はお姉ちゃんやお父さんのこと、嫌いなの?」
「え?」
葡萄を食べる手を止めてぽかんとした。
「嫌いなんて言ってないじゃん」
「そう……。なら、いいんだけど」
ノロノロ立ち上がり、とぼとぼ台所へ向かう。その背中に向かって秀斗君は言いました。
「波長が合わないだけ」
「ハチョウ?」
「お母さんとは合うんだけどな」
「……」
はちょう?合う合わない?
「家族で波長が合わないなんてある?生まれた時から一緒にいるのに」
「でも、お姉ちゃんやお父さんとは合わない」
「お母さんは、全然合うよ」
「あ、そう」
心ここにあらず。テレビ見ながらの、ながら会話。真面目に聞いてない。
ああ、秀斗も昔は素直で可愛かったのにな。がっくりきた。白髪が増えるような気持ちさえした。
そんなお母さんの気持ちを知ってか知らずか秀斗君は言葉を続けます。
「でも、波長は合わないけど、時々すごいなと思うよ。姉ちゃんのこと」
「え?」
「学校ですげー目立ってたし」
「ああ……」
和華ちゃんね……
目立ってました。お母さんも覚えてます。
「なんか反乱軍のリーダーみたいだった。女のくせに」
「……」
「あんな統率力のある人、俺らの学年にいないし」
「……お父さんに似たのかしらね」
麗子さんの母校は、お坊ちゃんお嬢ちゃんの通う学校です。育ちのいい子たちです。一部の人を除いてわりと素直な人が多かったと記憶してます。
「お宅のお嬢様には本当に手を焼いております」
「へ?」
あれを初めて言われたのは何年生のことだっけ?
「なにか気に入らないことがあると、学生みんなの目の前で、これはみんなの意見です等言いながら、理路整然と教師に説教するんです」
「へ?」
寝耳に水の麗子さん
ハンカチで汗を拭き拭き話す担任の先生
麗子さんの穏やかな様子を見ながら本当にこれがあの神谷の母親だろうかと思ってる。
「新人の教師がそれでぐうの音も出ないほどにやられてしまいましてな。ノイローゼ気味に……」
「あら」
若干冷や汗をかく、麗子さん
「見かねたベテラン教師が嗜めると、先生、神谷さんは間違ったことは言っていませんと、いつのまにかクラス全員を味方につけていて」
「……」
「ずっと長年ここで教師をしておりますが、クラス全員で教師に歯向かうなんて、前代未聞ですっ」
「はぁ」
しみじみとその時のことを思い出した麗子さん。あの時は本当に苦労したなぁ。自分は学校で先生に怒られるような学生ではなかったし。
「お母さん、大人になってから、先生に怒られるようになるなんて思ってなかったわぁ」
はははと秀斗君が笑う。
「でも、姉ちゃん、生徒の間ではすごい人気あったんだよ。俺の学年まで名前轟いてたし」
「へー」
そしてついぽろりと言ってしまった。
「なんで女の子に生まれてきちゃったかな」
すると、秀斗君がしんとした顔でお母さんを見た。
「そういうこと、姉ちゃんに絶対言わないで。お母さんまで」
「え?」
「おばあちゃんが俺のこと、父さんの後継だってよく言うじゃん」
急に真面目な話になった。食べかけの葡萄を間にしながら。
「ああいうの、軽々しく言われても俺、困る」
「……」
「無理だから。俺には」
「そんなまだ若いのに無理だなんて決めつけなくても」
「でも、人の気質というのは生まれた時から決まってる。父さんにそっくりなのは姉ちゃん。人を惹きつける力のあるのも。それを男だから女だからって理由だけで、簡単に後継とか言われても無理」
「秀斗」
「宿題する」
ぷいっと立ち上がって部屋へ行ってしまった。
食べかけの葡萄と麗子さんは残された。
***
「秀斗がそんなことを?」
麗子さんは帰って来た秀さんに夕方の話をした。
「へー」
感心した。麗子さんはなんか呑気だなとその顔を見て思う。
「どうしよう?」
「どうしようってなにを?」
「ほっといていいもの?」
秀さん、ちょっと考える。
「よくわからんけど、ちょっと話してみる」
息子の部屋へ行って覗く。
「起きてた?」
「ノックしてよ」
そうか。いきなり親に覗かれるとまずいようなこともあるか。秀斗くらいの年齢なると。
「ここ、鍵、つける?」
ややこしいから、そういう時は鍵かけてくれ。
「いや、別にノックすれば済む」
「そうか」
ベッドにあぐらかいてる息子の横に座る。
「酒臭い」
「酒飲むのも仕事なもんで」
「なに?こんな夜更けに」
「うん」
どう切り出そうかね。
「お母さんが夕方お前が話したことで心配してて」
息子はじっと父親の顔を見た。
「話って?」
「後継がどうとかこうとか」
「ああ」
秀斗君は秀さんから目を逸らしました。
「父さんはどう思ってるの?」
「ん?」
「どっちにやってもらいたい?」
「そこじゃないな。大事なのは」
「え?」
「和華も秀斗もやりたいことというかやるべきことくらい自分で探せ。それがもし、父さんの会社に入りたいってことなら父さんもいろいろ考えるから」
「……」
しばらく秀斗君黙りました。
「姉ちゃんの方がいいと思うよ。俺は父さんと似てないし。勉強できるだけだし」
「社長なんていろんな人がいるんだ。父さんと同じである必要なんか無い」
「……」
「姉ちゃんも父さんも重要じゃない。大事なのは、秀斗、お前はなにをしたい?どんな大人になりたい?」
秀斗君はお父さんの顔を見ました。
「まだ若いんだから、ゆっくり考えろよ」
ぽんぽんと頭を軽くはたいた。
「お前、なんかまた背、伸びたな」
「うん」
「確実にそのうち越されるな」
秀斗君は肯定せずにただ笑った。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
部屋の電気を消してやった。
布団に入ったその丸みを廊下から漏れ入るあかりでしばし眺めた。
人間ってのはどうして丸いんだろうな。
そして、自分の家族の、特に子供のその丸さは、だんだん縦に伸びてくるのだけれど。
その丸みはいつまで経ってもずっと生まれた時からかけがえのない大切なものなんです。
顔を合わせている時にはもう慣れっこになっていて感じないのだけれど、子供が寝ている姿を見ると必ず沸き起こる感情がある。
守ってあげたい。
いつか大きくなってその必要がなくなっても、きっとこの気持ちは消えない。
親になって初めてわかる。自分の親もきっとそうだった。
了