ひと夏の経験、終わりました…
文楽劇場のアルバイトで一番楽しみだったのは、自分のお昼休憩中に、上演中の公演を観ることでした(もちろん上の方から許可が出ている)。お昼にお弁当を食べたら、劇場フロアの関係者ドアから出て、空いている二等席の端っこの方にこそっと座り、15分か20分ぐらいですが、ほぼ毎日観ました。
歌舞伎の公演ですと、4段階ぐらい観劇料金がありますが、国立文楽劇場は、一等席が客席の8割、残りが二等席、という座席割です。当時、二等席完売はあまりなかった様?なので、座って観ることが出来ました。
ちなみに、お客様が沢山入った時に関係者に配られる”大入袋”を頂いたのは、このアルバイトが初めてでした。
現在はコロナの影響もあり、公演は年中三部制、つまり、一日に三回演目・お客様を入れ変えて上演していますが、以前は、夏の7月から8月にかけての公演のみ三部制でした。
夏休み公演は、午前中からお昼にかけての一回目に、上演時間も比較的短めで、お子さんや、あまり文楽を知らない方にもわかりやすい作品を上演されています。この時は、公募作品を舞台化したもの、つまり新作でした。
タイトルは「まんだが池物語」だったかと思いますが、既にプログラムもないので、あらすじなどは覚えていません…。昔話的で巨大魚がぐるんぐるんと泳いで(人形遣いが作り物の大きな魚を動かして)いたなぁ、というのは記憶の片隅にあります。
私は、お昼休憩の時間帯に観るので、当然、同じ作品の同じ場面(多少の前後はあるものの)を観る日々でした。
毎日同じものを観て飽きないのか?と聞かれたことがありましたが、舞台はナマモノ、同じ場面でも毎日違うのです。
私が観る時は、先に書いた巨大魚が泳ぐ場面を含む前後、でした。語りの太夫と三味線の方が、出語り床に出ている場面もあれば、床の二階部分(お囃子の方などがいらっしゃることもある場所)で太夫と三味線の方が、御簾の後ろで演奏している場面もありました。
”二階で語ることもあるんやな…。”とお顔が見えない御簾を観ながら、聴いていました。
何回か同じ作品の同じ場面を観ていると、語っている音の感じが、あ、これから何だか盛り上がってくるな、とか、そろそろこの場面終わりだな、とかが分かってきます。
その二階の御簾の後ろで演奏されているお二人は、どうやら若手さんだったようで、太夫の方は、他の場面のベテランさんの皺が入った様な渋い声ではなく、高めの明るい声でした。
その方が語る中に、音が高い部分、つまり、お芝居としては盛り上がったり、登場人物の気持ちが昂ったりする部分、が出てきます。そこの高い音をパツーンと決めれば、人形と合わさって芝居が良い感じになるんだろうな、若手お二人はさぞかし気合が入るのでは?と思いつつ、聴いていました。
音が高くなるヤマ場の前は、音の低いところから入っていくので、そこを聴いていると、この高音部分が上手くいくかいかないか、声の調子などでよく分かりました。
”あ、今日は高い音決まらへんかも”と思っていると、やはり”あ~残念…出ぇへんかったなー”とか、”今日はイケそう?”と思っていると、”あ、上手くいった!”などと、密かに残念がったり、喜んだりしていました。…大きなお世話ですが、自分の青さを横に置いて(笑)、内心応援している気分でした。
ただ、こういうことを感じたのは、お若い方だったからだろうな、と思います。
ベテランの方は、声が出来上がっているのと、ご自身の語り方が既にあるので、どういう声(音)で発声するかが明確にあります。
しかし、お若い方は、まだ声も定まっていないし、教えて頂いたことを素直に語る、という感じで、語りの音をきちんと出そうとして、その日の状態が素直に表れてれていたのでしょうね。しかも、新作となると、お手本になる音が決まるまでも期間が短かったのでは。
クラシック音楽でも、個人差はあるものの、声楽の方はやはり声が出来上がって来た頃に、表現力が深まるという感じなので、こういう点は分野関わらず同じかもしれません。公演を毎日先入観なしで聴けたのは、大変良い経験でした。
アルバイトの休憩時間に毎日観る、というのはそうそうない経験ですが、時間短めの観劇は”幕見席”というのもあるので、ご興味ある方はご利用されても良いですね。
アルバイトは夏休み公演の終わりと共に終了しましたが、その後しばらくは、大阪で公演がある度に、文楽劇場へ出かけました。このところは予定が合わないこともあり、あまり行かなくなってしまいましたが、人形浄瑠璃という世界でも類を見ない舞台は、今でも心惹かれています。
人形だから表せる人間の心の奥底にある美しさや怖さの生々しさは、劇場の客席に座って肌で感じて欲しいと思います。そして、それは義太夫という語りがあってのことなので、言葉の一つ一つはわからなくても、床から発する三味線を含む”音を体感する”感覚からでも良いのではないでしょうか。
以前、中国の京劇の役者兼演出家の方のトークイベントに出かけた時に、質問コーナーで比較的高齢の男性が質問をされていました。簡単に書くと「京劇を理解するにはどういうものから観たら良いですか?」という内容のことを尋ねていらっしゃいました。
これに対して「どういう内容でどんなセリフが話されているかより、何でも観て、(アクロバティックな)動きなどを楽しんで」と京劇の方は応えていらっしゃいました。
お尋ねになった男性には、ちょっとご不満な?お答えだったようですが、これは、京劇だけでなく、全てに通じることだと思います。客席に座ったら自分の感覚を自由にして、心の向く方向を大切にしてほしいですね。意味がすぐに理解できないと思う自分に、振り回されたり、がっかりしたり、また、一緒に拍手しなきゃ、とあせる必要はありません(笑)。あれはどういうことだったのかな、と後から思い出して調べる、気になるようでしたら、もう一度劇場へ足を運ぶ、ぐらいで良いのです。
余談ですが。アルバイトが終了する前に”もう少し続けてみない?”と劇場の上の方からお誘いいただいていたのですが、音楽関係の仕事がぼちぼち入ってきていたので、そのまま辞めることにしました。今ならスタッフさんやお客様とお話するのも楽しめただろうと思うので、続けても良かったかな、と思うのですが。もう遅いか(笑)。
得難い経験をさせて頂いたなぁ、と時々思い出すこともあり、紹介して下さった友人のお父様、色々教えて下さった劇場の皆様に、心からの感謝を申し上げます。
地味に「文楽ってかっこいいよ!」と言い続けておこう、と思う日々です。
<ひとまず完>