【雑記】現実と虚構(2)−「虚構」の中の“本当”−
昨日、「【雑記】現実と虚構−女風ユーザーとセラピストの視点から」という記事を公表した。
そのコメント欄で、女風ユーザー友にコメントを返していて、その記事で書けていなかった大事なことに気付いた。
なので、コメントに書いたことを再掲。
虚構だからこそ、叶えられる夢がある。感じられる幸せもある。自分自身になることができる。自身の欲望を追求することができる。
虚構の世界でのできごとだからと言って、誰がそれらを偽りと言えるのだろう?
あなたを感じているのは、偽りなく、現実のわたし自身。その世界にいてるのは、偽りのないわたしの身体と心。
セラピストは虚構とは言っても、生身の身体と心を持って、わたしと向き合ってくれている。
虚構の世界で構築される関係が、全て偽りというわけではない。
虚構の枠組みがあるからこそ、築けてきた関係性があるし、人と人との関係性は、まさにその在り方こそ全てだから。
女風やユーザーとセラピストの関係について、あまりにも容赦なく「虚構」という言葉に閉じ込めてしまった。何ヶ月も会えない、言葉も交わせない、そして、本業に軸足がシフトしているセラピストさんに想いを傾けてしまった自分自身の現状に引き付けて、そんな自分自身を克服したいばかりに。
ユーザーさんには辛い思いをさせてしまったかもしれない。わたしの大事な友人にも。ごめんなさい。
「現実と虚構」は、三部作です。
第一
第三