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南欧⑧アルルの衣装祭

その日は、快晴で青い空がますます青かった。
ホテルを一歩出て、通りを歩くと中世の紳士・淑女や民衆が広場に向かって歩いていた。
まるで、映画の撮影現場に行ったような、中世にタイムスリップしたような感じだった。
サン・トロフィーム教会がある広場からパレードは出発するのだ。
その教会に行くと、丁度結婚式がおこなわれていた。
教会の階段で花吹雪を受けながら、純白のウェディングドレスの花嫁が満面の笑みを浮かべていた。
しばらくすると、もう一組の花嫁も後を続いた。
お祭りには、結婚式も混むようだった。
広場には、その花嫁衣裳に負けないような、中世の扮装をした多くの家族ずれ・グループがいた。
懐中時計を粋にぶら下げた老紳士やその婦人。
その孫であろう子供たちも、レースやフリルをたくさんつけた可愛いドレスで参加していた。
赤ちゃんまで扮装をしていた。
各自、自分の個性にあったドレスに身を包み、周りの人たちと談笑していた。
どれ一つ同じ衣装は、なかった。



村人のような民衆もいた。
村によって模様や色やスタイルがあるようで、グループごとにその特徴がはっきりしていた。
どこの国の民族も、民族衣装を着るとその土地にぴったりとはまるものだ。
当然であろうが、土地のその装いは、その民族を一番綺麗に・カッコ良く見せるものだ。
素敵な老紳士がいたので、一緒にカメラに入っていただいた。
ここでは何の規制もなかった。
観光客が自由にカメラを向け、気に入った人のそばに行って写真を撮っていた。
広場は観光客と参加者のきらびやかな衣装で、燦然としていた。
そんな中で、浴衣姿の日本人が2人いた。
その浴衣姿はだらしなかった。
首抜きもできていなく、衿筋もすそも乱れており、挙句に足元は靴を履いていた。
衣装祭だから、浴衣を着るのは結構だが、着方がまるっきりできていなかった。
同じ日本人が見ると赤面する姿だった。
でも、異国のこの地では、本人たちは多くの人にカメラに撮られ、満足そうな様子だった。
小姑根性丸出しのわれわれおばさんたちは、興ざめした。
 
馬のひづめの音が、してきた。
若者が馬に乗って現れた。


続いて若く美しい女性も馬に乗ってやってきた。
パレードが始まろうとしていた。
馬車も現れ、その中にも美しい人が乗っていた。
パレードはこの広場から円形闘技場までだった。
アルルには美女が多いと、言われている。
その通りだった。
本当に若い女性だけでなく、
中年や初老の人が気品のある落ち着いた着こなしのドレス姿を
見ていると、自然に顔がほころんだ。


パレードの順番は、身分の上の人からのようだった。
支配階級の華やかなドレスが過ぎると、村人たちが続いた。
本当に目の前で、映画を見ているようであった。
中世の村にいるであろうおばさんが、スカーフをかぶり大きなエプロンで“ちょっとオシェレをしたわ”の雰囲気だった。
太古腹のおじさんが、お祭りのときにはこんなだったんだろうと思わせる素敵な衣装姿でニコニコと歩いていった。
木こりの扮装の男性もいた。
手作りの木製乳母車を押す若いお母さんも通っていった。
乗っていた赤ちゃんも中世の衣装だった。
その徹底ぶりは、さすがだった。
以前、イタリア旅行でフェレンツェに行ったときだった。
運良く、中世のパレードに出くわした。
貴族を先頭に、名士やその夫人が中世衣装ドレスを着てパレードしていた。
騎士がその後に続いていた。
その時も感動したものだ。


だが、このアルルを先に見ていたら、感想は違っていただろう。
ここでは町ぐるみでおこなっていた。
各地方からも伝統の衣装で参加し、その日は完全に中世に戻ったようだった。
最終的に円形闘技所に集結し、そこでコンクールが始まった。
グループごと、地区ごと別に舞台に上がり、歌を披露したり、ダンスを披露してくれた。
円形闘技場は、満員ですし詰め状態だった。
観光客も地元民も大いに楽しんだ。
お祭りは大好きだ。
そこには違った表情が現れ、普段では味わえない興奮があるからだ。
 
 

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