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五月雨は緑色


  新しい教室に響くチョークの音。
 皆が見てるのは黒板だけど、私の視界に映るは白いキャンバスだ。

 ”バ”

 ”カ”

 とそこに指で線をなぞる。

「……ん……んぅ……」

 キャンバスがもぞもぞと動き出した。

「おはよっ」

 と囁きかける私。

「ん、……ふぁあ~……」

 大きく欠伸をするキャンバス――こと前の席に座る男子。

「○○! 眠いなら保健室に行っていいんだぞ!」

「あ――だ、大丈夫です! すいませんっ」

 慌てて姿勢を正した姿に「にひひ」と笑いが漏れた。

「……純葉、この野郎」

「いとはのせいにしないでよ。自分が悪いんじゃん(笑)」

「お前がっ」

「――たわけ!!」

 ばこん、と丸めた教科書で○○の頭を叩く澤部先生。

 鋭い視線を受けて再度謝る幼馴染の姿に、思わず頬が緩んだ。

 ほら、やっぱり馬鹿じゃん(笑)
 

 

 ……

 
 

「……ったく。純葉がちゃんと起こしてくれればさ、澤部にあんなに怒られることなかったんだけど!」

「え。ちゃんと起こしたじゃん」

「あれのどこがちゃんとだよ。それに俺は馬鹿じゃないし! どっちかといえば純葉の方が馬鹿だから」

「はぁ~!?」

 聞き捨てならない言葉だった。

 私は馬鹿などではない。

 断じて!

「だってさ。毎回赤点ぎりぎりだから大抵なにかしらで補習受けてるだろ」

「うっ……」

 言い返せない。
 確かにテストの点数が悪くて赤点ぎりぎりなのは事実だったから。

 でも、

「馬鹿じゃないし……」

 ○○にだけは馬鹿と言われたくなかった。
 

 〇〇の馬鹿エピソードを上げたらキリがない。
 
 公園の遊具を取り合って、自分より大きな子を相手に喧嘩を売ってぼこぼこにされた話。

 これもまた大きな犬にわざと石を投げて追っかけられた話。

 たくさん傷を負って、痛いはずなのに。心配して泣きそうな私を逆に気遣って強がってる話。

 帰り道、車に泥水を跳ね飛ばされて『どうせならもっと汚れてやるぜ~』なんて言って泥だらけ。帰っておばさんから滅茶苦茶怒られてるのにどこか嬉しそうだった話。で『何を笑ってるの!』って怒られる始末。

 あと宿題を忘れたのは私だけだったのに、なぜか『自分も忘れました!』って一緒に怒られる羽目になった話。

 あとあと……

 あれ? ……そういえば、どれもいとはを――

「んじゃ。俺行くわっ」

「あ……うん」

 カバンを持って席を立つ○○。
 
「大会がんば!」

「おう! って応援来いよな!」

「にひひ。いけたらね!」

 部活に行く〇〇の背中を見送って

「はぁ~……憂鬱だ」

 と溜息を吐いた。

 私はこれから補習を受ける。
 
 馬鹿だからじゃないよ。

 たまたま点数が悪かっただけだから、ね。


 ……


 カキカキ……

 静かな教室に走るシャーペンの音。風に煽られてカーテンが揺れた。それに釣られて、ふと窓のを外を見やる。
 
 放課後の校庭を走る○○が見えた。

「にひっ、頑張れ」

 そんな彼に小さくエールを送っていたら、

「頑張るのはお前の方だろ」

 ばこん、と私の可愛い頭が叩かれた。

 痛っった~。

 この坊主頭。人の頭をぱこぱこと叩くのが趣味なんじゃないか、ってくらい容赦がない。

「ふふん」と満足そうに教卓へと戻っていく後ろ姿に”あっかんべ~”をして、

 よし! 頑張ろう。

 気合を入れ直す。

 その後は真面目に補習と向き合った。

 

 
 ……


 
「うわぁ~。もう真っ暗じゃん」

 時刻は夜の八時。

「うひ~。お願いします! 何も出んようにっ」

 バイトからの帰り道はこの一本だけ。
 薄暗い墓地を通り抜けなければならなかった。

 垂れ下がった木の枝がまるで幽霊のようで――それが風に煽られて思わずびくりと縮こまった。

「……いとはさん怖いの苦手なんです。お願いします、お願いしますっ」

 若干俯きながら足早に歩く。
 残り数メートルといった所で「にゃぁっ」と黒猫が目の前に現れた。

「ひぃいいい~!! あぅ――っ」

 私はびっくりして尻もちをついてしまう。

 お尻を摩りながら辺りを見回してみれば、黒猫の姿はもうなくて。
 点滅を繰り返す街灯に群がる蛾の群れと、やけに大きな満月が私を見下ろしていた。

 な、何でもないけぇ! 何でもない!

 不安になる心をなんとか奮い立たせて、立ち上が――

「――痛ッ」

 ……否、立ち上がれなかった。

「……嘘っ」
 
 どうやら転んだ拍子に足を捻ってしまったらしい。
 
「どうしよ……」

 不思議な事に、不運というのは重なるもので……

 チカッチカッ――と切れかかっていた街灯がついにその役割を終えると同時、さっきまであんなに輝いていたはずの満月が、雲に隠れて私の周囲を黒へと染めていった。
 
 一陣の風が柳を揺らす音に「ひぃ」と小さく悲鳴を上げる。

「――ぁ、い、いや……」

 耳を塞ぎ込んで蹲った。
 私の心はもはや限界に近かったのだ。

 怖い。

 誰か、助けて――。

 その時、
 
「お”い”」

 掠れた声と共に肩を叩かれた。

 咄嗟のことに驚いて、

「ひぎぃあああああああああ」

 盛大に悲鳴を上げた。

「うるさいって純葉! 近所迷惑になるからっ」

 へ? ……いと、は?

 名前を呼ばれて顔を上げれば、中腰になって私に手を差し伸べている○○がいた。

「ま、○○……?」

「そう、俺だよ。そんで純葉は何してんの? こんな所で」

「うぅ! ○○!」

「わ――っ、なになに? どうした?」

「怖かったの! いとはさん怖かったの!」

「お、おう……よしよし、もう大丈夫だぞ。俺がついてっからな」

 そう言って○○は私の頭を優しく撫でてくれた。

 何故か、その行為がやけに懐かしく感じられて……

 胸がとても温かくなった。
 

 そうだ。

 思い返してみればいつだってそうだった。


 
 上級生に揶揄われたときだって――
 

『純葉を泣かせるな!』
 
 
 
 大きな犬に道を塞がれたときも――
 

『あんな犬どうってことないから。……よ~し見てろよ!』
 
 
 
 私を庇って傷ついたときも――
 

『大丈夫、ぜんぜんヘッチャラだいっ。男の勲章ってやつ! カッコイイだろ~ガハハハハ!!』
 
 
 
 ○○が泥だらけになっておばさんに叱られたのも――
 

『へー。それが前に言ってた新しい服? いいじゃん似合ってるよ』
 
 
 
 宿題を忘れたのは私のほうだったのに――
 

『せんせ~! 俺が向井さんに宿題移させて欲しいからってノート借りてて、それで向井さん忘れてしまったんです。なので悪いのは全部俺なんすわ』

 
 ずっと〇〇は私を助けてくれていたんだ。

 どうして気付かなかったんだろう。
 

「立てるか?」

「……ぐすっ」

 問いかけに首を横に振って答えた。

「そっか、んじゃ。家までおぶるよ」

 と背中を向ける○○。

「ほら、乗って」

「……ん、ありが……と……」

 普段は罵り合う私たちだけど、よく考えてみればちょっかいを掛けるのはいつも私のほうからだった。

 ○○はそんな私に付き合ってくれてるだけで本当はとても優しい。

 今だってほら、

「耳済ませてみ? 幽霊さんたちが心配してくれるぞ。『いとはちゃん大丈夫~? 僕たち怖くないよ~』だって」

「…………本当だ……」

 そんな訳ないのに。木々の揺れる音が確かにそう言っているように聞こえてきた。

「な? 何も怖くないだろ……大丈夫だから。……純葉が困った時は俺がいつだって駆けつけるから……なにも心配すんな」

「う、うん」

 おかしいな。

 泣き止んだはずなのに、また涙が出てきた。

「――っちぃ~ん」

「おまっ!? 俺の服で鼻かみやがったな!?」

「にひひ。だって、いとはが困った時は○○を犠牲にしていいんでしょ?」

「そういう話じゃねぇから! ったく……」

「……ありがとね」

 と○○に聞こえないくらいの小さな声でお礼を言った。

 ぶつぶつと鼻息荒く憤る○○の背中から、夜空を見上げてみれば、大きくてそれでいて、とても綺麗な月が私を見守ってくれていた――ような気がしたのだった。


 


 ……


 

 
 
 下校のチャイムを聞きながら靴を履き替える。

「……疲れたぁ~」

 今日でようやくテストの補習が終わった。

 次回こそは赤点を取らないようにしたい。

 前回もそう決意したことなど、とうに忘れているのだが。

 次回こそは次回こそは、と毎度同じことの繰り返し。

『俺が教えてやろうか?』

 なんて○○から助け舟を出されるのも毎度のことだった。

 ……うん

 次はその言葉に甘えてみるのもいいかもしれない。

 だって、

『困った時は俺がいつだって駆けつける』

 と言ってくれたし。

「にひひ」

 と緩みすぎた顔をして、

「どこかな~」

 放課後の校庭で走っているであろう○○を探す。
 
 

「ん! いた。〇――」
 
 
 ――――――ぁ――っ――。

 そう。

 私はいつも○○のことを探していた。

 無意識にいつだって目で追っていたんだ。

 それが『恋』だと気づいた――この瞬間まで。

「――ッ」

 慌てて目を逸らした。

『〇〇』

 彼の名前を呼ぶのも気恥ずかしくなってしまい、吹けない口笛を「ひゅ~ひゅ~」と口ずさむ――

「お! 純葉~! お~い! 俺もそろそろ帰るから待って――って聞こえてない!?」

 私を呼ぶ声に、聞こえないふりをして校門へと急いだ。

 嘘……嘘だ……。

 いとは馬鹿じゃん。どうして気づかなかったんだろ……。

 夕映えはあんず色。

 私の顔もきっと同じだろうか。

 帰り道。

 とらわれた心、見つめていた……。


 

 

 ……

 
 

 
「――であるからして……だから~」

 
 軽快な教師の声と小刻みにリズムを作るチョークの音。

 私の目の前には白いキャンバス。

 そこに指で文字をなぞる。


 ”ス――


「何?」

 と○○が振り返った。

「ん~ん。何でもないよ。にひひ」

 笑って答えれば、

「ふ~ん」

 とまた前を向く〇〇。

 そうして再び現れたキャンバスに、


 ――キ”


 そこで顔を伏せた。
 足をバタバタとさせて一人悶える。

 これが今の私の精一杯。



 ”好き”という字、書いてみてはふるえてた。

 初恋はふりこ細工の心――。

 




 あとがき

 ここまで読んで頂いて、ありがとうございます。

 村下孝蔵さんの『初恋』という曲を私なりに妄ツイとして書きました。

 名曲なのでそちらもぜひ。


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