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【雑記】現実と虚構(3)−女風ユーザーの想い−

昨日の「【雑記】現実と虚構(1)−女風ユーザーとセラピストの視点から−」と今日の「【雑記】現実と虚構(2)−虚構の中の“本当”−」に、またまたの補足。

コメントをもらって、返信を書き込むうちに、言いたかったことはこれだったんだ!って思ったり、気付かなかった思いに突き動かされることがある。
今回、女風をめぐる現実と虚構をテーマにした記事コメントへのわたしからの返信を中心に、今のわたしの考えをまとめてみた。コメントをくれた方々、率直に言ってくれて、ありがとう。

どろどろとかき混ぜていたものが、なんだかろ過されたみたい。

【返信コメント1】

わたしが虚構だって思い続けなければならないのは、わたしの日常に想いを住まわせてしまったから。虚構が辛いのではなくて、ソーマさんの現実が辛いんだと思う。

女風は虚構、セラピストさんは虚構の世界の人、だけど、それ自体が辛いわけではない。
虚構が辛いわけではないと思い至った。

会っている時間は、かけがえのない時間。
女風という虚構の中だからこそ、通常の関係ではあり得ないやり取りを重ね、お互いの身体と心に触れてきた。
どちらかというと、会えない期間が長過ぎる、この現実の時間が辛い。

わたしが現実にいて、ソーマさんは、虚構の世界の人だから想いを届けられない、繋がれないと思っていた。
でも、実際に繋がれないのは、現実の世界にいるソーマさんとなのだ。
名前も知らないあなたとなのだ。

ソーマさんは、運営者さんからもいつ辞めてもおかしくないと思われているほど、女風とは別の本業に打ち込んでいる。ソーマさんは、虚構の世界から離れて現実の世界にいる。
わたしから送った言葉も既読が重なるだけ。想いを繋げていくには、その事実をたんたんと受け入れていくこと。

現実に虚構を引き寄せた、住まわせたと思って、現実と虚構を綯い交ぜにしたのがわたしの想いとしていたけど、やはり、想っているのは現実のわたしで、現実の想い。
わたしの想いの中で、あなたの虚構と現実の境界が溶けていく。

静かに静かに溶けていく。

【返信コメント2】

女風は、やっぱり人と人との関係だから、虚構の中にとどまらないんだよね。身体も心もその場、その時間だけで完結しない。

昨日の記事のコメントにも記したけど、虚構だから辛いということではない。会っている時の虚構の世界にこそ、女風の醍醐味があるものね。

自分自身が日常に引きずってしまったものには自分自身で対処するしかない。日常に立ち戻った時にも、ソーマさんの言葉が少しでも届けば少しましになるんだろうとは思うんだけど、ソーマさん、完全に現実に戻っちゃうからね。

それも叶わないのなら、そこも含めて、次に会うまでの何ヶ月もの間の自分と想いとの付き合い?寄り添い?が上手くできるようになれたら、と思う。

季節ごとにしか会えない(と決めているのはわたしだけど。それこそ、お金の問題)、言葉を交わせない、完璧な片想い。

虚構の世界で会った時の身体と心の記憶、交わした言葉に縋るだけ。

そして、わたしが想うソーマさんは、虚構の世界の記憶しかないけど、想いの中では虚構も現実も溶け合った一人の姿としてのソーマさんを想っていていいんだ、と思えた。

とりあえず、わたしの現実、日常の中での折り合いの付け方を見つけよう。
たぶん、また、noteに、今の想いを書き連ねていくことになるだろうけれども。
ちょっと、noteにも依存傾向があるので、要注意だけど。

noteは、やっぱり、大事な支えのひとつ。想いを形にしていく詩とともに。
これからも、女風でのわたしのじたばたを、何の進展もなく、ぐるぐるまわっているだけの想いを、これからも、どうぞ、見守ってください。

今回もぐだぐだになっちゃったけど、読んでくれてありがとうございます。



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