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短編小説:暴虐無人_2021.07.24
暴虐無人※1
傍若無人、暴虐無道の誤用
他人に構わず自分勝手に振る舞うこと
乱暴でむごたらしく通りに外れた行いをすること。またその人
誤用だったんだ!と調べて初めて知りました。敢えて誤用のままでタイトルへ。
中條太一 中学生@香港
「Are you Chika’s brother?」
学校からの帰り道にいきなり後ろから声をかけられた。振り向くと欧米系のお兄さんがいる。私服姿だけど、恐らくインターの学生だ。
「Yes」
その後、がしっと手首を掴まれて、ええっとびびって固まった。俺、手籠にされる。えっと、間違えた。手籠にされるは日本語間違えた。それから、お兄さんはもう片方の手で僕の腕を掴んで逃げないように抑え込んだ上で……
涙ながらにというのではないんですけどね、不意にこう切々と何か訴えてくる。
うわー、なんだろー、ていうか、こんな往来の真ん中で、男同士でこれって、ビミョー。
ちなみに僕の英語力では、何を言ってるのかさっぱりわかりません。
「Uh-huh」
適当に相槌を打つ。僕が相槌を打つと、相手はますます興に乗って色々と訴えてくる。
参ったな〜。せめて何を話してるのかもうちょっとわかればな。すげえ可哀想なんだけど。
でもね。わかんないんだけどさ。さっきちかって言ったじゃん。
これ、姉ちゃん絡みだ。それだけは間違いない。
***
延々と何かを訴えられた挙句ようやく解放され家路に着く。
「ただいま」
「遅かったじゃん。太一」
ソファーにあぐらかいてテレビ見ながら、ポテトチップス食べてる姉がいた。
「真っ直ぐ帰ってこいよ〜。弟よ」
学校のカバンを抱えたままでスタスタと歩み寄りすとんとソファの隣に座った。
「ん?何?着替えてこいよ。その暑苦しい服」
「姉ちゃん」
「何?」
「今日、学校帰りに見知らぬ欧米系のお兄さんに捕まった」
「お兄さん?」
「姉ちゃんの学校の学生だと思うけど」
「なんで、うちの学校の学生が太一のこと捕まえるんだよ」
「姉ちゃんの名前出して、なんか延々と訴えられたんだけど」
姉、無表情になりパリッとポテトチップスをかじる。
「なんて?」
「聞き取れなかったよっ」
眉間に皺がよる。
「ま、でも、あれだ。それは気にしないでよろしい」
「いや、でも、むっちゃ可哀想だったけど?」
「聞き取れなかったのに、何が可哀想だって?」
「でも、男同士なんか感じるものがあった」
「きもっ」
パリッ、姉はテレビに戻る。横目でじっと見た。
「また、どうせ、あれでしょ。碌でもない振り方したんでしょ?」
「碌でもない?」
「人を蟻地獄に落として、絶望を味合わせるようなさっ!」
ぶっわっはっは
爆笑した勢いで、ポテトチップスが袋ごと落ちた。中身のうちの幾らかが床に落ちた。
「あ、もう、太一!」
「いや、僕、関係ないし」
姉は無事だったチップスをサルベージし、床に落ちたのを指し示した。
「もったいないから、食え」
「どんだけ、貧乏?うち」
「え、何、貧乏?」
キッチンから出てきた母が口を挟んでくる。
「あ!もう、太一。こぼして」
「いや、僕では……」
普段の行動から類推して、よく捜査もされないまま、こうやって人は罪を着せられるのである。
「今日は床も掃除したし、拾って食べても平気だから食べな」
「お母さん、真顔で冗談を言うのはやめてください」
普通は、長男というのはもう少し、大切にされるのではないですか?
「雑菌も食べるから、人間は強くなるんだって」
「……」
お父さん、帰ってこないかな……。
母はため息をつき、ゴミ箱を持ってくる。
「ここに捨てて、最後掃除機かけといて」
「え、だから、僕がこぼしたんじゃ……」
母は僕の言葉を聞かずにあっちへ行ってしまった。しょうがなく、制服姿のままでポテトチップスを拾って籠へ入れ、最後に掃除機をかける。
「姉ちゃん、男を振る時はさ。もうちょっと容赦しなよ。完膚なきまでに叩きのめすのはやめな」
「バカだねー」
「何?」
「希望が残ると人間は苦しむのだよ。草一本残らないくらいにさ。徹底的にやったほうが後後いいのだって。焼畑農業というだろ?」
「自分がやられてみな?好きな人に勇気を出して告ってさ、爆撃機で草一本残らないほどに反撃されたらどうする?」
姉、寝っ転がってポテチ食べていたのがムクっと起きる。
「わたしが、男子に告る?」
「そう」
「今世ではないな……」
「こんせ……」
「来世ではあるかも」
ふと、前から聞いてみたかった疑問が湧いた。
「姉ちゃんって生まれてから今まで誰かのこと好きになったことある?」
「あるよー」
あっさり答えが返ってきた。そして指を折りながらいう。
「お母さん、お父さん、あんた、小野田と中條のおじいちゃん、おばあちゃん、まだ続ける?」
「家族、親戚以外では?」
「ジョニーデップと金城武」
「一般人では?」
「……」
答えに詰まった。あれ?あるんだろうか?
「あんたはどうなのよ」
「……」
「あんたが教えないのに、どうして姉ちゃんが教えるのよ」
これは、もしかしたらいたのかな?
「姉ちゃんってさ」
「なに?」
「一生、独身になりそうだよね」
「はぁ?」
「え?結婚したいの?」
素で驚きました。嘘ではない。この人に結婚願望があるのか?
「結婚したくないなんて言ってないでしょ?」
まわりくどい言い方だな。
「つまりは、結婚したいわけ?」
「なんで実の弟にそんなこと言われなきゃいけないわけ?」
常に姉に虐げられてきた身として、かなり久々の反抗心が生まれた。
「あのさ、姉ちゃん。結婚っていうのはさ、ミラクルなわけよ」
「おう」
「努力とか実力とか才能とかっていうのもあるけど、運によるとこが大きいわけ。つまりは縁」
「えん」
「神様は見ている、その人間が常日頃どんな行いをしてきたか」
「……」
姉が獰猛な顔をしている。獲物に喰らい付く直前の吸血鬼みたいだ。
「もうそろそろご飯よ〜。何やってんの?二人して」
母がお皿を抱えてキッチンから出てくる。
「ね、お母さん。神様は日頃から僕たちのことを見ていていい行いをした人には幸運を与え、悪い行いをした人には罰を与えるんだよね?」
夏美さん、ちょっと考える。
「まぁ、そうなんでない?」
そう言った後に、残った料理をテーブルに上げるためにキッチンへ母は消える。
「お姉ちゃんみたいに相手のこと考えずに碌でもない振り方をする人に、いい出会いが与えられると思う?」
「……」
ボスっ、ボスっ、ボスっ
「お前、生意気なんだよっ」
「やめて、やめて」
中学生になりました。体も大きくなったし、男子じゃないですか。もちろん腕力で姉に勝てないわけはないんです。
でもね、一つに実の姉を本気でぶん殴ることはできないし、もう一つに、なんというか精神的に幼少の頃から支配されてきたから、手が出せない……。呪いのようなものがある。
「ちょっと千夏!あんた、一体何歳になったと思ってる?弟を殴るのはやめな!」
「だって生意気なんだもん」
「生意気だっていうのは暴力振るっていい理由にならないって」
「じゃあ、なんだったら殴っていいの?」
うーんと母、考え込む。
「正当防衛?」
「これは正当防衛だよっ」
「いや、生まれた頃からあんたたち二人とも知ってるけど、太一は暴力振るうような子じゃないって」
「精神的暴力を振るわれた」
「なぬ?」
母、固まる。
「太一に傷つくこと言われたっ」
「それは一体なんて言われたのよ」
姉、母の方を見て、口を開いた。僕を指差しながら、そして、しばし考える。
「なんでもない」
「なんだよ。そりゃ」
「さ、ご飯ご飯」
「いや、ちょっと、切り替え早すぎじゃない?」
姉は母のツッコミを無視してダイニングテーブルに座る。
「いただきます」
「ちょっと太一に一言謝りなさいよ」
「太一が謝ったらね」
母が困って僕を見る。
「いや、今回ばかりは謝らない」
姉が獰猛な顔を上げる。キョンシーに首筋に牙を当てられているくらいの迫力があったが、耐えた。
男代表として、いつもいつも負けてたまるか。僕一人のためだけではない。この戦いは。
睨み合う僕たちを傍で見ている母。ため息をつく。
「太一が折れないなんて珍しいわね。いただきまーす」
「いただきます」
僕も箸を取り、食事を始める。珍しく黙々と三人で食べた。
なぜ姉が、母に訴えるのをやめたのか。
簡単である。今回の騒動の主原因は、姉が同級生をこっぴどく振ったこと。
母に、学校での恋愛沙汰について語るのは厳禁である。
それはなぜか?
母はそれこそ大騒ぎするのである。娘息子のそういうネタに。
なぜか学習の成績とか、品行方正にやっているかということよりも、学校でモテてるかの方が……、非常に残念なのですが、うちの母にとっては重要なようなのです。
この思春期の時期に親と、そんな話、したくないじゃないですか。だから、黙ったんです。
味噌汁を飲みながら思う。どこぞの金髪のお兄さん。あなたの仇は少しだけ取りましたからね。殴られましたけど。
今後はもっと性格のいい女の人、探した方がいいですよ。
うちの姉は、ダメです。
中條太一@東京
15年後
「ここかな?」
「ここかなー?」
春蘭の間
部屋の名前を確かめる。間違ってないと思うんだけど。
フカフカの絨毯を踏みながら、そーっと個室のドアを開ける。下の方で娘が一緒に覗く。
「あ、あれ?香音?」
「あ、千夏ちゃーん」
娘がちょこっと開いていたドアを思い切りばんと開いた。そしてそれが、がんと僕の顔を打った。軽く火花が散りました。いくら大人になってもね、今のはかなり痛かったよ。娘は僕をほっといてパタパタと座っていた姉の方へと走り寄る。
「香音が来るなんて聞いてなかったよ」
「久しぶりー。おめでとー」
「嬉しいなぁ。また、大きくなったね」
姉は娘に向けていた顔を僕の方へと向ける。
「何やってんの?太一。早く入んなよ」
「香音……」
「何?お父さん」
「ドアは周りに人がいないかどうかよく見てから開けなさい」
「え?」
「今、思い切りお父さんの顔を打った」
「えー」
パタパタと戻ってくる。
「どこ?痛い痛いの飛んでいけ、したげる」
「いえ、結構です」
「ほらほら早く中に入ろ?」
ちっちゃな手に引っ張られる。
「香音ちゃん、久しぶりね」
「おじいちゃん、おばあちゃん」
父と母に向かってニコニコしている。その後香音はそおっと横に目を流す。
「初めまして」
「どうも。弟の中條太一です。この子は長女の香音です」
娘が恥ずかしがって、僕にピッタリと抱きついて隠れようとする。
「上条樹です。こっちが父と妹の梨花です」
父と同年代の叔父さんと若い女の子がそっと頭を下げた。
「どうも」
「もう、落ち着かないな。早く座んなよ」
言われてテーブルに香音と一緒に座った。中華料理の回るテーブルを香音が珍しそうに眺めてる。
「太一、一人で来るんじゃなかったの?」
「それが……」
「新太がね。お熱出しちゃったの」
「え?」
「インフルエンザなっちゃって」
「ええっ」
その場にいた中條家の皆さんのけぞる。
「そんなん、京香さん一人で大丈夫なの?」
「それが、いる方が邪魔だって言われて」
チーン
「俺も香音もそばにいたら感染る。そしたら、三人の看病しなきゃいけなくなるからさっさと行けと追い出された」
「ああ、そう……」
「あ、そうだ。この度はご婚約おめでとうございます」
「あ、どうも」
姉と姉の横に座ってる樹さんが笑顔になった。身内に言うのもなんですが、美男美女のカップルだ。俺と住む世界が違う。
じっと二人の様子を見ていた香音が不意に口を開く。
「お兄さんは……」
「えっと、伯父さんでいいよ。香音ちゃん」
「……」
香音が止まった。
「おじさんは、でも、ダメじゃないの?」
「いや、だめも何も、結婚したらこれから僕は正真正銘の香音ちゃんの伯父さんです」
樹さんがそういうと、香音は変な顔をした。そして、じっと横にいる僕を見る。
「いや、何も間違ったことは言ってないよ。樹さんは香音の伯父さんだ」
「でも、おじさんやおばさんは、言ったらだめだって……」
「それ、誰に教わったの?」
「千夏ちゃん」
チーン
「あ、香音ちゃん、そのことはもう忘れていいよ」
姉が若干引きつった笑顔で伝える。
「でも、千夏ちゃん、おばさんって呼ばないでって言った」
「昔の話だから」
ぶっくくくと笑う声がする。
「ちょっと何笑ってるのよ。樹君」
「日本語きちんと覚えなきゃいけない子に、何、曲がったこと教えてんの?」
「うるさいわね」
食事が運ばれてくる。ちょっとお酒が入ったら、母がことのほか上機嫌になった。一人でペラペラと話している。おめでたい席で皆ニコニコとそれを聞く。でも、あまりに長く続くので、だんだんおいおいと思い始めていた。
「なつ」
不意に父が口を開く。
「はい」
「嬉しいのはわかるけどさ。主役でもないんだから、少し黙りなさい」
ピキ
この、これから親族となる重要な日。皆初対面でそれなりにギクシャクしてました。母がピヨピヨと確かにかなり長く話してましたが、別に不快と言われるほどでもありませんでした。皆無難にいきたいじゃないですか、これから長くお付き合いすることになるのだから。そんな場の雰囲気を父が割りました。
「いや、お父さん、そんな言い方しなくてもいいじゃない」
姉がフォローを入れる。母はしょぼんとした。すげー可哀想なんだけど。
「お父さんってほんっと、ときどきデリカシーないんだから」
「……千夏、いいの。お母さんが悪かったです」
いつも明るい母が別人のように暗い顔をしている。この瞬間、ここにいる大人、全員が母の味方につきました。
無言のうちに、ジトーっと父を責める空気になる。ま、でも、おめでたい席なんだから、まあまあ、心を入れ替えようとこの場の三人の大人が思った。一人の大人は落ち込んでいて、そして、もう一人の大人は……、
「よくないわよ。お父さん、謝って」
チーン
姉はですね。一見とっても理性的な人に見えるんです。実際、会社ではバリバリ働いて頼られている人ですよ。だけど、家族の中では血の気が多い。
「なんだ。お父さんが悪いのか」
「お父さんって、時々無自覚に人のこと傷つけること言うんだから」
「なんだ。自分だって普段はお母さんにひどいこと言うくせに」
ぽかーんとした顔して、上条家の皆様が、固まってしまった。
姉ちゃんってまだ入籍してなかったよな……。こんなところを見せてしまっていんだろうか?ギリギリで破談とかなったらどうするんだ、おい。すると、コース料理のスープが運ばれてくる。険悪な雰囲気にお店の人は気づくこともなく、スープを卓上におくと、人数分のお椀に入れてテーブルを回していく。一番最初に香音の前で止まった。
「わ〜、おいしそー」
子供の声が部屋に響いた。手を伸ばして手元に取ろうとするので遮った。
「お父さんが取ってあげるから」
「うん」
それで、場の雰囲気が和んだ。ナイスだ。香音。偶然とはいえ、連れてきてよかった。
香音は手元に置かれたスープをじっと眺めていた。フカヒレスープでした。
「ね、お父さん、これ、なあに?」
フカヒレを指差して、香音が聞く。
「お魚のヒレです」
「何の魚?ヒレってどこ?」
「フカって魚」
「どんな魚?」
「こんな魚」
めんどくさいので、フカの真似をしてみました。
香音はじめ、その場にいるその他の大人6人の冷たい視線にしばし晒された。
「全然わかんないよ。お父さん」
「ああ、もう、嫌なら食べないでいいですよ」
「あ、また、ギムを果たさないっ」
「え〜」
ぶっと周りに笑われた。6歳の子供が義務なんて使ったからおかしかったのだろう。これは妻の口癖を香音がコピーしてんです。
「絵、描いて。お父さん」
「ペンがないよ」
そして、スープが冷めます。すると向こうに座ってた樹さんの妹さんがニコニコしながらカバンを探ってる。
「わたし、ありますよ」
そして、ペンを渡してくれた。それを受け取ってナプキンにフカの絵を描く。はっきり言ってちゃんと描けているとは思えない。動物なんてそんな興味ないし、ゾウとかライオンとかならかけるけどさ。
「フカだ」
ということにしておいてください。香音はじっとそれを見た。やれやれ。
「イルカ?」
「フカだ」
「フカはイルカの仲間?」
「近からずも遠からずだ」
まだ眉間に皺を寄せている香音を尻目にやっとスープをひと匙掬って飲みました。いや、なかなか良いお味だ。
「で、これはどこの部分」
「ここだ」
背びれでしたよね?確か。絵の背中の部分を指さす。
「お父さんの体で言ったらどこ?」
「ええっと、ここ?」
俺も体硬くなったなと思いながら、背中の一部を指さす。香音は僕の背中を覗き込んだ。
「何もないよ」
「あるわけないだろっ。お父さんはフカではなく人間だっ」
見ていたみんなが笑い出した。
「いや、太一さんって千夏さんが言ってた通りの人ですね」
樹さんが笑ってる。
「お姉ちゃん、僕のこと、なんて言ってたの?」
「太一は太一だよ。太一以外の何者でもないでしょ?」
いや、答えになってませんが。
喋っている大人をよそにフカヒレに対する警戒を解いた娘はおもむろにスープを口にした。
「美味しい。でも、冷めてる」
いや、それはお前のせいではないか。と突っ込みたいが我慢しておく。樹さんが笑って、香音に向けて手を伸ばした。
「こっちの容器に入ってるのはまだ冷めてないから足してあげるよ」
僕はすみませんと言いながら香音の器を樹さんに渡した。樹さんがお玉でスープを掬ってくれる。
「はい。どうぞ」
「ありがとう。お兄さん」
「おじさんでいいですよ」
「おじさん」
優しそうな人ではないですか。よかったね。お姉ちゃんと思う。
バリバリ働いていて、30過ぎるまで長い彼氏ができたこともなかったみたいだし、ちょっと心配していたけど安心しました。
***
「今日は香音ちゃん、おじいちゃんとおばあちゃんと寝る?」
「うん。やった」
母と娘が手を繋ぎながら店を出てエレベーターへと向かう。皆、ゾロゾロとついていくときに樹さんに声をかけた。
「あの、お義兄さん」
「え?」
ギョッとした顔をして固まった。
「あの、年齢、太一さんの方が上ですし、お義兄さんというのはちょっと……」
姉の婚約者は姉より5つ年下だった。
「じゃあ、樹さん、今帰らないと行けないですか?」
きょとんとした後に姉の方を見る。
「何よ。太一」
「いや、俺もいつも東京まで出てくるわけじゃないし。折角だからもうちょっと話したいなと」
「ふうん」
「男同士で」
「……」
姉が僕の真意を確かめんとばかりに無表情にじっと見てくる。
「あ、じゃあ、折角ですから。千夏さん、先帰ってて」
ポケットから鍵を取り出して、姉に渡す。結婚式はまだだけど、既に二人で住んでました。姉は鍵を手渡す樹さんではなく、じっと僕の方を見ていた。僕はちょっと前にいる香音に教えてやりたかった。香音、フカとは今のおばちゃんみたいな顔をした魚だよと。
「あまり遅くまで引き止めないでね」
「うん。わかってるよ。あ、母さん」
エレベーターの前で香音と手を繋いでいる母とその横にいる父、香音の方に声をかける。
「ごめん。先に香音を連れて帰っててくれないかな」
「お父さんはどうするの?」
「おじさんとちょっと話があるからさ」
香音は母を見て、母は香音を見た。
「どうする?」
「おばあちゃんがいればいい」
「そこにおじいちゃんは入らないのか」
香音は父を見た。意外と些細なことで拗ねるからな。この人も。
「おじいちゃんとおばあちゃんがいればいいよ。でも、あんまり遅くならないでね」
もう片方の手を父の方に伸ばして両手をそれぞれに預けると香音は笑った。
「いい子ですね」
樹さんが言う。
「いや、家ではもっとわがままですよ」
僕は苦笑した。どこかこのホテルのお店に行こうと言って、そこで皆がエレベーターに乗るのを見送った。
「改めましてご婚約おめでとうございます」
「ありがとうございます」
中華料理店があった階より上のバーに行きました。夜景の見えるようなお店の窓際の席に男二人で座って、乾杯をした。
「あんな姉ですけど、よろしくお願いします」
「ああ、いえ」
「何か辛いことがあったら、遠慮しないで電話してきてください」
「え?」
僕はじっと目の前にいる姉の婚約者を見つめた。心情としては両手でその手をグッと掴みたかったけど、どう考えても怪しいのでやめておいた。樹さんの目が一瞬泳いだ。
「いや、辛いことなんて別にありませんよ」
「誤魔化さなくて結構ですよ」
「え……」
「僕は姉と家族ですが」
「はい」
「生まれた時から虐げられてきたいわば第一の被害者です」
「え……」
しばらく沈黙の時が流れた。夜景がキラキラと瞬く様子が目の端に映る。
「僕は、あなたの、味方ですから」
噛んで含めるように言ってきかせる。
「外の人には言っても信じてもらえないでしょう?みんな優等生で外面のいい姉の味方をして……」
「……」
「でも、僕ならわかりますから。聞くくらいしかできないけど、それだけでもずいぶん違うでしょう?」
「……」
ふっと不意に樹さんが息を漏らして、両手で頭を抱えて下を向く。
「お代わり頼みましょうか。すみません。メニューください」
「いや、あの……」
「大丈夫。姉には絶対言いませんから」
「いや、別に、そんななんかあるわけではないですよ」
「でも、ちょっとしたことはあるでしょう?」
「……」
「今までどんなことがありました?」
「えっと……」
躊躇しながら僕の顔を見る樹さん。その目が、ずっと昔に香港の路上で僕の腕を掴んだ金髪のお兄さんの目と重なる。
男として助けてあげなければなるまい。あのかつてのお兄さんは語学の壁があり何もしてあげられなかった。でも、この人は日本人だし。
「ほら、うちの父も言ってたでしょ?姉はですね、時々無自覚に人を傷つけることを言うので」
「男心がわかってないなぁって思うときは、時々ありますけど……」
「昔っからです」
「昔?」
「ええ。昔っから」
「治んないんですかね?」
僕は酒のグラスを持って、傍の同志の目を見つめた。
「言ったことはあるんですがねぇ」
「その時はどうなりました?」
「殴られました」
「……」
「さ、まぁまぁ、そんな暗い顔しないで、飲みましょう。今日は」
「すみません。お付き合いいただいて」
「大丈夫ですよ。相手が変わらないのならね、うまくかわせばいいんですよ」
「かわす?」
「そう。かわす」
結婚前の男の人って、こんな暗い顔するものだっけ?
ま、でも、あの人は筋金入りだからなぁ。
かろうじて神様から頂いたご縁を誤って爆撃機とかで攻撃するなよ、姉ちゃんと思いつつ、兄弟と酒を酌み交わす。
了