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スターバックスの向こう側

かわいいイラストお借りしました!
<(_ _)>

今日はワタクシの国際結婚というよりは格差婚について書いてみようかな、と思い筆をとる。

手酷い失恋して、その後東京で良き人はいないかとウロチョロしたが、なんだかいまいちうまくいかず、もう男とか結婚とかどうでもいい。海外渡り歩いてやろうと思って一国目の中国に来たその日に結婚相手と出会う。今の主人である。

かみさま、意味不明です。ほしいと思っている時は日照りで、どうでもいいと思ったら降ってくるなんて。

ちなみに付き合い始めた頃、私が市内まで行ってシーツを買った。そのシーツの値段は主人の当時の月収の三分の一の値段でした。

今思い出してみると、よくもまあ別れなかったよなと思うよ。

あの時の二人はこんな感じだった。中国国内の筆記用具がこの世のものとは思えないほど書き味が悪かったので(水性ボールペン)、香港まで買いに行く。そんな行為が信じられないと言われ、市内に遊びに行った後、バスを乗り継ぎ帰ろうと彼はいい、私はタクシー使うと言って喧嘩してた。

あの頃の日本人、20代の私の給与は大学新卒の主人の給与の三倍でした。中国で日本人はあの時、みんなお金持ちでした。そりゃタクシー使うだろ!中国のタクシーは日本より安いし、自分たちは市内からタクシーで1時間もかかる不便で治安の悪いところに住んでたんですよ!

懐かしい。まだ綺麗だった頃の自分と素朴だった主人。よく別れなかったな。

そうそう、そしてこれである。スタバ。あの頃うちの主人が一番信じられないのがスタバのコーヒーの値段でした。奢ってやるから入ろうと言って入り、奢ってやった飲み物の前でめちゃめちゃ不機嫌な若い男の子の写真が残っている。昔の旦那だ。

あの頃はなんか、ツバメを飼うというのはこういう気分だろうかと思っていた。

男性なら多分、ああ、可哀想とすぐ思うだろう。しかし、女性は意外とわからない人がいますよ。

「なんで奢ってもらってるのに不機嫌なの?高いと思うもの奢らされたら怒るけど、奢ってもらったならラッキーじゃない?」

そう思った女性のあなた、お兄ちゃんか弟か同僚の男性に聞いてみましょう。なんで?

で、我々は先に進もう。

そうそう次に言いたかったことは、我が結婚前と結婚後に言われた傑作ご意見集。結婚前に二人の日本人の方に、結婚しない方がいいと言われました。一人は男性の方でバツイチの人でした。もう一人は年下の女の子でめっちゃ可愛い子で玉の輿系女子でした。(女の幸せは玉の輿に乗ることだという信念のもとに可愛い女子のこと)

これを言われてバツイチの人にはイラッとして、玉の輿女子には内心うわぁと思った。うわぁと思ったのはあれだ。この子ね、うちの旦那に当時いろんなこと手伝ってもらってたの。ほら、中国で外国人だと不便だから。お世話になっている人(旦那)が不幸になるかもしれないことを陰でさらっとしれっと言ってしまうのねと思った。

ただ、当時のイラッとしたり呆れた気持ちと、今は違う。やめといた方がいいと思わず言ってしまった気持ちがわかります。これから国際結婚しようとしている人も結婚前に知っておいた方がいいと思いますが、統計とか取ったわけじゃないけど、国際結婚の離婚率は高い。私の周りにも男性が日本人の場合と女性が日本人の場合で中国人と結婚した人がいっぱいいますが、可哀想な話をそりゃもう何件も聞いたのよ。

私の場合は、私が女でしかも私も安定した収入があるわけじゃなく、主人の給与は一般の中国人の給与でしたから、うまくいかなくなる確率は高かったわけ。だから、老婆心で言ってくれた一言だったんだろうと思います。

そして結婚後、息子を産んで一児の母になったばかりの頃知り合った日本人男性に、中国人と結婚して子供が一人いるといったらめちゃめちゃ驚かれて

「なんで?全然日本人と結婚できるレベルなのにっ!」

これを聞いて私は内心ムッとしたか?いや、あまりになんというかな発言だったので、怒りの180度ではなく一周まわった360度の状態になり、ツボった。何を君は日本人男性至上主義なんじゃと。むしろ、世界では結婚相手としてランキングしたら低いと思うぞ。どこの世界に自分が日本人と結婚できるレベルじゃないからって中国人と結婚する日本人女性がおるねーん、ねーん、ねーん……!

今度どっかの自己紹介で言ってみるか?

「どうも。日本人と全然結婚できるレベルなのに中国人と結婚した汪海妹です。イエーイ!」

この自己紹介はかなりの際を言ってるな。ふ、ふふふ。

で、ところで、やめとけと言われたのに全然迷わなかったのかという話ですが、

全然迷わなかったよ。

ここで、あら、愛がお深いようで、きゃっ!なんて思わないでくださいね。真相はこうだ。結婚どうでも良かったんだ。一人で生きていく人生のオプションに結婚をつけたわけで、イメージ的には何か問題があれば外せる部分だと思ってました。

チーン

思ってましたぁあああ!

で、自分の給料の三倍の給料の彼女と付き合っている主人はどうなったのか?上記に挙げたような結婚をやめとけと言ってくる日本人もいたが、それよりも多くの日本人の男性が、主人に……

大いに同情した。大いにだ。

「え、あの⚪︎⚪︎さん(→実名)が奥さんなの?」
「はい」
「え、あの、酒の強いので有名な⚪︎⚪︎さん?」
「……」

弱いわけではないが、そこまではちゃめちゃに酒が強いわけではなく、私はフェイントが使えるアルコールドリンカーなので、みんな騙されてるわけです。本当に飲んだ量よりたくさん飲んだみたいに勘違いして、そして、私の通り名は酒の強い⚪︎⚪︎さんになってしまった。からの……

この人(主人)、悪い人じゃないのに自分より給料の何倍も高いお金のかかる女の人好きになっちゃって。しかも大酒飲みの、かわいそうに……
何かしてあげたい。同じ男として、で、

「もうちょっと旦那さんに優しくしてあげなよ」
「ん?」
「すっごい頑張ってるじゃない」
「そうなんすか?」

次から次へと私に説教する日本人男性の列が。みんなでバトンタッチしながら交代で恐竜(私)に挑む人達みたいだったぜ。そして、日本人男性の応援してあげたいを追い風に、見積書にサインをいくつかもらっている主人。なかなかの曲者である。(当時日系企業が顧客のサービス業だった)

「なんか、ご主人って日本人ぽいよね?」
「中国人です」
「でもなんか日本人に近いものを感じる。顔なんかも」
「そりゃ中国人と日本人の顔は元々似てるでしょ?」
「違うんだよ。他の中国人と違うんだよ」
「ハァ」

そして、私の旦那だということで界隈の日本人の中で有名になった主人は、日本人男性の間で不思議なモテ方をするようになった。

そして後日談である。最初はワタクシのかわいいツバメだった主人。下手したら俺(私)が養ってやるかと思ってたのだが、実は私、生活力とかあまりないし、金運もあんまなんですよ。よくいるじゃない、世間ずれした学者とか不思議な世界に住んでる芸術家とか。人を養うより面倒みてもらう系のああいう人間です。

このまま、子供抱えて親子3人慎ましく生きてくか、結婚に行き詰まり息子連れて実家に泣きつくか、そんな可能性は高かった。

ところがである。私は占いが結構好きなのだが、私は金運がない人なのだが、実は結婚運が強い。

……

あんた、結婚どうでもいいって言ってたやんって話なんだけど、そうなんだよね。全然結婚狙って生きてなかったよ。結婚絶対するもない、絶対しないもない。どうでもよかった。できるならしとくか。私ダメ人間だし、と思ってしたんです。

つうか、結婚運ってなんだよ。わたしゃ田舎の優等生で行かなかったけど早稲田に行けと子守唄で聴かされながら育って学校の先生にも人気もんで、誰一人として私に結婚しろとは言いませんでしたが?

ところがである。運命って変なもんだ。仕事運悪いのにめげずに食いついてすったもんだしても、私の給料は中国に来た当初から一旦下がりそれから上がりましたが……。それに対して主人は中国の高度経済成長の波にのり、まず8倍になり私に並んだ。

私は彼を大事なツバメだと思っていたので、ツバメがツバメではなくなることに抵抗を覚えました。

「俺(私)が養ってやってると言ってるのにっ!」
「……」

今はもう悟りを開いて自分に金運はないと割り切ってますが、その頃はまだ葛藤の中にいた。自分というのは元々はこういう人間。好奇心旺盛で研究家気質というか知識欲の強い人。そして本当は金銭欲が弱いんです。全然ないわけじゃないけど、そこに対するガッツより知りたいことをとことん調べて見えてくるとα波が出る人。しかし、子供の頃から親や先生に頭いいから金を儲ける人間になれと言われてそのモビルスーツを着て戦ってきたわけですよ!大して結果は出してこなかったけど!

この頃はまだ自分は女だてらにモビルスーツを脱ぐ気はなかったので、ツバメを下に見て負けたくなかったのです。

ところがうちの主人、只者ではなかった。給料が私に並んで満足するかと言ったらそうではない。そっからまだ金を儲けようとした。そして、こう言ったのである。

「給料なんかに頼っていたって人間は稼げない」

何を言い出すのかと思いました。おいおい乳飲子抱えてまんがな。大丈夫か?こいつ。

「給料は投資の原資である」

チーン
忘れられません。給料なんてちっぽけなお金と言い切ったうちの主人とのあの時、あの場所、あの瞬間!

オギャー(→その時子供はまだ赤ちゃんだった)

そして、株に手を出したのである。主人は仕事をしている時間以外のすべての時間を株の勉強に費やし、株を運用し出した。折しも中国経済は絶好調の時です。我が家は夫婦でダブルインカム別財布。ツバメが何かし始めたぞと思いつつ、乳飲子抱えてわしゃ自分のインカムはきっちり守り、地味に銀行の定期とかさ、コツコツ貯めてました。コツコツ。(ちなみにこの時はまだ旦那に対抗意識を持っていた。負けるもんかと思ってた)

すると……

数年後に、主人の資産は私の資産の三倍になりました。株も入れてですが。それで私がどうなったかというと、

真面目に働くのがバカらしくなりました。あったりまえやー。
真面目に働いても自分の給与は劇的に増えることはないし、嫌なことはあるし、かと思えば、仕事以外であっさり金儲けているのをまざまざ見せられたし。

負けた、負けたーーーーー!

「株に手を出すのはやめなさい。あなたは知識がありませんから」
「はい」
「でも、定期は利回りが悪いから全部定期にするのはやめなさい」
「はい」
「わたしが紹介した理財商品買いなさい」
「はい」

しばらくして

「先生、まっかっかです。減りましたぁ」
「長い目で見なさい。さがったからってすぐ売るのが素人です」
「そうなの?」
「そこで我慢できる人が最後に儲けます」
「そうですか」

日本人の人と結婚していたら、どうなっていたのだろう?あるいは結婚していなかったら?しかし今私は、日本人的感覚とは全然違う中国人の投資感覚を教えてもらいながら、自分のお金を運用しています。

主人は、日系企業向けのサービス業で、中間管理職としてそれなりの長期間を費やしていましたが、自分の経営に対する提案が全く通らず、そして、その会社のビジネス機会を損失しているという状態をたっぷりと見た後で、自分は指示を出せる立場にならなければ何もできないと、会社を辞めて友達と一緒に独立しました。業種は異なるのですが、やはりコンサルというサービス業なので、コンテンツは変わってもコンサルというノウハウが生きてくる。それと選んだコンテンツに時代性があったのですね、なかなかどうして友達と一緒に結構しっかりやってますよ。

で、自分も、自分にできないことやなれないもの、つまりは、ガンガンバリバリ働いているキャリアウーマンとでもいうのかな?そんなものを目指すのはやめて、昔の知らないことを追いかけてそれがわかると純粋に喜んでいた素朴な自分に戻ろうかなと。石をひっくり返してダンゴムシの数を数えて喜んでいるような人でしたからね。人の役に立ちたいという気持ちはある。でも、みんなに自慢できるような立場になりたいという気持ちは消えました。

元の自分に戻ろう。せっかく生きているんだもの、自分が得意で自分が好きなことをして、それでもし人の役に立てたら嬉しいな。

私は、金を儲ける戦士というモビルスーツを脱ぎました。そういうのは得意な人たちに任せることに。

ちなみに、昔、私の主人を自分たちの弟のように思って可愛がってくれた日本人男性の人たちに会うことがあると

「どう?大丈夫?うまくいってるの?」
「まぁ、ぼちぼちですかねぇ」

自分が、ツバメがツバメでなくなってきた時のあの戸惑い。そして、コツコツ頑張ってきたのに株やらなんやらであっという間に貯金額を追い越され、真面目に働くのが嫌になったあの瞬間。それを思い出しながら、ツバメはツバメでやってますって話にしておこうとお茶を濁している。

それと意外と長くなったこの話の最後に蛇足で以下の文章を
株はですね、難しい。毎日働くなんて馬鹿らしい。だから、楽にお金を稼ぎたいと思って手を出すとかえって資産を減らすことがある。株をやっている人のみんながみんな儲けているわけじゃないですね。
だから、自分のそういう知識に自信がある人はご自身のセンスでそれはもうすればいいと思うし、そうでなければ、できるだけ低リスクなものを選びましょうね。
中国は高度経済成長の真っ只中でした。これはもう過去形で。そういう時期には確かに、その時代というか機会というかを見る目があれば、チャンスはあるのかもしれません。
自分はバブル世代後の世代だから、金銭や経済に対する感覚は小さくまとまっているのだと思います。その常識は中国に来て中国がぐんぐん伸びていくところを横で見ることで、いい意味で壊された。壊されましたが、この時代の中国人の全てが大きく成功したわけでもなく私は失敗している中国人の人も見ています。
もう一つ、私は父も自営の人間なのでわかっているのですが、自営はいい時はいいけど、ダメになれば終わりです。全部個人の肩にかかってきます。自分で始めれば、もうその瞬間から立ち止まることは許されない。常に走り続けなければ明日はありません。

中国は、商才さえあれば最近の日本では考えられないような飛躍のチャンスを秘めていた。そして、その時代はもう終わりました。
自分は、自分自身が日本で後に生まれたために見られなかった経済成長というものを横で見られてそれはそれでよかった。そして、自分自身は金儲けの戦士ではないのですが、こんな時代を見た上で今の日本について思うことは、

確かに、高度成長の時のようにあっちを向いてもこっちを向いても機会に溢れているというようなラッシュの状態はないかもしれない。ただ、どんな時代、どんな状況でも、頭を使って勇気を持って行動すれば、可能性はゼロではないということです。

とある日に彼女の買ったシーツが自分の月給の三分の一だった同じ人が、その十数年後にその同じ人の銀行口座の残高の三倍の資産を持つようになることだって、全然ありうることだということです。

スターバックスのこちら側と向こう側
たかが飲み物が高すぎると怒っている人と
飲み物を奢ったのに怒られちゃったなと思っている人の未来が
自分たちの未来がこんなところにつながっているとは
あの頃は思わなかったな

未来は見えない
もちろんその未来が再びもっと低調なものになることもありうるわけですが
神様、いろいろ大変なのはもう懲り懲りですから
どうぞこのまま穏便にお願いしますよ

2024.05.01






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