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プロポーズのNGワードにはて?と思ふ。

私は24年は NHK朝ドラ、虎に翼 をほぼコンプし、後半の おむすび についても律儀にみている。虎に翼で盛り上がっていた皆さんも おむすび では早々にギブアップされた方が多いのかもしれないが、とっても真面目にこれもほぼコンプしてみている。

先週のことである。ゆいちゃんが翔也君の別れの言葉に引っかかり、売り言葉に買い言葉で別れちまった後にモヤモヤっとながーく悩んだ。とうとう糸島にすら帰り、長い思索の末になにがそんなに引っかかったのか、わかる。そこに、翔也現る、からの、逆プロポーズ!

律儀に コンプしていながら、この朝ドラ、つまらんなと思っておりましたので、(じゃ、なんでみてんだよ)不覚にもホロりとしそうになり(私は非常に涙脆い)、いかん!虎に翼で涙ぐんでもいいが、おむすびで涙ぐんだら、世間の評判がっ!と、別に誰もみてない。というか、あえて言えば息子が見てましたが、誰も気にしないのに、涙を出し惜しみし、出勤の時間となりヨイショと立ち上がり会社へ向かう。

で、結局、ゆいちゃんが何に引っかかってたかというと、

ごめん。俺、プロ野球選手になってゆいを幸せにしようとしてたけど、もうプロ野球選手にはなれないから幸せにはできない

もうちょっとクローズアップしてみよう。

ゆいを幸せにしよう

この言い回しっすよ。平成からの令和では、これがプロポーズのNGワードらしい。ちなみにもう一つサンプルを、同様のネタが、漫画:こっち向いてよ向井君でも出てきます。ちょっと前にドラマ化された漫画です。

最近の女の子はね、男の子に幸せにしてもらおうとは思っていないんだそうです。幸せとは二人でなるものであって、男の子が一人で頑張って女の子をするものではないのだそうですよ。

向井君に引き続き、二度目だな。これ。

それから、じっくり考える。自分的にはどうだ? 俺が幸せにします と言われたらカチンとくるだろうか。

………………

私の性格が、幸せにしてもらうのを待っている性格では全然ないんですよ。私のような女に、僕が女の子を幸せにしてあげるんだ系の男子は近寄ってこないと思う。

再現VTR行ってみよう。

どっかに可愛い女の子、いないかなー。
(まだ若かった頃の私が目に入る)
あ、あの人はやめておこう。

速攻で、候補から落とされると思う。

今まで一度も 幸せにしてあげる なんてムカつくわ、と思ったことがありません。よく考えれば、幸せにしてもらう なんて考えたことがなかったですよ。結婚は私にとって、生活の手段じゃなかったんです。もしも結婚を生活の手段だと考えていたら、中国人の主人は選びません。だって、私より給料安かったんだよ?

ということはやっぱり、私は 俺が幸せにします と言われたくない女子だということだ。すみません、可愛くない女で。誰に謝ってる?いや、ここで謝ったら、私と並ぶ女子に失礼だな。すみません、謝っちゃって。えっと、こんがらがってきたぞ。

中国人の旦那と結婚して、中国人女子たちに混ざって仕事してるうちに麻痺していましたが、自分は全然、幸せにしてもらおう女子ではなかった。自分ですっきりさっぱり忘れておりました。

大昔の話です。まだ旦那と結婚する前。恋人同士だった頃ですね。旦那が私を自分の友達に紹介するときに、私の学歴を自慢したんですよ。中国人男性は、本人もそこそこ学歴がある場合、伴侶に賢い人を求める傾向があるんです。自分の子供の母親、つまり自分の妻は学歴が高い人の方がいいと考えるんです。子供の教育をするのが妻だからですね。

日本にだってこういう男性もいるかもしれないけど、少数派かなと思う。社会の大勢はどちらかというと、女性が学歴をひけらかしたりするより、控えめである方が妻としては良いという意見が主流じゃないでしょうか。

日本人と結婚するのをやめて、中国人と結婚しちゃった理由の一つに、この、旦那が私の学歴を友達に自慢したことは入ると思う。今ではもうこういうことが当たり前すぎて、忘れてました。国際結婚したことで発生した負の面にばかり意識がいってましたが、正の面だってあるわけで、私は家庭ではこういう部分で窮屈な思いをしてないんですよ。

じゃあ、やっぱり、ゆいちゃんみたく、一緒に幸せになろう という考え方を支持するんですよね?ってなってくると思うんだけど、難しいなぁ、これ。

結婚したばかりとか、若い時はやはり、一生懸命お互いの気持ちを言葉にして、言葉に頼ってわかり合おうとする。だから、『その言い方が気に入らない』という喧嘩を男女はするんじゃないでしょうか。それは通らなければならない道だと思う。

その道をかつて通った上で、今、こういうことを言いたいのですが、人間は実は気持ちを100%言葉にしていないよなぁって、最近はよくそう思うんですね。自分もだんだん年齢を重ねてきたからこういうふうに思うようになったと思うんですが、言葉にされた部分よりも、言葉にされない部分により感じ入るんです。

だから、みなまでいわない、それに非常に注目してる。たくさんの人を熱心に観察していると、やはり、とあるドラマや映画のように自分の気持ちを立板に水を流すように語っている人は、現実の世界では少ないと思います。

私たちはいつも、その足りない言葉を聞きながら、本当は何を言いたいのだろう?とその言葉の裏を考えていませんか?映画やドラマじゃなくて、現実であればそういうことがすごく多いと思うんです。

だから、男女はきっとまず初めにお互いの言葉尻に過敏に反応しながら、喧嘩をしあう。そういう喧嘩が少しずつ重なっていって、そのうち、言葉にし合わなくてもお互いの考えや気持ちが伝わり合うようになります。壊れてしまわなければね。

ことばは所詮ことばなんですよ。夫婦というのは言葉でわかりあうものでは、実はないと思います。それはたまごの殻のようなものです。一緒にいるのが長くなってくると、そういう相手の心の一番外側にある 言葉という殻には あまり意味がなくなってくる。心はその中にある。

心を全て言葉にしてわかりあうというのには、最近はあまり興味が持てないんです。人間は実際は、自分の心をすべからく言葉にして他人に示してなんていないと思いますよ。めちゃくちゃ嘘を尽くし、隠すし、あるいは、伝えたくてもうまく言葉にできない、そんなことの連続じゃないでしょうか。

私は最近は、人が言葉にしない部分により興味があるんです。言葉というのはその人の気持ちにたどり着くための大いなるヒントです。100は与えられないヒントを並べて、相手の本当の気持ちに思いはせる。そちらの方がロマンチックではないでしょうか。

だから、俺が幸せにします というのはたかが言葉です。中身なんか全然ないわけです。大抵の夫婦はそんなたかが言葉とは別のところで、やっぱり 幸せになっているのだと思いますよ。二人で支え合ってるのよ。

喧嘩を繰り返して、それを礎に、最後には言葉を使わなくなるのがきっと夫婦というものだと思う。ちょっと論点がズレた感もありますが、今日はここまでで終わりにしたいと思います。

明けましておめでとうございます。みなさま、今年も良い年になりますように。
また、世界で辛い目に合っている人たちが、一日も早くその辛さから解放されますように。

汪海妹
2024.01.02

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