Fo
https://youtu.be/mTgtoMkinCM?si=APMo2U3r5SPkenC2
好きすぎて切ない、
という感情を久しぶりに感じた。
何回も聞いている曲なのに
涙がこぼれる。
トラック、dodoの声が、愛しい。
今聞いているのに飽かなくて、喉が渇く。
まだ、もっと、
欲しいと思う。
もしこの曲の提供がなくなったらどうしようとか考えて思わずダウンロードするくらいに好きだ。
もし実際に聞くことができなくなったら、どうにか再現できないかトラックメイクの機材を買って試行錯誤すると思う。完全に杞憂だけど。
" Fo "
この曲は確か、昨年の秋冬くらいにずっと聞いていた。
毎日終電時刻を過ぎてから、3駅先まで行っては家に帰るだけの2時間くらいの散歩をしていた、この曲をひたすらに聞いて。
忘れられない記憶に苦しんで悩んで、そんな自分を受け入れようと誰もいない道を一人泣きながら歩いて必死にもがいていた、そんなときだった。
私は確かにこの曲に救われていた。
音楽は聞くことで何かを感じさせるだけでなく、聞いているときの情景を閉じ込めて保存する力を持つ。
時がある。
mp3だけどmp4のような、そんな感じ。
この曲はそれだった。
しばらく注意して聞いていなかったこれを不意に聞いて、そのときの景色、感情、記憶が蘇ってきた。
紅葉した木々と落ち葉が美しかった、とか
歩道は広く、まっすぐな道が続いていた、とか
辺りは暗いが、マンションの非常灯が輝いていた、とか
行きはつまらないが、帰りは面白かった
家に帰り着くとき、安堵と寂寞を感じた、とか。
最近はkeshiの新曲リリースもあってdodoの曲から少し離れていた。久しぶりに耳にして、あらゆるものがぶわぁっと溢れてきた。
そして再認識した。
dodoは天才だ。
あまりいい例えではないけれど、
もしいつか、生きているのが辛くて命を投げ出したくなったとき、美しい曲を聞くことができなくなることを惜しんで踏みとどまると思う。
私にとってその理由に、dodoはなり得る。
待って、いい例え分かった。
もし無人島にひとつだけ持って行けるとしたら、
の答え。
私は
dodoの曲が入った音楽プレーヤー
を持っていく!(大真面目)。
超大容量バッテリーとハイレゾを備えたたかーいやつ。で、こっそりポケットにイヤホン忍ばせて(ひとつだけとは)、島ではただ大好きな曲を聴いてできるだけ長い時間を過ごしたい。
私にとって音楽を聴きたいは、空腹とかと同じレベル。
私の中では極論、
音楽聴けない=餓死
という認識。
なんてね、大袈裟。
静寂も自然音も好き。 都会の音も別に嫌いじゃない。
でもその時間は音楽を聞く時間の100分の1でいい。
とにかく今は、dodoが聴きたい。