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短編小説:旅行に行こう
清一
「ね。なにしてんの?」
顔をあげると、ソファーの背もたれから妻が僕を覗きこんでる。
「見てわかんない?」
「わかる」
「じゃ、なんで聞くの?」
「それが会話ってもんでしょ?」
よくわからない。
「ね、質問していい?」
「いいよ」
「もう、そういうことする必要ないんじゃないの?」
「どうして?」
「だって新聞ってさ、特に経済欄。仕事のために読むものじゃないの?あなた、もう仕事してないじゃない」
じっと妻の顔を見る。なんか、新聞を読む必要がないと言われるのって、自分が必要ないって言われてるみたい。
「株の運用するのに必要なの」
妻がじっと僕の顔を見る。
「あなた、株なんて持ってたっけ?」
「ささやかにね」
「ふうん」
妻の興味はそこで終わった。そう、この人株になんか興味ない。
「あ、千夏に言うなよ」
「なにを?」
「俺が株やってるって」
「なんで?」
「あいつはいろいろめんどくさいやつだから」
妻はしばらく黙った後言った。
「わかった」
ちょっと変な顔されたけど、それ以上突っ込んでこなかった。
「それよりさ、今晩何食べたい?」
「なんか、奥さんがご主人に尋ねる典型的な質問だね」
「前置きはいいから、さくっと決めちゃって」
丸投げか。そんで、孫に文句言われたら俺のせいになるわけだ。
「思いつかない」
「使えないなー」
そういうと、彼女、すくっと立ち上がりました。
「行くよ」
「どこに?」
「スーパー」
「なんで俺も行くの?」
「やることないんだから、ちょっとでも体動かさないと、病気になるよ」
どうでもいいけど、いちいち言うことがきついよね。うちの奥さん。
「なに?」
「いや、なんでもない」
立ち上がりました。でもね、一応断っておきますけど、この人僕のこと愛してますから。
「運転してくれる?」
「いいよ」
たぶん……。
***
「で、どうよ。思いついた?」
「今晩は意地でも俺に決めさせるのか?」
「だめ?」
スーパーに並ぶあれやこれやを見る。
「なにをみてもなにも感じない」
「なんか年取ると、食欲失せるよねー」
「日本に帰って来たばっかりの時は、あんなに何食べても美味しかったのにな」
「ほんとだね〜」
妻が笑ってる。
「最近なんか、反対に海外の味が懐かしい」
「例えば?」
「やっぱり、香港の飲茶?」
「ああ、美味しかったね」
「それからねぇ、ベトナム料理も美味しかったよねぇ」
なつが生き生きしてる。その顔を見てふと思った。
「旅行でも行くか、2人で」
「え?ほんと?」
「ほんと」
のんびりスーパーまわりながら、妻がつぶやく。
香港行って、ベトナム行って……。
「そんな近場じゃなくってもっと行きたいとことかないの?ぱあっとさ」
「ぱあっと?」
「そう」
きょとんとしてる。
「子供の頃から1度してみたかった贅沢な旅行とか」
「ああ、ある」
目がきらきらした。
「なに?」
「船に乗るやつ」
「ああ……」
そして、にっこり笑った。
「船に乗って世界一周、なーんてね」
それから、カラカラカート転がしてく。
「それ、いくらすんの?」
「ええ?やあね。冗談よ。すっごい高いんだって。時間も長いし」
「いいじゃん。別に。ずっと頑張って来たご褒美にさ」
「あなたの退職祝いに?」
「それと君のね」
「わたし?退職したのはあなたでしょ?」
「でも、長い時間我慢強く頑張って来たのは僕だけじゃないでしょ?」
「ええっ?」
なつは笑ってなにも言わない。あっち向いちゃった。
「旅行社でも行って資料もらってみようよ」
「孫の世話があるから、無理ですよ」
つれないな……。
妻は、カートにキムチをいれる。
「じゃあ、近場でどっか行く?ベトナム?」
「そうねぇ。タイは?」
「なんでタイ?」
「あそこは行ったことないし」
「ああ、タイね。ん?そうだ。タイならあいつがいるはず」
「誰?」
「高田だよ。高田」
「ああ、高田君?」
彼女の顔がぱっと輝く。僕はカートに胡麻豆腐を入れる。
「懐かしい。じゃ、あれだ!ひさびさにみんなでゴルフしよう」
彼女はカートにしめじとえのきを入れる。
「どうせ、君が負けるのに?」
なつがゴルフ始めたのは子育て終えてから、遊びで。俺らは入社からやってる。年季が違う。
「ばかね、せいちゃん。わたしが本気出したら、あなた勝てないわよ」
なつは、カートに卵をいれる。ん、なんだって?
「はぁ?」
聞き捨てならない。
「ちょっとセンスがいいからって調子にのるな。お前はまだ、ゴルフの奥深さを知らない」
嘘ではない。うちの奥さんセンスがいい。周りのみんなに驚かれてた。でも、俺の敵ではない。
奥さんはカートに、ココナツサブレをいれる。たぶん瑛万のおやつだな。
「ずっと気、使って手加減してたのよ。いつも、ほら、あなたの仕事関係の人ばっかだったでしょ?」
そうだ。向こうも奥さん連れでな。
「わたしがあなたに勝っちゃったら、まずいじゃない」
奥さんはカートに缶ビールを……。いや、それはもうどうでもいい。
「お前はまだお前の妄想の中で俺に勝っただけだって。現実の厳しさを教えてやるよ」
「へぇ、珍しいね。せいちゃんが負けんの嫌がんの」
本気で勝つ気でいやがる、こいつ。
***
「え〜!なにこれ?唐揚げは?」
「今日は瑛万じゃなくておじいちゃんに合わせたの」
「えー!」
イワシの塩焼きに、大根おろしに醤油かけて、切り干し大根煮たのに、胡麻豆腐は、俺だけ。後キノコ炒め。
「こんな地味な夕食やだー」
瑛万をほっといて、残り3人味噌汁すする。
「おばあちゃん、明日から、おじいちゃんのと別にわたしのご飯作ってよ」
おいおいお姫様……。と思ってると、パシッと音がして、春樹が箸を置いてきっと瑛万を見た。
「やめなさい。瑛万」
なつは何も言わずに春樹を見ている。
「おばあちゃんがどうしてお前の言う通りにごはんを作らないのかわかってないのか?」
「なんで?」
「お前のためじゃないか」
「どういうこと?」
「お前、唐揚げとかハンバーグとか、やたら肉好きじゃないか。しかも、毎回食べる量半端ないし。お前の好きなもんばっか作ってたら、お前が太って学校でいじめられたりしないかって心配してんだよ。ね、おばあちゃん」
「うん。そう」
「そうだったの?」
「うん。そう」
瑛万はちょっとじんとした顔をした。
「ごめん。おばあちゃん。おばあちゃんの気も知らないで」
それからおとなしく箸を持った。
もう、この人達は……。
アドリブであることないこと言ってんだよ。瑛万、なんだかんだ言って、素直だからな。信じちゃうわけだ。それにしても、仕事が忙しいあいだはよくわかってなかったけど、春樹、いつの間にこんな言いくるめるの上手くなったんだ?
「なに?おじいちゃん」
「なんでもない」
ちょっと……、末がおそろしいじゃないですか。
***
何日か経つと、なつがタイのガイドブック見てる。寝る前寝室で。
「楽しみだなあ」
「高田に会えるのが?」
「そうだねー」
その顔をじっと見つめる。
「なに?せいちゃん」
もう1人の方でなくてよかったの?
「いや、別に」
このツッコミはしゃれなりませんよ。やめとこう。
「おやすみ」