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1年を振り返る

本日という本日は、このお題を掲げ、3回から4回、原稿を消しております。
ふ、ふふふふふ……(意味のない泣き笑い)

昨年転職し、新しい仕事に邁進。
うっかりちゃっかりnoteを始める。
息子が中学生になり、背を追い越される。
息子の空手に割と時間を取られた。
昨年は日本、今年はタイに家族旅行。お金は貯まらなかったが、家族は仲良くなった。
中国語がちょっと上手くなったかも?
2年ぶりに健康診断を受けたら肺が真っ白だった。
随筆ばっかり書いていて、新しい小説があまり書けなかった。
一日に水を2本飲んだら、胆石を取った後もジクジク痛んだ問題が大幅に改善され、尚且つ肌が改善し始めた。
翻訳ってAIでできるじゃん!相棒を手に入れた。
ここだけの話、息子の前期の通信簿を見て、アッチョンブリケと思った。
海外での学習塾が高すぎる件。全て主人に丸投げした。
徒歩圏でとんでもない事件が起きて、生きた心地がしなかった。
とうとう息子の添い寝をやめた。
めちゃめちゃ久しぶりに香港へゆきました。
大河と朝ドラの前期と後期をほぼコンプで見た。
何度もマープルとポアロを見直し、もうそろそろセリフが言えるようになるかも。
中国銀行の定期預金の利率がダダ下がりした。自動継続を選択しているとしれっと利率を下げてきやがるので、なにをっと手動でやり直し利率を選択し直す。預け入れ利率がビューティフルだった頃が懐かしい。景気悪いな。
父が無職になり、一時帰国時には一緒に連れ立ってランチに行き、割とおごらされた。今まで彼のお金を散々使ってきたので、致し方ない。
クリスマスイブ、ディズニーランド行ったな。

そして、魔法のアイランドが3月でなくなるという通知を9月に受けた。初めて勇気を出して小説を投稿した先がなくなるというので、びっくりした。それから、じわじわ寂しさが続いている。

2019年に初めて小説を仕上げて、2020年にそれを投稿し、約5年経った。5年の間にいろんなことがあった。いいことも悪いこともあったが、総じて、自分は小説やエッセイを書くことを通じて少しずついい方に変わってこれたと思う。それは自分がただ書いてきたからではなくて、それに付き添って読んできてくれた人がいるからだ。魔法に5年、投稿をしてきた。魔法がなくなることで、魔法を通じてつながっていた人たちと切れてしまうようで寂しい。

今年はまとまったものがなかなか書けなかったけど、昨年の10月からちびちびと書いてきた6万字ほどの中編が書き終わった。加筆修正したいのでしばらく置いてあるが、これを載せたい。3月のギリギリまででまだ書けるかわからないが、ギリギリまでちゃんと投稿して、それで消えたいな。

小説を書き始めた頃はもっとはしゃいだり落ち込んだり心が不安定で、そんな素人の自分のありのままの日記のようなエッセイは魔法にしか載せていなかった。私的な内容が多いので、個人用にバックアップを取りながら少しずつ消している。

ネット上の場所が消えるというのは、自分にとっては初めての経験だ。とても不思議な感覚だと思う。なくなるということが決まって初めて、ありありと実感した。ここは自分にとってとても大切な場所だったのだなと。それだけ、いろいろなことを書き込んで、そして、読んでもらうことで支えられてきた。

こんな青い自分とはもう、出会えないだろうなと思う。非常に不完全で、脆く、不安定で、しかし、痛々しくも清々しい。

書いてしまうまでは知らなかった。一度何かを書いて形にしてしまえば、もうそれは再び書くことはできない。書くことでその真ん中にあるものがわかって仕舞えば、二度目はないということだ。その中に何があるかをわからないから書き進めてゆくのと、何があるのかをわかっているのにわからないふりをして前に進むのは違う。その時の温度が違う。わざとらしくなり、ひたむきさは失われている。

だから、今、私がせっせとバックアップをとって消してゆく自分は、あの時のみにそこにいてもう二度と出会えない自分なのだと思う。

小説を書いては載せ、書いては載せていた頃の自分の文章が消えるというのは、なんだか不思議な経験なのです。一度載せてみてもらったものをもう一度自分の中に戻す。

後少しで24年が終わる。この夜にふと目を閉じてみる。
そして、2029年の自分を思い浮かべてみます。奮起してやっと初めての小説を書き終えてから10年後の自分。それは、どんな自分だろう?

この5年で私は変わったと思う。黙々と続けていた仕事をやめて新しい仕事に就くだなんて思ってもみなかった。5年前は結婚にも悩んでいて、息子が進学で日本へと離れるのに合わせて自分も主人を置いて日本へ帰ろうと思ってた。

生きていて悩みのない人なんて本当に数えるほどではないでしょうか。

いろいろな悩んでいることがあったから、あれだけたくさんの文字を私は吐き出したのだと思う。それを文字という形にしたことで、確かに自分は変わりました。

ある程度色々吐き出してしまい、そして、我慢を重ねて働いていた仕事を手放した。仕事を手放すまで、転職に対する恐怖が確かに自分の心の中にありました。長く一つの会社で働いていると、ここ以外に自分を必要としてくれる場所なんてないんじゃないかと思うものです。その不安だった転職が成功したので、自分はきっと大きく変わったのだと思う。だから昨年の23年と今年24年は、できないと思っていたことを成し遂げた年だったと言っても良い。転職先でうまくいくか不安で、だけどなんとかなった年だった。

この変化の中で、何を書けばいいのか、無我夢中になれるテーマをうまく見つけられなかった一年でもありました。自分を生かすという意味で強い動機を持って書いてきた過去の結果、我慢するのをやめて仕事も家庭もいい方に変えることができた。それは嬉しかったのですが、その反面、次は何に向かって頑張ればいいのかがわからなくなってしまった。そういう一年でした。

こんなふうに淡々と書いていくとそういえば、大学受験に合格した後にも、こんな状態はあったなと思い出す。それはもう来る日も来る日も勉強していた日々が突然終わって、嬉しいのだけれど、何に向かえばいいのかわからなくて困った日々。

そう、22年は仕事が大変で、これはもう無理だと思って転職を決意して、転職先を探して面接して、23年は引き継ぎをして、次の会社に移って、24年は新しい仕事に邁進した。

そうか、私、大変だったんだな、そういえば。やっと理解したぞ。大変だったよ。よくやったよな。

立派に大人になっていても、会社を辞める決心なんかはなかなかつかない。若ければたくさんの応募がありますが、年を取れば少ないですし。私が辞めると言った時、まさか辞めないと思われていたから驚かれた。

あの一歩を踏み出せたのは、勇気を出して自分が書いたものを投稿し、それを読んでもらっていることに励まされていたからだと思う。あの時、自分が書きながらそこに見出していたものは、人間は自分を大切にしなければならないという思いです。平気なふりをして、自分のためにはならない我慢をしてはならない。

自分の人生を変えるための櫂は、本当は人は自らの手の中に持っている。ただそれを使う勇気がないんです。

自分が書いたものの方が立派で、現実世界の実際の自分を思うとそのギャップに打ちのめされそうになることも何度も何度もありました。だからこそ、何かを書くときには背伸びをしてはならないといつも思っているのですが、その反面、それでも自分から出てくる自分の知らない自分のようなものにハッとさせられ、そして、教えられることも多かったように思います。

25年は、こんな年にしたい。
今年よりはもう少し新しい作品を書ける年にしたいです。

何を書いたらいいのか戸惑ったり、必死になれるテーマが思い浮かばなかったり、今年と同じで不安になるのだろうなとは思うのだけど、ただ、おそらくきっと書く前に悩んでいても答えは見つからないだろう。
答えというのは私に言わせると、書きながら見つけるものです。

だから、来年は今年よりも小説を書きたいと思います。

蛇年目前の夜、明日も仕事なんですけどね。
汪海妹
2024.12.30

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