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地下鉄1号線の思い出

後半に少し気持ち悪い話が出ます。例えばもともとホラーが好きな人ならこの程度かという話ですが、極端に気持ち悪い話が苦手な方はこの記事はスルーしてください。汪海妹

普段通勤で地下鉄12号線を使っているのですが、買い物がしたくて1号線に乗りました。そのレトロさ加減にふと深圳地下鉄第一号であるこの1号線が開通したときのことを思い出した。

「乗らねーだー」
「いや、そんな嫌がらなくても」
「いやだっ!乗らねーだー」

……私は地下鉄に乗り渋っていた。なぜかといえば、某X国(今、私が住んでいる国)の地下鉄技術を信用していなかったからである。生まれつき妄想体質(必要ないのに自動で劇場が立ち上がり売れない物語を頭の中で流す)である。私の頭が勝手に

脱出せよ!深圳の地下より!

という、深圳の地下から脱出しようとする古今東西の老若男女の映画を放映している。

「いや、新しくって綺麗よ」
「いやだっ」

私の頭の中では老若男女が地下鉄に乗っただけなのに地下に閉じ込められて、赤いハイヒール履いたお姉ちゃんが、イケメンのお兄さんに助けられながら地上を目指している。どこまでもラブコメ志向高いな、私の妄想。

ちょっと気にしすぎだろと言われるが、しかし、この時と前後して某X国では高速鉄道が脱線して死傷者を出し、しかも、その事故車両を、う、埋めようとしてたではないかっ!

(ここから場面は反転して現代に戻る。脚本みたいにこんなん入れてみた)

そんな古い思い出を思い出す。懐かしいな。地下鉄に乗り渋ってた自分。
あの時はピカピカだった1号線が今やレトロ感溢れるな。そして、現在では深圳の地下鉄もあれよあれよと増え、14本?くらいあるのかな?よくわからん。

もちろん私も今では地下鉄に乗ってるわけだ。

それにしてもですよ。某X国と安全といえばね、危険化学品をとある会社が適当に保管してて、国としての管理もしてなかったら爆発して人が死んだりとか、工場の背後に産廃関係の山か何か、確か土砂だったかな?危険な高さで土砂を積んでいたら大雨でそれが崩れ工場が埋まり、人が死んだりとかさ。しかも、埋まってしまった方をもちろんもう亡くなっているわけですが、十分に捜索したのかどうかという幕引きで……

ええっと、ここではないどこか、ファンタジーワールドの中での安全事故ってことにしてくれ。私は空港で帰国しようとしたら⚪︎⚪︎容疑とかで捕まりたくないからな。

とんでもないことが結構起こってて、それに反省して安全管理も徐々にリキ入れてされるようになり向上してきた。最初の頃のアンビリバボな管理についてはちょっとおいておいて、良くなってきたのはいいことじゃないですか。うんうん。

しかしだな、この各社への安全教育が日本人である私から見て、ちょっとあれだったんだよな……。

各社はこの教育映像を見ろ、ちゃんと見たと署名しろ、これは別にいいんです。これをやらんと規律違反となり、行政指導を受ける可能性がある。これも別にいい。

問題はこの映像だったのですよ。本物が使われていたの。
こういう映像の使用についての感覚が、国によって違うのかもしれません。簡単に本物の映像が例えば政府が作った安全教育の映像や、素人があげるSNS動画に混ざってくるのがこの国です。

火事に対する安全では、工場で2階に閉じ込められて助けを求めてひらひらと手を振る人たちの映像が使われており、その次の場面では実際に亡くなった方の真っ黒な体がそのまま映されていて(つまり助けを求めて手を振っていた人たちは助からなかった)、一つに亡くなった方への配慮がないし、もう一つに強制的に見させられる我々にだって本来は選択権があるはずです。

例えば、裁判員裁判では、一般から募集された裁判員は事件に係る写真を見なければなりません。場合によってはその残酷さを目の当たりにしたことで、PTSDの症状が出てカウンセリングにかかることもあり、その費用も行政負担ではなかったでしたっけ?

そのレベルといってもいいほどの酷く残酷な映像を見るこちら側の許可も取らずに見せてくる、これがこの国らしいといえばらしいがさ。

怖がらせて、脅して、だから気をつけろと押し付けてくる。圧倒的な恐怖で押しつけてくる。やれやれ。

ちなみに自分がどうしてたかというと、斜めに顔を伏せて終始机を見て、見ないようにしてました。一部の人をのぞいて大部分の人が直視しないようにしてた。そんだけ正視に耐える映像ではなかったのですよ。

では、それだけ自分は血を怖がるような人間なのかというと、そうでもありません。昔はホラーを見ていたし、今でも猟奇殺人モノから何やらミステリーやサイコサスペンスやいっぱい見てます。

ただ、自分は、偽物は見るけど、本物は見ない、本当に必要があって見なければならないモノ以外は見ないと決めて、線を引いているのです。

どうして、本物は見ないようにしているかというと、どう説明したらいいのかなぁ?先に結論めいたものを言ってしまうと、自分をはじめ人間を信じていないから、なのかしらね。つまりは、私はどんな人間にだって簡単にいえば殺人者になりうる要素があると思っているからです。

もうちょっというと、つまりは、戦争の時に話なんですけどね。日本が戦争をしていた時、戦争に行った人たちというのは私たちと変わらない普通の人たちだったと思ってます。平和な時代だったら触れることのなかった『本物』にたくさんの人たちが触れてしまいました。触れざるを得なかったのですが、それで、もし、触れることがなければ知らなかった隠れていた自分の一面を発露させていったと思うんです。

どんな人間だって、奥の奥の方に異常性を秘めていて、でも、それは特別なスイッチを押すことがなければ死ぬまで発動せずに終わらせることができる、私はそういう考えを持って生きていて、そしてですね、

私は子供の頃から人間の心理に敏感な人間で、自分を含め様々な人の心理を見てきました。作品にはわりかし綺麗な部分を多く出していますが、でも、自分の心理に対する興味は別に綺麗な部分にのみ発動しているわけじゃありません。犯罪心理にも興味があります。また、狂気のような部分にも興味があります。愛情の一部に人間が暴力的なものを隠していることもわかってます。

どこかで線を引かないと、戻ってこれないようなところにストンと落ちる可能性を持っているんだって自分で自分を思ってます。

だから、本物には触れないというルールを持っているのです。自分の好奇心がいきすぎて、自分の入れてはいけないスイッチが入らないように。

そして、そういう考えを踏まえて、例えばホラー映画とかサスペンス映画とか、サイコサスペンスとか、ね、ドラマや映画の殺害現場を眺めながら思うんです。

プロの仕事というのはリアルな殺害現場の再現ではないのだと思う。プロの方達にどういうルールがあるのかを理解はしていませんが、簡単にいえば、世の中に流通していく映像を作っている人たちは、不特定多数の人たちの『スイッチ』が入るような映像を撮らないようにしているのだと理解しています。ニュースに関してもそうです。戦争の報道をして、ガザで病院に運び込まれる人たちの映像を撮っている人たちもプロの目で映像を撮っているし、ヤバいものはテレビに流していないと思うのよね。

そんな配慮のない写真や動画を、ここにいると見ることがあるってことです。配慮のある、ない、の違いを私が感覚的に学んだのは、ここで、初めて配慮のないそのままの本物の写真や動画を目にする機会があったからだ。

この、ここでの、独特な感覚には、いまだに参ります。
なんというのかなぁ、ここまで攻撃的にいってはどうかと思いつつ、

命が、軽い、とでもいうのかなぁ。

これ以上書き続けると、なんというか余計なことを書いちゃいそうだから、つうか、もう書いてるか。ここで終わらせちゃいましょうか。また、もう少し先に、続きを考えられたらなと思います。

汪海妹
2024.08.28

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