524と00(11)
「あ! 莉奈のお兄さんだ。おはようございます」
俺の姿を見つけて駆け寄ってきたのは、妹の友達。正源司陽子だ。
「おはよう、陽子ちゃん。どんな感じなのか~って見に来たんだけど」
「そうなんですか。私たちのクラスは準備万端です!」
そう言って振り返ると、
「莉奈~お兄さん来てるよ~」
遠くにいた莉奈に声を掛けた。
「あ~。別に呼ばなくてもいいのに」
「いえいえ、実はお兄さんにも見てもらいたくて! とっても可愛いんですからっ」
走ってくる莉奈を見つめて「……それに本当は莉奈も見てもらいたくてしょうがないんです」と俺にだけ聞こえる声量で呟いた。
「な、なんですか? 兄さん。後輩のクラスに来るなんて珍しいじゃないですか」
「……なんとなくな。始まるまで色々と見て回ってたからさ。莉奈のクラスの様子はどうかな~って」
「そ、そうですか」
と莉奈はどこかそわそわしていた。
「それにしてもお前のクラスもメイド喫茶だとはね」
「……本当ですよ。しかもどうして私がメイドをやらなきゃいけないのか」
ブツブツと不満そうだ。
「……可愛いじゃん」
「な――っ!?」
「陽子ちゃんも可愛いね、なんてセクハラみたいになっちゃうから言わなかったけど。めちゃめちゃ似合ってるよ」
「あ、ありがとうございます」
二人して俯く。
照れているのか頬が赤い。莉奈にいたっては耳まで赤い。
正源司はもちろんのこと、我が妹の莉奈もメイド姿が様になっている。
兄としては悪い虫が付かないか気が気じゃない。
今日はここで一日中監視するべきなのかもしれない。
「あの~すみません。通りたいんですが……」
「ああ、ごめんね」
「いえ、私の方こそ」
会釈しながら女子生徒が俺の脇を通り過ぎた。
「あの子、藤嶌さんだったよね? 大丈夫か? 具合が悪そうだったけど」
藤嶌果歩。莉奈の友達でありクラスメイトの一人。何度かうちに来たこともある。
「緊張してるだけなんです」
と廊下をトボトボ歩く背中を見つめながら莉奈は言う。
「果歩は今日のステージに出るんですよ。なので昨日からずっとあんな感じです」
「へ~。何するの?」
「弾き語りです。しかも一人で、午前の部の大トリらしいです」
「うわぉ。そりゃ緊張するね」
体育館を貸切って行われる文化祭のライブステージ。
毎年軽音部やら、文化部が様々な演目を披露する。去年は白雪姫の演劇が大変素晴らしかったと後夜祭で校長が自慢げに語っていたのを思い出した。
「兄さんも良ければ見に行ってあげてください。知ってる人が一人でもいると、果歩も元気が出ると思うので」
「おっけ。調整してみるよ」
俺の空き時間は中間あたりを貰っている。午前の部の大トリならばちょうどよさそうだ。
「私たちの代わりにお願いします」
頭を下げる正源司に軽く了承する。
妹たちの頼みだ、むげには出来ない。
藤嶌さんに会ったら、それとなく緊張を和らげる言葉でも掛けてあげよう。
あくまでもセクハラにならないように言葉を選ばないといけない。
俺は失言癖があるらしいからな、と妹を見やる。
「?」
つぶらな視線に思わずドキッっとしてしまう。
我が妹ながら恐ろしい。そんな顔で見つめられたら、死人が出るぞ。
「どうしたんですか? 兄さん」
「ああ、いや……」
その姿、まさに――
「――天使だ」
と聞き覚えのある声に振り返った。
「……なんでお前がここにいるんだよ」
「――あ? ……ああ、そうだった」
トレードマークのリーゼントが揺れる。
「用があってなぁ。捜したぜ、○○」
「……用って何だよ」
「っくっく、そう邪険にすんなよ。俺とてめぇの仲だろぉ?」
一体いつ俺とお前が仲良くなったんだ。
「俺のクラスでよぉ、なかなか楽しそうなことするらしいんだわ。だからな、てめぇもこいや? 歓迎するぜ」
「……考えとくわ」
「おう――」
頷いたリーゼントこと桑田和馬の視線は俺の後ろへと向かっていた。
それを受けて莉奈が首を傾げた。
「あの……兄さん。どちら様ですか?」
「こい――」
「桑田和馬ッ!! あなたのお兄さんのダチだっ。分かりやすく言えば心の友と書いて心友というやつだ」
お前はジャイア〇だったのか。
「……ただの知り合いだ」
訂正する俺の横に並んだ莉奈は丁寧に頭を下げる。
「兄がお世話になっております。妹の加藤莉奈です」
再び顔を上げてにっこりと微笑んだ。
「天使だ――」
聞き間違いじゃなかったのか。
さっきも聞いたぞこの野郎。
「気を付けろよ、莉奈。こいつはナンパ野郎だからな」
食いついてきた悪い虫に睨みを利かす。
「あッ!? ふざけんなっ――! 俺は硬派な男だって言ってんだろッ」
「なんてぬかしておりますこの男。リーゼントが着脱式となっております」
「おう、そうなんだよ――ってなわけねぇだろがッ」
バシッと肩を叩かれた――正確にはバシッなんてもんじゃない。殴り返したくなるくらい痛かった。人の眼が多すぎたのでそれをグッと堪える。
「お前のツッコミは面白くないな」
なんて精一杯の反撃をかます。
「てめぇのボケがセンスないんだろぉがッ」
――ぐふッ!?
見事なカウンターに心が折れかけた。
平尾との修行の日々が、まるで走馬灯のように駆け巡った――
「ふふ……面白い方なんですね。桑田先輩って」
「――、お、おう……よろしく……」
歯切れが悪い返答をする和馬に俺の警戒度が上がる。
「マブい……」
まぶい? お前はいつの時代の人間だ。今時の言葉じゃないぞ。
「和馬、そろそろ帰れ……後輩が怯えてるぞ」
遠巻きに見ていた生徒が俺の発言を機に散り散りになっていく。
和馬、一見するとただの不良である――というか間違いなくこいつは不良だ。
どこぞこで暴れているとかそんな話を最近よく耳にする。
一般生徒らはあまり関わりたくない人物であろう。
「兄さん、酷いですよ。お友達の方にそんなことを言うなんて」
「いいんだよ、莉奈ちゃん。間違ってねぇんだからよ」
「おい! 勝手にちゃん付けで呼ぶなよ」
「ちゃ、ちゃん……」
ほら。莉奈も戸惑ってるじゃないか。
「まぁいい。邪魔者は消え去るぜ。……○○、約束だかんな? ちゃんと来いよ」
約束をした覚えはないぞ。
「それと莉奈ちゃん。店ぇ開いたら後で寄らせてもらうぜ」
「いや、それは駄目だ。兄貴権限でお断りさせてもらう」
「兄さん! 勝手にお客さんを減らさないで下さい」
何を言っているんだ。こいつが寄った方が客足が遠のくぞ。
「兄貴にもこの優しさの一つでもあればなぁ?」
なんて最後に捨て台詞を残して去っていった。
「に、賑やかな人でしたね」
と一部始終を見ていた正源司のコメントに「賑やかなのは確かだな」と答えた。
「んじゃ、俺も行くわ。時間あったら寄らしてもらう」
「に、兄さんは来なくて結構です!」
そんな妹からの一言に「はいはい」と笑ってその場を後にした。
……
「あ~〇〇君、おかえり~」
文化祭開始まで残り数分。
我がメイド喫茶も開店準備はバッチリ完了。
「……あ」
「んん?? どうしたの~?」
見知らぬメイドさんがいた。
「――あ、そっか。すみれだったのか……ただの天使かと思って」
「天使だなんてっ! もぅ~○○君たらっ」
ぺしっと肩を優しく叩かれる。
「わ、悪い。いや、なんだ……いいと思う。うん……」
「そ、そうかな~」
嬉しそうにしているすみれに俺の頬も緩む。
「あ! 小西~おかえり~」
後ろの扉から入ってきた小西にすみれが駆け寄る。
「見て見て~どうかな~?」
「ええんやない? 青と白がすみれっぽいやん」
「えへへ」
最近はずいぶんと仲がいいようで何よりだ。
「小西も受ければよかったのに~。絶対、ぜ~ったい似合ってたよ」
「……勘弁してや」
「そう思うよね?」
すみれに問われて「まぁ」と同意する。
「本人が嫌がってるんだからしょうがないだろ」
「そうだけど~……でも、〇〇君だって見たかったよね?」
「……えっと」
正面から受けるすみれの視線とは別に、窺うような視線を感じて言葉を選ぶ。
「見たくないと言えば、嘘になる……かな」
「ほら~!」
頬を膨らませるすみれの「やっぱりやるべきだよ~」と喋る声に混じり、
「………………」
と確かに聞こえてきた。
「……」
――ごくり、と混み込んだ唾が喉の奥にひっかかった。
「――ゴホッ」
「大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」
そう、大丈夫。
少しだけ動悸が激しいけど。何ともない。
落ち着け。勘違いするな。
「ん、たまちゃんも帰ってきた~」
戻ってきた最後の一人にすみれが寄っていく。
「……」
「……」
残された小西と自然と目が合って、逸らされた――なんてことはなく、無言で見つめ合う。
ほんの数秒。
「加藤君と小西さんも! 円陣するから集まって~」
「ん” 了解。今行くわ」
クラス委員長に呼ばれて円陣に加わる。
「……一緒に回るんやったよな?」
と小西が囁いた。
「ああ。いくつか回らなきゃいけないところが出来たけど、いい?」
「任せるで」
「そっか」
約束はしっかり覚えていたようだ。
当たり前か。数日前だしな――
「うおおおおおおお!!!」
号令と共に騒ぎ出すクラスメイト。
どうやらやる気に満ち溢れているらしい。
それに釣られたか、疼き出す心。
『――プツ、……おはようございます。生徒会長の…………です。……となりまして………それでは、日向坂第四高等学校の文化祭を始めます』
こうして文化祭が幕を開けた――