【雑記】わたしが女風で求める快楽(3) 〈沼編〉
はじめに
◇◇◇「わたしが女風で求める快楽」共通のはじめにです。◇◇◇
わたしが女風(女性用風俗)という場、セラピストさんとともにいる時間と空間という“場”で求めている快楽って何だろう。
快楽は、きっと、そのときどき、会う人、会っている環境、わたしの身体や心の状態、初めての人なのか、何回も会ってきた人なのか、いろんなことが絡まり合って、わたしの快楽がある、というあたり前のことにようやく気付いた。
だから、ひとつひとつが、その場とその人との関係性とで違ってくる。
求める快楽も、何を快楽と感じるのかも、同じ人でも、そのときどきで、きっと違う。
会っていないときでも、何気ない言葉が快楽をもたらすこともある。
ときには、闇ですら、わたしの求める快楽になるかもしれない。
快楽の顔は、多面だ。
今回のテーマは、セラピストさんに、はまってしまう「沼」。約7,500字。今回も長くなってしまいました…。
「沼」は、女風では外せないテーマだけど、ありきたりすぎて、自分でこのテーマを設定するとは今まで思いもしていなかった。
では、なぜ?
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
沼ってた
わたしが女風を始めるとき、一番警戒したのは、「沼」。
わたしは身体を満足させたいだけ。恋愛をしたいわけではない。セラピストさんの技術を享受して快楽に溺れたいだけ。
迷子のわたしを見つけてもらって、わたしの姿を映し出してもらって、わたしの知らないわたしに出会って、また帰るべき場所に送り出してくれたらいい、そう思っていた。
そう、最初は。初めて会う人だったら、それで済む。生身の裸の自分を差し出す怯えや怖さを、快楽を得るという欲望で超えていって。
ソーマさんと出会って、リピするようになってからは、自分自身がソーマさんをどう思っているのかということに固く固く蓋をしていた。
それほどまでに沼を恐れていた。
そして、感じ取っていたのだと思う。女風の沼に自分自身も例外ではすまされないと。
今は、確信している。
女風で沼らないなんて、そもそも無理。
よほど、性的な部分だけの満足感をその場だけで得られたらいいと、得たいものが明確で限定されていて、きちっとその場で解放し、解消されない限り。
わたしは、ソーマさんに焦がれている。
身体ごと心ごと、否応なく。
沼ってる。もう、ずっと。
きっと出会ったときから。
言葉を届けてもらったときから。
今頃ようやく実感レベルで気付きました。本当に救いようがない阿呆です。
(今、読み返すと、「気持ちと言葉編」も、普通にしっかりずぶずぶでした…。)
セラピストさんと過ごす時間と沼
わたしにとって、女風でセラピストさんと過ごす時間は、ただ性的な部分だけを取り出した、そこだけの関係ではない。
欲しいのは性的な快楽。
でも、性的な部分だけを切り取って、欲しいものが得られるわけではないように思う。少なくとも、わたしはそう思う。
セラピストさんと会うとき、わたしは、人として向き合っている。名前をもつ、顔を持つ一人の人として向き合っている。
自分の過去や現在、すべてを持って飛び込み、自分の存在そのものをぶつけている。
そうしないと裸になんてなれない。生身の自分自身を差し出すことなんてできない。そうやって、セラピストさんにわたし自身を委ねている。
(セラピストさんには、重すぎて申し訳ない…。)
そして、セラピストさんの存在を含め、その場のその全てを感じとろうとしている。
セラピストさんと向き合って、五感を研ぎ澄ませ、集中して、貪欲に全てを感じ、受け入れ、わたしの欲しいものに精一杯に手を伸ばす。
最初は、身体を満足させられたら、技術を享受できたら、それだけでいいと思っていた。
でも、快楽を得ようとすれば、生身の裸のわたしを差し出すしかない。
通常ではあり得ないほど自分自身をさらけ出し、快楽を追い求める性的な行為の中で育まれる信頼感、とまどい受け入れ快楽に堕ちていく自分自身の存在がありのままに受け入れられているという安心感、それらを深く感じることができる歓びが、柔らかく、鋭敏になった心に刻まれていく。
セラピストさんとともにある時間の中で、セラピストさん自身の存在も含め、すべてを受け入れ感じようと、柔らかく、鋭敏になった心に。
それは、渇望が深いほど、激しいほど、より深く刻まれる。
これで、沼るなという方が難しい。
リピと沼
現実の人間関係は、自分の存在の一部のみで繋がっている限定的なもの。
でも、性的な関係は、女風で快楽を得ようとすれば、自分の生身の存在そのものすべてを委ねて、さらしていくことになる。
それを受け入れてもらえる特別な時間と空間の中で、セラピストさんに特別な感情を抱くのは自然のなりゆきだろう。
再び、あの時間と空間をともにしたい。受け入れてもらえたという特別な記憶が、脳と肌の記憶が、特定のセラピストさんに気持ちを傾斜させる。
もし、リピを繰り返すようになっているなら、それは、もう沼っているのと同じ。
最初は迷子だった。迷子のわたしを見つけてもらって、また、帰るべき場所に送り出してくれるのが女風と思っていた。
でも、もうリピになると、迷子ではない。特定の人に会いに行く。意思を持って会う。
わたしの意思が、わたしを導く灯火になる。
完璧な片思いの沼
ユーザーは、勝手に沼る。
セラピストさんは、ユーザーが沼っていることをユーザー自身に自覚させることぐらいしかできない。
ソーマさんの距離感は、鉄壁だ。
わたし自身、予約もしていないのに、連絡をするわけにはいかないので、今は、ほぼ、2ヶ月近く、メッセージを送っていない。
お店のメッセージ機能は2ヶ月で消えてしまうから、今は、最後に送った旧暦の七夕のメッセージが残るだけ。
ときどき開いては、「既読」の文字を眺めるだけ。
そして、まだ在籍してるよね、って確かめている(笑)
もともと、本業が忙しくなってセラピストとしての仕事もそれほど入れなくなっているようだし、ソーマさんからメッセージがくる望みはない。
それはね、わかっている。
セラピストとして誠実な証。
わたしは女風の一ユーザー
この完璧な片思いの世界!
閉じられた世界での、この完璧な片思い!
勝手に沼って
勝手に悶えて
ひとりの世界の中で妄想に溺れ、
ひとり語りの物語に封じ込める。
沼ることを恐れていたわたし。
今は違う。
沼って当然だと思う。
沼るほど、向き合った。
焦がれるほど、刻みつけた。
焦がれる
ソーマさんに対する想いは、「好き」というより「焦がれる」という言葉がしっくりくる。
わたしの中で「好き」という想いは、その人のことを想って弾けるような気持ち、または、逆に静かに染まっていくもの、心の中に深く沁みこんでいくもの。そして、届けたくなる真っ直ぐな想い。
根底にあるのはその人のことを想うこと。
今のわたしの想いがしっくりくるのは、「焦がれる」感じ。
わたしの身体に刻まれたもの、わたしの心に刻まれたものが、疼きながら、わたしの身体や心からはみ出してくる。じわじわ広がりながら、手のような、触手のようなものを伸ばしている感じ。
根底にあるのはあくまで自分。
そして、その自分も、全体として統合された自分ではなくて、ソーマさんを刻み込んだ身体と心、感覚器官のあちらこちらが、ばらばらに身悶えて恋しがっているような感じ。
ソーマさんの息づかいや声、届けられる言葉、眼差し、表情、肌に触れる指や舌、唇…、温もり、二人の間にまとわる空気の流れ。
思い起こすと身体が火照り、胸がざわめく。
会いたいと思う。
抱き合いたいと願う。
縄で抱かれたいと希う。
宙に浮いた言葉が安住の場を探す。
送り出すことができない言葉が逆巻く。
決して届けられるはずのない言葉を収めるための空白が震える。
心が引き絞られ、苦しくなる。
これは、単に性的な衝動、欲求からくるものなのだろうか。
他のセラピストさんから満足できる施術を受けたなら、上書きされるものなのだろうか。
離れているから、なおさらとらわれている。美化されていく思い出にとらわれている。
会わない時間が、離れゆく距離が、身体に心に刻んだものをさらに、さらに深くする。
辛くて、苦しくて、
そして、こんな想いに溺れている自分を好きな自分がいる。
おそらく、このまま妄想を続けていると、現実に会うのが怖くなってしまうだろう。
もう、永遠に会わないことを願ってしまうぐらい。
焦がれている、という想いに、
手を伸ばした指先は、何もない虚空を撫でる。
ソーマさんへの想い(1)−フェードアウト−
焦がれるという感情は、自分の内外がなくなるような感覚だ。もはや、自分が何を欲していたのかさえ定かでなくなるような。自分が求めていたものでさえ、侵されていくような。
そう、わたしは、もう、ソーマさんに性感はあまり期待していない。(セラピストさんに、なんて発言!)
初回の後、見つけたと思った。
ようやく出会えたと思った。
でも、3回目の時間の中で、わかってしまった。
わたしを開いてくれる人は
わたしを導いてくれる人は
わたしの形を見つけてくれる人は
ソーマさんではなかった、と。
この気付きは、かなり辛かった。
それは、また、はじめまして、を繰り返していくことを意味しているから。
ソーマさんに焦がれながらも、別の肌を重ね合わせていく未来を意味しているから。
もし、わたしを形にしていく試行錯誤を、ともにしてくれる人が現れたら、ソーマさんを応援することもできなくなるかもしれない。
そもそも応援できているのかな?
「今すぐは辞めないよ。こうして、応援してくれる人がいるからね」
ええっと…、ごめんなさい。応援できていません…。わたしは、今、わたしの形を見つけることに一緒に試行錯誤してくれる人を探しているところです。それをともにするのは、あなたではないと気付いてしまったから。
予約も長く入れていない。
メッセージも送っていない。
どんどん消えていく言葉たち。
フェードアウトしていっているのは、わたしのほうだ。
じりじりと後ろににじり下がっている。
そして、もう言葉が送られてこない状況にソーマさんはほっとしているのではないかと思ってしまう、自分のこじれ方。
怖がりだな。
ソーマさんへの想い(2)−言葉の罠−
ソーマさんは、メッセージも、会っている時も言葉は少なめ。それなのに、ぽそっと届けてくれる言葉は、わたしをとらえて離さない。
言葉の罠。
おそらく、ソーマさん本人は罠をしかけたなんて思ってもいない。
罠を仕掛けられるのを望んでいるのは、わたし。罠にかかるのを望んでいるのは、わたし。
その罠に向かって一目散に飛び込んでゆく。ガシャンと扉がしまり、目の前にあなたの瞳がある。逃れられないこの状況を身を震わせて待ち望んでいた。
罠を仕掛けられるのが、罠にかかるのがどんなに嬉しいか。
「(わたしを「固結びの紐」と喩えて)一本ずつ解いていくように楽しめたらうれしい」
たくさんのやりとりを重ね、初回の予約日が近づいたある日、メッセージに届いたこの言葉に、わたしはとらえられてしまった。
この日から、わたしは、知らずにあなたの言葉の罠を待ち望むようになったのかもしれない。
「(街なかを走るオープンカーで鮮やかにワンピースの裾をはらった後)ダメなの?」
ダ…、ダメに決まってるやん!
驚きすぎて言葉が出なかった。真面目な顔で問うあなたの顔を見ながら、でも、込み上げてくる笑いを抑えるのに必死だった。
緊張を一挙に解いた魔法。そして、現実のあなたという罠にかかった瞬間
「(潮を飲むのは)誰にでもしてるわけじゃないよ。信じているから。」
なに、その信じてるって。わたしの何を信じてるん?だいたい、初回から飲んでたやん。
それに、それって、信じてるって、潮を飲みながら、言う言葉?
今、わたしに、言葉の軛をかけましたね。
ひどいな。
焦げ付いちゃうよ、ほんと。
「もう、勃っちゃった」
うん、ほんとにずっと、勃っているよね。
あのね、そんなに嬉しそうに、照れながら言わなくていいから。
永遠にわたしの中に入ることのない現実に向き合わされるだけ。
「縄は私の手や腕だと思って受けてください」
この言葉で、あなたに安心して身を委ねることができたよ。だから、次は、もっと強く、もっと長く抱いてほしい。
「私が挿入れようとしたのです」
わたしを救った、あなたの美しい嘘
わたしにとって、最大の優しい嘘
わたしがかかった、最大の罠
(この言葉の意味は、「気持ちと言葉編」をどうぞ。)
「(初回後のやりとりの中で、一瞬でも綺麗と思ったときありましたか?というわたしの問いに)頻繁に思っていましたよ」
思っていましたよ、だけでなく、頻繁に…。ほんとに罠を仕掛けてくるよね。「じっくり返信したかったのですが」と届けてくれたときと同じように…。
頻繁に…、今でも、今、会っても、そう思ってくれるかな…。
ソーマさんへの想い(3)−届けたい言葉−
もう少し、この完璧な片思いを続けさせてほしい。
繋ぎ続ける星座
完璧な片思いの、ひとり語りに封じ込めた物語の中で、自由に思い描く夢があってもいいよね。
ソーマさんとの逢瀬というひとつひとつの星を繋いで、わたしとソーマさんの物語を秘めた星座をつくる夢。
他のセラピストさんをリピするようになっても、わたしとソーマさんの星でゆるやかに繋ぎ続けていく星座。
次がもしあれば、4つの星を繋げるよ。4つの星があれば、立体もつくれるよ。なんか、そんなことを思って嬉しくなっている。
沼に溺れながら、溺れている自分を自覚する。そんな自分も、好きだよね。コントロールできるかどうかはわからないけど。
リピは、今はソーマさん一人だけ。
ひとつの沼に溺れていることをようやく自覚した、沼初心者のわたし。
来年から、回遊を始める。
生活を整えて、丁寧に過ごして、
仕事を頑張って、身体を整えて、
友人との関係も大事にして、
このnoteでの交流を支えにして
これから何がおこってくるのか。
どんな沼にはまるのか。
いったいいくつの沼にはまっていくのか。
その前に、ソーマさんに会っておきたい。
好きという言葉
焦がれる想いをこじらせている自分が好き(笑)
こんなに簡単に、自分のことを「好き」と言えるのに、ソーマさんに対して、心の中でその言葉を形にすることができない。
なぜ、これほどまでに好きという言葉が遠いのか?馴染めないのか?
好きから派生するさまざまな言葉は溢れてくるのに。
焦がれる。なびく。縋る。大切に想う。恋い慕う。恋しい。愛おしい。想いを馳せる。胸をときめかせる。胸が苦しくなる。苦しい。辛い。求める。溺れる。涙が溢れる。溢れる想い…。
でも、直球の「好き」という言葉だけは、ずっとしっくりこない。
何だか、本当に申し訳なくなるほど。
恋愛感情から逃げてるから?
やっぱり、どこかに置いてきてしまったから、だろうか。
たぶん、好きな人のところに。
究極にこじらせた想いの彼方に。
そうだね、わたしの中の「好き」は、猫のように自分の一番居心地のいいところを知っている。
だから、そっとしておく。
ゆりかごに揺られている言葉を、起こさないようにそっとしておきたい。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
こうやって、書き連ねた次の日。
わたしは心の中で、「好き」とつぶやいていた。
あなたに向かって「好き」とつぶやいていた。
そう、あなたを思い浮かべて、あなたに向かって送る言葉は、好き、しかなかった。
ずっと、自分の姿を見つけようとしていた。わたしはわたし自身にとらわれていた。
だから、わたしの状態を、わたしの形を言い表す言葉はたくさん生まれてきても、「好き」という言葉は遠かったのだ。
わたしにとって、「好き」は状態を表す言葉じゃなかったから。
わたしにとって「好き」という言葉は、想う人に直接(心の中の像であっても)伝える言葉、届ける言葉、手渡す言葉、送る言葉、…。
自分の姿のみ追い求めていた。そして、自分の想いからは逃げていた。あなたが、わたしの心に居場所を得てしまうことを恐れていた。
これっぽっちも考えていなかったのは、
わたしが抱いているあなたへの想い。
あなたへの想いを言葉にして、心の中のあなたの像に告げること。
そして、ゆりかごの中の「好き」は、そのまま揺られたままでいいんだ、ということにも気付いた。
「好き」は、一つじゃない。
わたしの中にあなたはときどき訪れて、わたしの中にあなたを迎える場所ができると、いつの間にかわたしの手のひらに零れ落ちてきていた。
「焦がれる」は
自分の状態を言い表す言葉
「好き」は
焦がれる人に向かう言葉
あなたに注がれる言葉
ありがとう
これまで、わたしのじたばたを見守ってくださった方たちは、今さら何をか言わん、と呆れていることでしょう、ね。
蓋がカタカタしているのを、もう、ごまかせない!と思ったのは、noteの花火の写真からインスピレーションを受けたわたしの詩を紹介してくれた、撮影者*sora*さんの記事の中のJUJUさんの「ナツノハナ」を、花火の写真を見ながらじっくり聴いてしまったから。歌詞の一語一語をかみしめながら。
「ナツノハナ」の世界に身を置くなかで、わたしの蓋が緩やかに開いてしまった。
好き
素直にこの感情を受け入れようと思う。
何十年ぶりの片思い。
届けることすら叶わない、女風での完璧な片思い。
(そして、この「好き」が少し前までは「焦がれる想い」だったことを告白しておきます。)
まだ、けっこうこじらせているけど(笑)、
ようやく、受け入れたよ。
ありがとう。
【詩】疼み火−ここまで読んでくれたあなたに−
これって女風の恋だよね、と今、とてもしっくりくるのが「疼み火」という詩。
noteに詩を投稿し始めて1ヶ月経ったころ、形になった詩。ソーマさんと出会う前。
この時にも、なぜ、こんな詩が生まれたのか不思議だった。そして、わたしの中の「狂気と情熱と切なさ」(コメントでのCir さまの言葉)を、この詩を超えて形にしたものを、まだわたし自身生み出せていない。
女風での恋、秘密の恋、そして愛を秘めているあなたに。