短編小説:言わなくてもわかる_2021.03.01
この短編は 二度目の引越し のおまけです。二度目の引越しは 長編 しあわせな木 と 木漏れ日 のおまけなので、これは おまけのおまけだ!
片瀬大生
お兄さん達の家から、電車に乗って帰る。
そこまで遅い時間ではなかったので、座席に座れた。暎万と並んで座って、ぼんやりとする。
なんか、お兄さんと暎万のお父さんって似てる。顔も似てるんだけど、なんていうのかな。外側がむっちゃ怖いんだけど、真ん中がすごい優しい。だって今日も、途中まではまともに口すらきいてくれなかったけど、暎万にあんなこと言ってくれたし。それに、俺に捨てられたら暎万に付き合える男なんていないから、許してあげて、なんてさ。
結局は、すごい優しい人なんだと思う。男同士だからわかることみたいなさ。気遣ってくれたよね。
でもね、ぱっと見、絶対そう見えない。ただひたすら怖い人にしか……。それで、今日のことで調子にのって今後気軽に話しかけたりしたら、真っ二つにされそうな気がする。
警戒レベルは少し下がりましたが、引き続き心には防波堤を築こう。グッと握り拳を握った。
若干、上条家の男というのを掴み始めた、ひろ君。
あのお母さんと暎万を相手に渡り合えるのは、並大抵なことではないな。自分なんて、おもちゃのようにされたではないか。
そんな他愛もないことを考えてたら、不意にぎゅっと手を握られた。
「ん?」
暎万ちゃんがひろ君の手を握って、傍からひろ君の顔を覗いてます。
「何?」
「今日、ひろ君のうち、泊まっていい?」
「いい……けど」
今日ね、夕方まで仕事。それから、暎万と待ち合わせてお兄さんの家行ったでしょ。それで、明日も仕事なんです。パティシエは朝が早い。
その……
折角来ていただいても、何もしないで寝てしまいますが、いいですか?自分も、もう、そういうことのしたくてたまらない10代の子というわけでもないしさ。
暎万ちゃんがじっとひろ君のこと、見てます。
なんて、直接的には聞けないな。やっぱり。
「明日、仕事だし、すぐ寝ちゃって朝もいなくなっちゃうけど……」
「……じゃあ、帰る」
「うん」
暎万ちゃんはひろ君に向けてた顔を前へ向けた。ひろ君は手を握ったままで、その横顔を黙ってしばらく見てました。
「どうかした?」
いっつも元気なのに、珍しくしゅんとしてる。しゅんとしてる暎万ちゃんはいつもよりかわいいんだけど、でもね、いくらかわいくても元気がないのは気になります。
「今日、ごめんなさい」
なにに対して、謝ってるんだ?
ここまで暎万がしゅんとするようなこと、こいつした?今日
「なんで謝られてんのか、わかんない」
「神谷社長のこと……」
「ああ……」
そんなことだったのか。
「別に怒ってない」
「ほんと?」
「怒ってないけど……」
「けど?」
ひろ君はふっと柔らかく笑いました。
「君が気持ちを言葉にするのが苦手な人だって知ってる。言葉にしなくても、暎万が俺のこと好きだって知ってる。だから、無理をいうつもりはないけどさ」
「けど?」
「短い時間はね、それでいいんだと思う。別に言葉にしなくても」
ひろ君、すぐ横にいる暎万ちゃんの髪をそっと撫でました。
「でもさ、俺と君って違う人間じゃない。男と女だし、別々の人間でしょ?」
「うん」
「言葉にしないでも自分の気持ちは伝わっているつもり、そして、相手の気持ちを知っているつもり。長い時間そう思って、言葉にして伝えることをサボってしまうとね。きっとずれていく」
「……」
「同じ人間でも、時と共に感じ方や考え方が少しずつ変わっていくでしょ?それに、もともと男と女は考え方が違うし。でも、自分たちはわかり合っているからって過信して、伝え合うことをやめてしまってはいけないんじゃないかな?」
暎万ちゃんが握っている手の力をキュッと少しだけ強めた。
「気持ちを言葉や態度に表すって、結構、面倒なことだと思うんだよ。付き合い始めた頃とかはそんなこと感じなくてもさ。慣れてくるとね。でも、俺も努力するし、暎万にもできるだけ努力してほしい。たとえ、それが暎万の苦手なことでも」
「うん」
短い時間はね、いいと思うんだよ。それで。でもね……
「俺、暎万と一緒にいたいから」
「うん」
「ずっと」
暎万ちゃんはじっとひろ君のことを見ました。
「うん」
言葉にしなくても伝わる。わざわざ言われなくてもわかってる。それが2人に特別な結びつきがあるってことで、愛し合っているって証。
自分たちは他の人たちと違う。そう過信する。
でも、それで本当に長い長い時間を乗り越えられるのかな?
ずっとずっと、気が遠くなるような時間を、例えば、僕が生まれてから今まで過ごしてきた時間よりも長い時間をこれから君と過ごしたいのなら、それは間違っているのじゃないかな?
言わなくてもわかり合っているはずだった……。そんな風にはなりたくないから、だから、やっぱり努力してほしい。
「暎万……」
「ん?」
「今日、おいでよ。ゆっくり一緒にはいられないけどさ」
一緒に手を繋いで寝るだけでいいから、そばにいよう。
「うん」
特別な2人なんて、本当はきっとこの世に存在しない。きっと殆どの恋人達が最初は愛し合っていて、わかり合っているんだと思う。
わたしたちは分かり合えているはずだった。過去形にならないための、努力。
愛には賞味期限があるのだから。
春樹
夜中にふと目が覚めてしまった。そっとベッドを出て、暗い家の中をキッチンまでゆく。冷蔵庫からミネラルウォーター1本出して、リビングからベランダに出た。真夜中の静かな街を上から眺めながら、ペットボトルの蓋を開けて、水を飲んだ。
そして、あの人の言葉を思い出していた。
彼女が俺を愛していないことを承知で、俺を利用させたんだ
神谷さんが俺に向かって言った言葉。
静香さんは今日、俺に向かって言った。神谷さんのこと一度も自分のものだなんて思ったことはない。愛してはいなかったから苦しまずに長く続いたんだと。
静香さんは正しいんだと思う。
もし、愛したら、2人はもっと短い時間で別れてただろう。
確かに静香さんは神谷さんを利用していたと言ってもいいのかもしれない。でも、愛さなかったのは、それは、愛されていないと思ったからで、もし、神谷さんが自分の気持ちを伝えていたら、違ったのではないかな。
本当に静香さんは、神谷さんの気持ちに気付いていなかったんだろうか。
そこまで考えてやめた。
愛するとか、愛されるとか、きっとそういうものに悩み始めると、それは、終わらないのだと思う。
そして、きっと答えがない。
自分のことを愛してほしい。そりゃもちろんそうなんだけど。
そして、それが、自分だけのことを愛してほしいになって、過去から今まで未来の中で、自分のことを一番愛してほしいになって……。
そして、それをどうやって人は相手に証明させて、実感するんだろうね?
一つも傷のない完璧な愛情というのは、きっとこの世に存在するのだろう。でも、それを手に入れることができる人は限られてるのではないかな?
もし、そんなものが欲しいなんて思ったのなら、仕事を辞めて世界中を旅するか、でなければ、きっといつかそれが手に入ると信じて、一生を1人で過ごすことになりかねない。ヘタをするとだけど。
愛することが大切なのか、それとも、愛されることの方が大切なのか。
よくわからない。さっぱり。
自分はきっとまだ未熟なのだろう。
ただ、一つだけわかったことがある。
愛することは時に、苦しいです。
いつもではないけれど。
飲みかけの水をテーブルに置くと、音を立てないように気をつけながらベッドに戻る。
やっぱり眠れなくってしばらく彼女の寝顔を眺めてました。
了