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パーカーは大人が着てはならぬのか?
先日のことである。同年代の中年の集まりがあり、酒を飲んだ。その席で、とある男性が、こんな話知ってる?と口を開く。
曰く、とあるインフルエンサーが「おっさんがパーカーを着てるのは見苦しい」と発言して炎上しているのだそうだ。
「あ、それね。炎上して話題になりたかったんじゃないの」
とある中年女性はさらりとそういうと、あたりめにマヨネーズをつけて、バケモノのようなジョッキでハイボールを飲んでいる。
「でもさ、それでさ、ホリエモンもさ、俺も着てるけどって話になってさ」
「だから、話題になりたかったんだって。あ、ちなみに今はパーカーじゃなくてフーディーというみたいよ」
結論からいうと、炎上して話題になりたかったのだろうと、こちらもバケモノのようなジョッキでハイボールを飲みながら淡々と思った。
「でも、俺も着てるんだけどぉ」
そこで、酔っ払っている勢いではちゃめちゃに八方美人である私は場の空気を読み、気焔をあげた。曰く、
「つうかさ!なんでお前がいうんだよ。好きなもの着るのはその人の自由だろう!」
「ソーダ、ソーダ!」
そして皆でバケモノのようなジョッキでハイボールを飲みまくり、まんまと翌日ひどい二日酔いになった。ひどい二日酔いになると体を立てると気持ち悪いのを知ってるか?そのため次の日の半日は私は体を立てるのを諦めて、勝手に息子の二段ベッドを乗っ取り、天井を見ていた。
二日酔いになると何をしても気持ち悪いので手持ち無沙汰に天井を眺めるしかないことを知ってるか?それで、気持ちわりーと思いつつ暇だったので、パーカーについてしごく真面目に思考してみることにした。
まずである。フーディーとは何か?なんか聞いたことがあるような。起き上がれないままもそもそとスマホ検索してみた。
詳しく知りたい方はちゃんと読んでください。↑私的にはパーカーの方が厚手でフーディーは薄いものだと理解した。もともとはアザラシやトナカイなどの毛皮で作ったのがパーカーらしい。
からの、昨夜は、八方美人である上、空気を読む私は場を盛り上げるために名前も知らないインフルエンサーを悪く言ったが、ぶっちゃけ、パーカーは大人が着てはいけないものなんだろうか?先日の酒の席の人たちは私のペンネームを知らないから、あの日、着るものの自由を掲げてジャンヌダルクのように雄々しく酒を食らっていた私が、ここでしれっと反旗を掲げてものを書いていることは知らんだろう。
それで、自分の心に素直に問うてみた。どうだ、おっさんやおばさんのパーカーはあかんのか?
……一概に言えない。
お?私の中のもう一人の私が語り始めたぞよ。
……もっとフードを分類せよ。
はい?(→相棒の右京さん風でお願いします)
め、めんどくせえやつだな。俺の深層心理。やれやれ、フード、フード、食べ物じゃない方のフード。
するとその時、私の心の耳にとある音楽が鳴り響いた。北の国からのテーマ曲である。
ラーラー、ラララララー、ラー、ララー、ラララララー
ナヌー?何が起きている?私の深層心理。
それはつまりこうであった。
フード、とは!……防寒具である。
チーン………
そう、さっきまで忘れてたけど、つうか、今、沖縄より南に住んでるものですっかり忘れてたけど、私、北国の生まれなんです。吹雪さかまく中をえっちらおっちら登校していた人です。そのオリジナルメモリーみたいなものがザワザワしたぜ。フードとは防寒着だぜい。帽子とマフラーでもいいが、フードとマフラーの方がもっといい。あのフードと頭の間の空間に温かい空気がたまるからである。
かっこいい、カッコ悪いの問題ではない、フードは北国には必要である!
フードと耳当てとマフラーと足元はこれもビシッと決めていかないと、凍死するのが北国だぜい。それを、フードなんぞなくても生活できる季節や地方で、フードを飾りとして使い始めた人たちが、パーカーを貶めたのであるぅ!
そのフード!くっついているならちゃんとかぶれー!
えっと、なんの話だったっけ?
パーカーのみでなく例えばダッフルコートについているフードや厚手のニットについているフードまで含めて、頭の中に色々さまざまな映像や画像を思い浮かべて なんか違う と思うものと 思わないものを取捨選択してみた。
一つに、私は年寄りが着るダッフルコートが好きだ。大人が白髪頭できる場合は、できればシンプルでぱっと見はわからないのだけど、よくよく見ると質のいい、つまりは高くてしっかりとしたものを大事に着ててほしい。あれもフードがついている。からの、本当に寒い地方の人たちが生活のために着ている暖かい服に帽子がついていると様になる。ああいう地方の防寒具はペラペラではないのである。寒さを防ぐための材質と形がついている。
なんだか嫌なのは、本来は防寒のためだった帽子が、なんかカッコいんじゃね?となって、被るためにではなく装うためにつけられたことである。
その帽子、被ったことあるの?
というやつである。からの、さらに先へゆく。
防寒のためではなく、犯罪のために被っちゃう輩も出ちゃったってことよ。監視カメラから逃れるためにさ。いやーん!
そして、この防寒のためを外れたパーカーが似合う人たち、それはズバリ、ティーンネイジャーだろう。特に中学生ぐらいの子が似合うと思う。大人になりきらない体にブカブカに着ているのが可愛い。女の子が綺麗になる手前の蕾の状態で、無骨なものを着ている様子も私的には風流である。
高校生くらいになっても似合わないわけじゃないけれど、隠しても華やかさが出てくるし、女の子は化粧っ気のないパーカー、男の子はがっしりとならない貧弱な体にパーカーがいい。
理由はない。感覚の問題だ。
じゃ、大人はきちゃいけないのか?
いや、着ればいいんじゃないの。好きだったら。止めはしない。
ちなみに大人でパーカーを着たがる人とはどんな人なのだろう?防寒着の方ではない。その帽子、被るのか?の方のパーカーである。
フリーダムを愛する人なんじゃね?つまりはスーツの対局にあるのがパーカーなわけ。俺はスーツなんかきねえよ。一筋縄ではいかない男だよ。という話です。
女だったらどうなのか。そこまでパーカーにこだわる女子を見たことないのだが、いや、ほんとに思いつかない。多分たまたまきてただけで。パーカー女子にそこまでのこだわりはないと思う。
それでは、もう散々パーカーについて考えて疲れちゃったので、パーカーはほっといて、自分が素敵だなと思った大人の服について考えてみる。ピカソのボーダーだ。高齢者でデニムを着る人。そして、素敵にカジュアルな高齢者に憧れる。
服を選んで買うのも、着るのも、いまだに苦手だ。結局、生きるのが苦手なんだと思う。加わる集団の中に溶け込んで、目立たないように服を選んでる。その間自分はひっそりと隠れてる。
ピカソのボーダーが素敵だなと思うのは、彼が世間の常識に囚われず自由でいるからではないのである。高齢者のピカソにボーダーが似合ってるからだ。つまりはボーダーが似合うまま年寄りになっていることがすごいのである。
自分が本当は何を好きなのか。どんな自分になりたいのか、そういうのと向き合い、服を選び、服を買い、それを着て、不特定多数にそれを晒す。それは簡単な人には簡単な行為なのであろう。私はそれが昔っからそして今でもわりと苦手です。ただ、パーカーは別に着ても着なくてもどうでもいいけど、ダッフルコートを着るおばあちゃんになりたいなぁ。それとチェックのスカート。
今は雪が降らない土地に暮らしてて、地球はどんどん温暖化に向かっているけれど、子供の頃を思い出しながら本当は好きだった昔 着たような服を、未来のどこかで着てるかもしれない。
2024.12.18
汪海妹