見出し画像

短編小説:美食家_2021.03.04

それは、上条暎万、高校三年生になったばかりの春

彼女の通っていた高校は、中学から大学までがエスカレート式になっている女子校、お嬢様学校でした。
担任の先生はベテランのおじさん。たぬきかキツネで言ったら、たぬきでしょう。お腹も出てるし、髪は若干寂しいです。でも、人生を真面目にこつこつ生きてきた人です。お腹と髪くらいなんですか!大目に見ようではありませんか。

「上条」

 帰りのホームルームが終わって、友達のすみちゃんと話しながら帰ろうとしていた暎万ちゃん。担任に呼び止められた。

「はい」
「ちょっと職員室来なさい」

 ガラガラ、ピシャ
 質問する隙を与えず、行ってしまったたぬき。

「暎万、あんた、なにしたの?」
「いや、なんかきっと褒められるんだよ」
「なにで?」
「いや、よく覚えてないけど、なにかで」

 本人も覚えていないような、褒められるようなことを無自覚に施しながら生きている人間か?お前は。目を覚ませ。上条暎万。お前は水戸黄門ではないぞ。

 しかし、暎万ちゃんは褒められる前提で廊下をゆく。今晩の夕飯はなんだろう?これが終わったら、おばあちゃんに電話してみようかな?それで、もし、意に沿わない内容なら、おかずの差し替えか追加をサジェスチョンする。それまでに、今晩はなんの気分かをまとめておく。おばあちゃんの夕飯の支度前に連絡入れないと……。
 頭の中で、段取りを立てる暎万ちゃん。
 うーん、わりとぎりぎりだな。

 考え込んでたら、職員室の前を通り過ぎた。
 廊下の突当たりまで来て気がついて、来た道を戻る。

「先生〜」
「お、来たか」

 机の上の湯呑みのお茶を一口飲んで、それから机の上からバインダーを一つ取って立ち上がる。

「え、ここじゃないんですか?」
「となり」

 職員室のとなり、生徒指導室。これは、褒められるための部屋か?名前よくないよね。もうさ、上から目線はやめようぜ。令和なんだからさ。生徒支援室とかさ、生徒フレーフレー室とかさ。

 部屋の名前を記したプレートを見上げながら、より良い名前を考える暎万ちゃん。

「何やってんだ。早く入りなさい」
「はい、すみません」

 先生の前にちょこんと座る暎万ちゃん。ごほごほ軽く咳をしながら、持ってきたバインダーを開く先生。暎万ちゃんは全エネルギーを放出して、先生を観察する。

 怒りや緊張オーラ、なし。
 警戒レベルが一つ下がります。
 ワクワクオーラ、なし。
 先生の演技力スキルから推察するに、この普通のテンションから、まさかのよくやった、お前、天才みたいな展開へ流れる確率は……

「これ」

 ぺらっと一枚紙が机に置かれる。
 思考を遮断された暎万ちゃんは、その紙をじっと見つめる。自分の筆跡。うん、書いた、書いた。覚えてるよ。

3年1組6番 上条暎万
進路第一希望 美食家

「これが、なにか?」
「これは、進学先か、うちの学校ではほとんどないけど、就職希望先を書く欄だ」
「はい」
「お前は進学しないのか?」
「どこの学校行けば、美食家になれますか?」
「……」

 学校の先生はね、一年に一人くらいは、こういう右も左もわからない宇宙人のような人を相手にしなきゃいけない職業です。

「親御さんにはちゃんと見せた?」

 暎万ちゃんは不意にその紙の表と裏をぺらぺらとひっくり返して確認した。

「どこにも親に見せろと書いてないではないですか」

 つまり見せなかったのね。若干、煙草すいてぇなと思いながらも我慢して続ける先生。

「学校に行くお金を出すのは、親御さんなんだから、普通は見せるでしょ」
「いや、わたしは進学しないんで」
「しないでどうするの?」
「美食家になります」

 それはつまり、親の金で生活しながら、フリーターにでもなって、おいしいものを食べる、すねかじり人間ではなかろうか……。

 ごほん、咳払いした。先生。

「親御さんが進学に反対してるとかか?」
「いや、そんなこと言われてません」
「お父さんとお母さんは上条の将来について、なんて言ってるの?」

  場合によっては親を呼び出さないとなぁと思いながら聞く。
 暎万ちゃんはいつもお兄ちゃんに言われてることを流用しました。

「結婚しないで生きてくなら、しっかり一生食ってける職を手に入れろ。お兄ちゃんに迷惑をかけるな」
「それは、美食家になってできるのか?」

 というか、美食家は職業か?気づけ!上条暎万!

「わたしがおいしいものを食べることで、兄に迷惑をかけたことは一度もありません」

 嘘です。今まで何度も兄の皿から好物をかっさらったことがあります。

「では、そのおいしいものを食べるお金はどこから出るのか?」

 暎万ちゃん、上目遣いになってくうを見つつ、考える。

「空から降ってくる!」

 んなわけねぇだろう。

「いいか、上条、美食家っていうのはさ」
「はい」
「レベルあげして、レベルあげして、最終的にたどり着く最終形態みたいなもんじゃないのかな?」

 女の子でゲーマーの子って一部だけど、こういう不思議女子は、お洒落よりゲームじゃね?と思ってアプローチを変える先生。

「それは、つまり、ラスボスですか?」

 お前は悪役なのか?

「まあ、そういうことかな?」
「ジョブチェンジですね?」
「……そうだな」

 進路希望調査の紙を見ながら、黙り込んだ暎万ちゃん。

「だから、入り口の職業は、別のものでないと」

 先生、ちょっと、考えを巡らす。

「食に興味があるなら、レストランを経営する会社や、食品会社の商品企画とか目指してみたらどうだ?」

 そう言ってみたら、あら不思議。先生の頭の中に、迷子の宇宙人のようだった暎万ちゃんが、きちんとスーツ着て、先生、その節はお世話になりました。これはわたしが開発商品化したお菓子ですと手土産片手に挨拶にくる場面が浮かんできた。いや、教師冥利に尽きます。

「それじゃ、食の奴隷です。わたしは食の王様になりたいのに」

 はい?なんて言いました?
 この人、日本人なの?言ってることさっぱりわからないんだけど。というか地球人ですらないのでは……

 先生の忍耐力スキルが、1、上がりました。

「どうして、奴隷なの?」
「食を作り出すのは、食の奴隷です。わたしはそれを享受する側になりたいんです」

 それ、普通の消費者でいいんじゃね?

「とにかく、楽してこの世の美味しいものを上から中心にしこたま食べて、ごちそうさまでしたって言いながら死にたいんです」

 一度上がった先生の忍耐力スキルが、2、下がりました。疲れとストレスのダメージを受けます。ボスッ!

「それにしたって、お兄ちゃんのお金でおいしいものは食べさせてもらえないんだろ?」
「はい。兄はそんな優しい人間ではありません」
「それなら何かの職業にはつかないと」
「うーん」
「いきなり美食家にはなれないんだから、就職するのはやめて、とりあえず、進学したら?」

 じっとウサギのように先生を見上げる暎万。

「わかりました。進学します」

 お、いうこと聞いた。腕組みしていたのをほどいて身を乗り出す先生。

「国立か私立か、それとも、専門学校とかか?」
「うちの付属で」
「……」

 え、いきなりそんな搾ります?フツー。あんた、さっきまで就職希望だったんじゃ?

「そんな、今日、ここで決めなくてもいいから、いろいろ資料見なさいよ」
「いや、どのルートを辿っても最終的に美食家になれれば、わたしは問題ないんで」
「なんでうちの付属なの?」

 答えは聞かなくても知っている。しかし、聞いてしまった。

「楽だから」

 先生、ここは生徒指導室ですよ。指導しないと。

「さ、先生、うちの付属のパンフを出してください。ちゃちゃっと学部を決めちゃいましょう」
「お、おう」

 思わず立ち上がってしまった先生。
 先生が堕落しました。社会的信用ポイントが0.5ポイント下がります。出世への道がまた一歩、遠のきました。

「うーん、どれにしようかな」
「親御さんは、簡単に決めて、大丈夫なのか?」
「瞬間的にエネルギー使えば、親は突破できます。やや、厄介なのはお兄ちゃんですけど、あの人も自分に面倒が起こらないとわかればそれ以上は言ってきませんから……。あ、先生、これに決めた。これなら、授業中寝ないですみそー」

 先生、暎万ちゃんが指指してるとこ見た。

 家政科

「なんか、消えないなー」

 進路希望の用紙の美食家のとこを消しゴムでガシガシやってる暎万ちゃん。

「あ、ペンで書いちゃってた。先生、これ、線で訂正して、大学名と家政科って書けばいい?」

 美食家改め家政科
 この、安易な生徒指導の経緯を彷彿とさせるようではないか。これ、学年主任の先生も見るのね。

「こっちの新しいのに書きなさい」

 先生の、証拠隠滅スキルが、1、上がりました。一度遠のいた出世への道が少し近づきました。



 それから、月日は経ちました。先生の髪は更に薄くなり、お腹は相変わらず出ています。たいした出世はしませんでしたが、学年主任にはなれました。
 そんなある日に街を歩いてて、呼び止められた。顔をあげると、歩いていた道沿いにカフェがあってそのテラス席に若い女性が座ってる。その向かいにコックさんみたいな白い服着た男の人が座ってました。

「覚えてます?上条です。上条暎万」

 その人なら覚えてます。宇宙人みたいな人でしたよね。よく見た。化粧してるけど、本人。まだ、地球にいたのか、こいつ。

「上条か。久しぶりだな。お前、今、何やってんだ?」
「いや、彼氏の昼休みにちょっと近くまで来てたから寄ってみたんですけど……」
「いや、そうじゃなくって、仕事してんのか?」
「ああ」

 なぜか、家事手伝いをしてる前提で会話を始める元担任。ガサゴソでかい鞄探る元生徒。

「はい。これいっつも配布用に持ち歩いてんで」

 雑誌渡された。あんだ?
 よく見ると、それはグルメ雑誌でした。

「あ、これ、見たことあるぞ」
「そこの、蟹特集の記事、わたし書きましたから」
「……」

 人はね、年取ってくると、レスポンスに時間がかかります。

「ええっ!」
「そんなに驚かなくても」

 雑誌と暎万ちゃんを交互に見比べる元担任

「じゃあ、お前、うまいもんたらふく食ってんのか?」

 きらーんと暎万ちゃんの目が光る。

「食ってますよ。全国のうまいもの、しかも、経費で」

 先生の頭の中に一つの四字熟語が浮かび上がる。

 有言実行!

 いや、来春の書初めはこれでいこう。

「お前、夢叶えたじゃないか。美食家の夢」

 ここで、ちっちっちっと指を振る暎万ちゃん

「なんだ。違うのか」
「よく考えたらね。わたし、美食家になる必要なかったんです」
「え?なんで?だってあんなに……」
「わたしは、よく考えたら、離乳食始めた頃から、とっくに美食家でした」
「……」

そっからすか?

「よく考えたら、美食家は称号であって、ジョブではなかったんです」
「はぁ」

 その違いがよくわかんないんだけど。でも、まぁ、どーでもいい。

「じゃ、もうがんばらないのか」
「いえ、称号にもランクがあるので」
「ほぉ」
「わたしは死ぬまでに、世界の誰もが平伏する希代きだいの美食家を目指します」

 ちーん
 やっぱりこの人、宇宙人じゃん

「それになるとどうなるんだ?」
「わたしの一言で、無名だった料理人が脚光を浴び、潰れかけてた名店が息を吹き返します。逆に、北海道たらばではないものをさも、北海道産であるかと偽って出すような輩は制裁を受けます」

 つまり、ただの迷惑な人だな。食の独裁者?

 相変わらず、その迫力に圧倒され気味の先生。ふと、テーブルに座って頬杖つきながら、フツーの顔して二人の会話を聞いている男の人に顔を向けます。上条の彼氏。なんでこの人、こんな服着てんの?
 その視線で意味を悟ったのか、暎万ちゃんが言います。

「ああ、わたしの彼、ここのお店のパティシエなんですよ」
「どうも、片瀬です」

 ちょこんとお辞儀されました。

「パティシエ?」
「ケーキ職人」
「ああ……」

 つまり……、先生はじっと暎万ちゃんの彼氏を見ながら思います。
 この人は上条に捕まった、食の奴隷なわけだ。

 先生の胸に憐れみの感情が沸き起こる。
 かわいそうに優しそうな好青年なのに……
 宇宙人に捕まってしまった地球人

「お仕事、お疲れ様です!」
「え?あ、はい」

 いきなりきっちりお辞儀されて、驚くひろ君

「じゃあな、上条。暇があったら高校にも顔出しなさい」
「職員室で定期購読してくださるなら、伺います」
「……」
「そっから更に、先生方、個人で定期購読してくださると嬉しいんですけど」
「……」
「だってね、先生。高校時代は平凡だった一生徒も、一念発起して、こんな記事書いてんだぞ、君も頑張んなさいってのに使えるじゃないですか」

 ここで先生、顎に手をかけて、ちょっと考える。
 ふむ

「教頭先生に相談してみる」
「ご連絡、お待ちしてまーす」

 先生に渡した雑誌にさっと名刺を挟むと、ひらひら手を振る暎万ちゃん。先生は去りました。

 プチ未知との遭遇でした。

「暎万、お前、どんな高校生だったんだよ」
「え?どうして?」
「なんか俺のこと、犠牲者を悼むような顔で見てたぞ」
「ひろ君がどうして犠牲者になるの?」

 さっぱりわからないらしい。

「よっぽど迷惑かけたんだろ。高校のときに」
「いいや。普通の高校生だった」
「お前の思ってる普通は、他の人から見たら普通じゃないんだよ」
「いいや、わたしは普通だった。成績も真ん中。スポーツも目立つほどできず、さりとて、目立つほど鈍臭かったわけでもなく」
「ああ、わかった、わかった。もういい」
「なによ。信じてないでしょ?」

 ひろ君は笑った。

「俺は別に普通の子が好きなわけじゃないし」


 




























いいなと思ったら応援しよう!