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【雑記】現実と虚構(1)−女風ユーザーとセラピストの視点から−

ソーマさんは女風のセラピストさんで、わたしが初めてリピした人。
わたしはお客さん。

わたしとソーマさんとのこと、女風のこと、現実と虚構という観点から、一度、整理してみようと思う。虚構、フィクション、人によっては非日常という言葉がしっくりくることもあるかもしれない。
脈絡もなく書き綴った文章に、そのまま見出しを付けたので、見出しから内容がはみ出しているところもあるけれども、ご了承ください。



言葉



わたしとソーマさんの連絡手段はお店のメッセージ機能。わたしが、Xが苦手だから、この機能で連絡をする。
予約の時以外は、メッセージを送っても既読だけで返事はない。
「確認だけにしています」と言われているから。わたしも「読んでもらうだけでいいよ」と言ったから。

そして、わたしの言葉だけが降り積もっていく。
でも、それも2ヶ月で消えてしまう。
どんなに言葉が積もっていっても、
全てが消えてしまう定め。
残らない重さが、ソーマさんにはちょうど良いかもしれない。

言葉は、2ヶ月経つと、ひらりとひるがえって電子の海に溶けていく。

現実と虚構
本当と嘘

何度もその間を行き来する。
何度もそのあわいに、とりとめもなく身と心を漂わせる。

全くの現実も全くの虚構もないのだろうから、たぶん、現実と思っている世界も、このあわいの世界の濃度の違いだけかもしれない。わたしの身体と心は、この、あわいの世界でふわふわと漂っているだけなのかもしれない。
…、いや、それは、単にわたしの願いなのだろう。
白黒はっきりさせたくない、明確にしたくないから、そう思っているだけなのだろう。

現実のあなたは、もちろん、現実の世界の中で生きている。きっと、大切な人たちがたくさんいる。いつも傍で寄り添い合っている、向かい合っている、大切な人たちがいる。仕事の上で。プライベートで。
だから、ああいうふうに伝えてくれたんだよね。

すみません、仕事中もさることながら、男女関係なくその場にいる方の時間を妨げてスマホの操作に時間をかけるのは失礼に当たると思っていまして・・・確認までにしています。ご理解いただきたく、よろしくお願いします。

それに、セラピストとしてちゃんと自分を律しようとしているんだよね。きっと、この留め金は外せないって守っているものがあるんだよね。この留め金を外してしまったら、もうドミノ倒しのように次々と外れてしまうかもしれない。

わたしも弱いからわかる。そこを外したらきっと自分を制御できなくなってしまう、律するものがなくなってしまう。適当な頃合いを測れなくなってしまう。そういうものってある。
わたしがあなたのことをどう想っているか考えないようにしていたように。ふつふつと湧き起こる想いに蓋をしていたように。

ソーマさんがときどきブレるのを見てると、そんなに強くないんだろうなって思う。だから、なおさら、厳しくなるんだろうなと感じる。
そうやって、セラピストとしての自分を維持していこうと、守っていこうとしているのなら、わたしは寂しいとか言ってちゃいけないんだろうね。

想いを傾ける


セラピストさんとわたしは、お金を払って成り立っている関係。最初から虚構だよね。そこは見てる。ずっと見つめている。

何ヶ月も言葉を送ることを躊躇し、既読だけが付くメッセージを眺める。そんな時間が長く続くと、必然的に、女風という虚構の世界で想いを傾けてしまった自分自身を見つめてしまう。自分に何が起こってしまったのか。自分はどうしたいのだろうか。
想いは、自分自身に突きつける刃になってしまう。

まだ、たった3回しか会っていない。そんなわずかな虚構の時間の中で、わたしは、ソーマさんの何を知っていると言うのだろう。何も知らない。そのうち1回は施術を拒否してしまってもいる。わたしのせいでお店から指導も受けさせてしまった。そこで怒らせてしまって、切れてしまっても仕方なかった関係。

それなのに、あなたから手を差し伸べた。
嘘つきさんにもなってくれた。
二駅の日常の隣にいてくれた。

虚構のソーマさんとして、
虚構から抜け出たソーマさんとして
いや、わたしが、そう思っただけだろうか。

このできごとがなくても、想いは既に傾いていた。

わたしの頑ななストッパーを外せたのは、ソーマさんだけだったから。いたずらっ子のように鮮やかに放り投げた。そして、わたしは勝手に言葉の罠にかかっていたから。

女風という虚構


わたしが会いたいと行動に移さなければ、会うこともできない。
あなたから、会いに来てくれることは、決してない。

あなたの時間を買わないと、会うことはできない。

わたしは、女風は、セラピストさんの時間を買っていると思っている。生きている現実のその時間を虚構の世界で共有するために。

あなたは忘れるプロだから、
決して人肌に惹かれることはない。
職業人としての矜持をもって、
ひとときの肌の重なりも
滑らせた指が感じとった熱も
別れた途端に、きっと忘れている。

セラピストさんは虚構。
実体のある身体と心を持ちつつ、
虚構の世界を通してでしか、
わたしとは向き合うことがない。
身も心も現実にあるわたしとは
永遠にすれ違う。

温もりも痛みも吐息も言葉も
わたしの現実の世界に置き去りにして
あなたはあなたの現実の世界に戻っていく。

そうだね、やっぱり迷子のままだ。
わたしの帰り道は、あなたが置き去りにしたものを抱えて、わたしがひとりで行くしかない。
わたしが帰るべき場所には、わたし自身で帰るしかない。

わたしのお金と時間が続かなくなったら(女風は、本当に贅沢な“大人の遊び”)、わたしが裸の自分を届けることに耐えられなくなったら、わたしが想いを持ち続けることができなくなったら、ソーマさんが女風の世界を退いたら、わたしとソーマさんの関係はジ・エンド。

セラピストさんの側に、関係を続ける動機も理由も何もないのだ。
ただ、予約を入れてくれたから、その時間、誠心誠意向き合ってくれている。
 
容赦なく押し寄せ、引き出され、湧き起こり、降りかかる現実に埋もれてしまいそうになる。潰されてしまいそうになる。

何かの現実に虚構が追いやられてしまったら、そこで終わり。

想い続けること


今回は、とにかく、現実を書き出してみたかった。この現実にわたしはいつまで耐えられるのかな?どうやって耐えていくのかな?考えてみたかった。

セラピストさんはあくまで虚構。会っている時は実体として向き合っていて、そして、自分自身の身体と心は現実にあって、そんな中をわたしは生きている。

未来なんてない。ほんとに、刹那だけの関係を続けていく。
それでも、想い続けていく。日常の中に虚構を抱えながら。

これって、辛いこと?
苦しいこと?
違う。
これは、本当の辛さや苦しさではない。
だって、最初から、想いを伝えるつもりはないのだから。
最初から、完璧な片想いだとわかっているから。
最初から、これは、わたしの中で完結する物語の中の想いだとわかっているから。
全て、妄想。
やめようと思えば、わたしが、決断さえすれば、いつでもやめられる。

相手に告げたい想い。
わたしだけ見て欲しいという願い
あなたからも想われていたいという祈り

はなから、そういう想いも願いも祈りもない。

…、そう言い切れるのは、今、会ってないからだろうか。わたしの妄想の中で、完璧な片想いを続けられているからだろうか。
今、こんなにも静かなのは、会っていないからだろうか。

ソーマさんは、わたしのことを、ときどきは、思い出すことはあるのだろうか。メッセージが途絶えた時は、どうしたのかな?、と思うこともあるのだろうか。
そんなことは考えてもどうしようもないこと。
あなたは、きっと、現実の世界でいっぱいで、虚構の自分のことはどこかに置いている。虚構の世界で、出会ったわたしも一緒に虚構の世界に置いてきている。

現実のあなたのことは知りようがない。あなたの本当の姿は、わたしにとっては、虚構の世界での姿。その世界でのあなたが、わたしにとっての真実。

そうだとわかっていても、会ったら、何もかも欲しくなるのだろうか。どこまでも知りたくなるのだろうか。告げたくなってしまうのだろうか。わたしのことを知ってほしいと思うのだろうか。
会ってしまったら…、わからない。


身体を満たしたい願い



現実に会って
身体を重ね合って
生々しい時間を共有するけれども、
それさえ、虚構を通して共有した時間。

わたしが、本当に恋をしたいと思うならば、
本当に現実の世界で出会いたいと思うならば、女風に時間とお金をかけている場合ではない。

でも、最初から、それは望んでいなかったから。気持ちは要らないと思っていたから。
疼く身体を何とかしたいと思っていたから。
セラピストさんとの出会いがあれば、快楽を手に入れられると安易に考えていたから。セラピストさんが導いてくれると思っていたから。
自分の身体のことは考えずに。
以前にも書いたけど、自販機でものを買うように、快楽をお金で買えると、本当に安直に考えていたから。

1年間、7回の時間で、ようやく、少しこの世界のことを知ることができた。わずかな時間だけど深く満足できた時もあった。セラピストさんの技術がどうこうというより、わたしの感度が鈍すぎるんだなぁという現実にも頭を打ったし(笑)。

焦りはある。早く手に入れたいのに、自分の身体がもどかしく思う。ときに、セラピストさんに申し訳なく思う時もある。
たぶん、そんな時は、自分の身体を商品だと思っているとき。
気にしなくていい、気持ちよくなることが大切と言われても、自分自身への敗北感で一杯なのだ。

想うだけでいいという裏側には、そんな生々しい、性への叶えられない願いがある。

そして、やはり、身体を満足させることのほうが、わたしとしては、重要なこと。
虚構の世界で叶えたい、現実の願い。

ソーマさんへの想いは、まさしく、そこに殴り込みをかけられた、いや、降って湧いたと言うべきか、女風を始めた目的からすると番外戦のようなもので…。

身体、心と想い、それぞれの現実と虚構




女風ユーザーとしての願いは虚構の世界で叶えたらよかったのに、ソーマさんへの想いを現実の中に持ち込んでしまった。

虚構の姿を、虚構の想いを、現実の世界に持ち込んだ。

身体と心、それぞれで満たしたいものや願いの在り方は、現実と虚構という2つの世界のどちらに軸があるのかという観点から見ると、その在り方は対照的だった。

身体を満たしたい
セラピストさんは虚構、向き合っている時は虚構の世界の中で実体としてある、わたしは現実の世界で感じている。虚構の世界で叶えたい、現実の願い。

ソーマさんを想う
思っている対象のソーマさんは虚構、わたしは現実の世界で虚構を抱えている、わたしの心は現実にある。現実の世界で紐解く、虚構の物語。想えば想うほど、現実の世界に虚構を巻き込み、捻れて、縄のように撚り合わされて、分かち難くなる。

こう見ると、身体のほうがまだ、単純に思える。虚構の世界ではあっても相手は実体をもって、わたしに触れ、現実の世界でわたしは感じている。

でも、想いと心は捻れている。湧き出る想いは現実の心が生み出しているけれども、想う対象も想いを繋ぐ物語も虚構なのだ。

たぶん、それで、ずっと混乱していた。
現実と虚構の間で。
どっちにいるのかわからなくなりながら。
想うこと自体が、もう現実も虚構も分かち難くなるものなのだから。

言葉の現実と虚構


言葉が欲しいという願いは、どうなんだろう。

言葉を欲しいと思っている対象は現実の中の現実の人であり虚構の人(身体と心の考察の時は、虚構の世界にいる虚構の人だったけど、言葉を欲しい対象の虚構の人は、現実世界に在る虚構の人)。

わたしは、現実の世界から、現実であったり虚構であったり、それらがい交ぜになった言葉を、虚構の人に送る。たぶん、セラピストさんが虚構の世界にいるのから現実の世界にいるかはあまり気に留めていない。ソーマさんはソーマさんだから。

虚構の空間を通して、言葉を届ける。

ソーマさんからは現実の世界から、現実であったり虚構であったり、それらが綯い交ぜになった言葉が送られてくる。
それが現実の人から送られているのか、虚構の人から送られているのか、わたしにはわからない。きっと、ソーマさんも自覚して送ってくるわけではない。

お互いに現実にありながら、虚構の空間を通して、虚構の物語を通して、言葉を送り合う。

言葉だけが自由



現実と虚構と、少し整理をしてみた。整理をしたからといって、想いの現実は何も変わるわけではないのだけれども。
それでも、もう少し、女風の海を上手く泳げられるようになったらいいかなと。

わたしのどうしようもない身体は、完全に虚構の世界に閉じられた個人レッスンのナオ先生に預けて(ちゃんと、生徒として頑張りますよ)、ありのままの身体と心をソーマさんに委ねたい。虚構も現実も綯い交ぜになった想いが続く限り。

時には心を炙られて、大波にのまれてしまうこともあるかもしれないけど。それでも、また、ぷっかりと浮かび上がることができる手段を、きっと見つけられる。レスキューを要請することもあるかもしれませんが…。

タイル敷の道を慎重に歩いてきたわたしが、やはり、女風の世界でも同じようにタイルを敷き詰めながら道をつくっている。
今度は、あらかじめつくられた道じゃないから、ひとつひとつタイルを敷きながら、少しずつ少しずつ進む
不器用なわたしが作る道だから、きっと、でこぼこで、あちこちはみだしていて、うねうね曲がっていて、とても人様をお通しできない、わたし一人が歩く道。

そんな道づくりに、今は、ソーマさんとの物語が、必要。

自分の中の物語をつくっていく。現実の世界で、虚構の世界で、息をするために必要な物語を。

だから、これからも言葉を送り届けていいですか?

言葉だけが、
あなたとわたしの現実の間を、現実と虚構の間を自由に行き交うから。




〈追記〉
現実と虚構−セラピストさんの視点から−


少し、想像する範囲でセラピストさん視点で考えてみた。

セラピストは、ほぼ、源氏名で活動している。現実問題として、身バレの問題もあるだろうけれども、自分自身を女風という虚構の世界に置くための、女風セラピストとしてお客さんと向き合うための重要な仕掛けでもあるだろう。

お客さんは、その虚構の世界を訪問する人。生身の身体と感情をもって(引きずって)、ときには、何もかも置いてきたような顔をして、セラピストの前に姿を現す。

お客さんと実際に向き合って、この世界にどの程度馴染んでいるのか、どのくらいの深さに飛び込んできているのか、まだ、入口に立ったままとまどっているのか、きっと細やかに観察しながら、女風の世界にそっと導くのだろう。

お客さんは、たいてい、現実を引きずったまま姿を現す。そこを慎重に受け止め、剥がしていきながら、セラピストの虚構の世界に招き入れていく。

虚構の世界での実体をもった関係。

虚構の世界の中で、お客さんの現実の身体と心が解かれ、快感に浸り、快楽に溺れていくさまを、虚構の世界にいる虚構のセラピストが冷静に見守る。(自身も熱くなることはあるだろうけれども、きっと、頭は無茶苦茶冷静だと思う。)

予約時間が終わり、お客さんと別れるときは、どんなに優秀なセラピストであっても、お客さんのことを現実の世界に上手くは送り出せない。

最後まで、セラピストは虚構の姿のまま、虚構の世界にいるから。

現実の世界に如何に立ち戻るかは、客自身の問題。客自身のセンス。女風の利用を決めるのはあくまで客自身。そして、利用を終えることを決めるのも、ここまでと線を引くのも客自身。

虚構の時間が素晴らしいものになればなるほど、深く刻まれるほど、予約時間を終えても、虚構の世界から抜け出せなくなる。
“沼”。

忘れられない、刻まれた虚構の時間が、虚構の世界を、客の現実の世界に引き寄せる。

どんなに優秀なセラピストでも、勝手に沼ってしまう客を、どうすることもできない。

セラピストは、別れた途端、忘れる。自身のお客さんのカルテを作ったら、次に目を向ける。

虚構の世界の中で、虚構の自分のまま、さっきまでの肌の温もりも手触りも声も熱も汗も、自分の下で蠢いていた身体も、きれいさっぱり忘れる。
そうしないと、身が持たない。
そういう術を身に着けている人しか、セラピストは続けられない。そう思う。

人の肌には魔力があるから。
客はその魔力に簡単に絡め取られてしまうけど、セラピストは忘れることが大事な技術のひとつ。自身の身を守るためには、施術より大事な技術かもしれない。

虚構の姿のまま、忘れられるのだから、現実には何も持ち越さない。

虚構の世界の中で全てが完結する…、はずなのだが。
会っていない間、予約と予約の間、お客さんから送られてくるDM だけは、どうしようもないかも。

セラピストとしての虚構を外している時に飛び込んでくるDM は、とても生々しい現実に違いない。予約でもないDM は、現実世界に突如割り込んでくる、生身の自分に届けられる、虚構の時間からの…、亡霊(生き霊!?)のようなもの、だろうか。
(失礼しました!セラピストがお客さんをそんなふうに思っているという話ではありません。あくまで、突き放して客観的に見た時に、わたしがこう思った、ということ。
きっと、実際は、いそいそと虚構の世界からお客さんカルテを取り寄せて、あぁ、あのときのあのお客さんだねぇって思い出してくれていると思います。)

どう受け止めるかは、セラピストのスタンスや、DMの内容、客の資質、セラピストと客との関係性、いろんなことが絡まり合うだろうから一概には言えないけれども。

セラピストにとって対処方法はさまざま。客にとっては、セラピストがDMにどういうスタンスをとっているか明確にしてもらえると助かるかな。

セラピストさんが、どんな現実と虚構の世界に身を置いているのか、あくまで、これは、わたしの想像にすぎない。



「現実と虚構」は三部作です。

第二

第三



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