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青は藍より出でて愛より青し

 ガララ、と扉が開く音がした。

「あ~、果歩ちゃんだ」

「皆さんのかほりん降臨、そして先輩愛しの果歩ちゃんが来ました~」

「お前の彼女も来たところだし今日は終わりだな」

「おい、彼女じゃねーから」

「そうなんです! 悔しいことに! まだ彼女ではないんですっ」

「まだもなにも、今後ずっとその予定はない」

「な、なんですとぉっ!?」

 そんなやり取りに笑いながらバンドの仲間たちが部室から出ていく。

 残されて突然黙り込んだ藤嶌の横に座る。

「急に静かになるじゃん。何かあったか?」

「えっと、実はですね。相談事がありまして……」

 相談事?

 珍しいな。

「実行委員の友達から今度の文化祭のライブステージに出てみないかって」

「藤嶌が? 漫才でもすんの?」

「先輩との夫婦漫才ですか?」

「勝手に巻き込むな」

「雑なフリをしたのは先輩じゃないですか~」

「いや、俺はフリとかじゃなくて……え? 藤嶌、他に何か披露できんの?」

 こいつの特技はどこでも寝れるくらいしか分からない。

「えっとですね、その~」と口ごもる。

「……ひ、弾き語りを」

「え? マジ?」

「マジ、なんです」

「出来んの?」

「はい、って先輩を前にして口にするのは烏滸がましいんですけどっ」

「……へ~、そうなんだ。知らなかった」

 ちょくちょく来るくせにそういう話は聞いたことがなかったな。と改めて目の前の藤嶌を見た。

「藤嶌が弾き語りね~。んで、出んの?」

「ど、どう思いますか?」

「いやどうと言われても。俺には関係ないしな」

「酷いですよぉ! 愛しのかほりんが悩んでるんですからっ」

「『愛しのかほりん』じゃないし。出たければ出ればいいじゃん」

「むっ……冷たいなぁ~」

 ぷぅ~と膨らませた頬がリスみたいで可愛く思えた。

「……しょうがないな。出るなら協力してやらんこともない」

「本当ですか!?」

「あ、ああ――」

 前のめりになられて若干腰が引ける。

「俺に相談するってことはそういうことだろ? いいよ、練習くらいなら付き合ってやる」

「ありがとうございますっ。二人の愛の共同作業ですね!!」

 なんて嬉しそうにしていた、けど。

「……帰る」

「ちょっ――」

 藤嶌が本当に俺のことを好きなのか。それともただ単に揶揄っているだけなのか。

 その真偽が分からない。
 だからか、俺はそういう話をされるのが好きじゃなかった。


 

 ……
 


 その日から軽音部の練習終わりに藤嶌が現れるようになった。

「そこ! まだ甘いぞ」

「っう……先輩厳しいですよぉ」

「時間がないからな。スパルタでいかせてもらう」

「うぅ……こんなはずじゃ……先輩との甘い時間がぁ~」

「……ったく。終わったらアイスでも奢ってやるから」

「!!」

 途端に目が輝き出した。

「っふ……藤嶌見てると飽きないわ」

「へへっ、それってもう愛の告白じゃないですかぁ」

「すぐそっちの方に持っていこうとするなって」

「いいじゃないですか~。先輩との時間もあと少ししかないんですからっ」

 確かに。
 そう言われると少し寂しく感じてきた。

「……練習再開するぞ」

「はぁ~い」

 とりあえずはステージに出しても恥ずかしくないくらいには仕上げてあげたい。

 せっかく頼られたんだ。先輩としての威厳もあるし。



 ……


 数日後。

「まじで? 曲も歌詞も全部作るの?」

「はい……」

「既に作ってるとか?」

「ほ、ほんの少しだけ……」

「……ふむ」

 本番まで残り少ない。これは危ういな。

「どっちだ?」

「どっちとは?」

「曲か歌詞か。どっちが間に合いそうにないんだ?」

「きょ、曲ですっ。歌詞の方はなんとか進めてはいるんですが」

「――っふう……」

「せ、先輩?」

 不安そうに見上げる後輩の頭をぽんと叩く。

「曲作るぞ」

「いいんですか?」

 潤んでいた瞳がぱぁっと輝いた。

「俺だけじゃないからな。藤嶌も、二人でだ」

「はい! へへっ、やった! 本当に共同作業だ」

 と小さくガッツポーズする小動物。

「で、歌詞はどんなだ?」

「あ、えっと……それがまだ見せれるほどじゃなくて……」

「ふむ……ジャンルは?」

「えっと、ポップです。あと……恋愛ソングです」

「なるほど、んじゃ――」

 そうして急遽、藤嶌の恋愛ソングも手掛けることとなった。



 ……


 
 練習を始めて数週間後。

「完成、か……」

「ですね!」

 曲が出来た。あとは歌詞と合わせてどうなるか。

「んで歌詞は?」

「あ――っもう少しです。本番までには間に合わせますっ」

「そか。どんな感じになるか俺も不安だったから、一応は確認しときたかったんだけど」

「だ、大丈夫です。たぶん……、せ、先輩も本番まで楽しみにしてて下さいっ」

「ん、分かった」

 どちらにしろ本番は藤嶌一人。

 俺にできることはここまでだ。

「先輩、ありがとうございました。忙しいのに私の手伝いまでして下さって」

「気にすんな」

 項垂れる藤嶌の頭をぽんぽんと叩く。

「案外に楽しかった。……弟子を持つってのはこんな気分なのかもな」

「し、師匠!!」

「待て待て、気分の話をしたわけで。本当に弟子ってわけじゃないからな!」

「はいっ! 分かります!」

 おお、随分と聞き訳がいい。

 技術面以外でも成長したか――

「そういうことにして置きたいってことですよね! 私も分かります。言葉にはしない師弟関係。少しぶきっちょなところが私たちっぽいですよね」

 うん、分かってないな。

「……帰るか」

「はい!」

「いや、送ってかないぞ。もう協力関係は終わりだから」

「分かってますよぉ。なので私が先輩を送らさせていただきますっ」

 うん、だめだこりゃ。

 結局、俺の家に着いた時には暗くなっていたから……藤島を送り届けることになった。

「す、すいません」

「いいよ。んじゃおやすみ」

「はいっ。おやすみなさいっ」


 





 文化祭前日。
 何とか歌詞が間に合った。

「……うん」

 出来た――と思う。

「疲れたぁ~」

 ベッドにダイブして腕を伸ばす。
 
「へへっ……」

 出来上がった歌詞を口ずさみながら目を瞑った。

 先輩、喜んでくれるかな?

 それとも……。

「頑張るぞっ」

 ここまでやってきたんだ。先輩のお陰で自信もついた。あとは本番を迎えるだけ。

「……先輩」

 不意にでた言葉に唇をぎゅっと結んだ。枕に顔を埋めては足をバタつかせる。

 ステージが無事に終わったら……文化祭が何事もなく終わったなら……

 私たちの関係はどうなるんだろう。

 若干の不安と寂しさを感じながら、私の意識は睡魔へと誘われるように落ちていった。



 ……
 

 
 迎えた本番。

「……ふぅ」

 ステージ袖に一人。
 胸の前で小さく拳を作る。

 大丈夫。思っていた以上に落ち着いている。

「ありがとうございます」

 先ほど駆けつけてくれた友達のお兄さんに感謝の言葉を口にする。
 今はもう客席にいるであろうその人のお陰で緊張がだいぶ解けた気がする。
 ユーモアに溢れたお兄さんがいる友達のことを羨ましく思った。


『――ッワァアアア!!』

 歓声が凄い。
 軽音部の登場だ。

「先輩、頑張って下さい」

 演奏の準備をしている先輩たちに出来るかぎりのエールを送った。

 

 いざ、曲が始まると会場中が盛り上がっているのが分かる。

「さすが先輩たちだ」

 去年のライブも凄かったけど、今年はまさに圧巻のステージといえる。

 私が憧れたバンドがそこにいる。

 そして、そのステージの最後に自分が歌う。

「――っ」

 押さえていた緊張が再び顔を出す。

 ――ドクン、と心臓が跳ねた。

 震えているのが自分でも分かる。

 こんなに大勢の前で歌うなんて初めてのことだ。

 仕方がない、仕方がないんだ――と自分に言い聞かせた。



「藤嶌!」

「――あ、先輩……お疲れ様です」

 いつのまにか演奏が終わっていたらしい。

 馬鹿だ私は。
 彼らの雄姿を目の前にして固まっていたなんて。

「……どうした? 大丈夫か、……真っ青だぞ」

「え、へへ……ど、どうしたんでしょう……」

 震える唇でなんとか紡ぐ。

「こ、怖いんですかね……足も震えちゃって……」

「……」

 駄目。
 先輩に心配を掛けるわけにはいかない。

「ふ~……大丈夫です! かほりん降臨です!!」

「無理すんな」

「え――っ」

 優しく抱きしめられた。

「嫌だったら言えよ」

「い、嫌じゃないです」

 嫌な訳がない。

「大丈夫……藤嶌なら出来る」

「先輩……」

「藤嶌には才能があるよ。ここんところの上達は異常に早かったし、嫉妬するくらい藤嶌の歌には力がある。心配するな、俺の――師匠のお墨付きだ」

 ハグされていた私の体がくるりと回転させられ――バシンッと背中を叩かれた。

「痛っっぁああい!?」

「はは! 楽しめ! 不安も緊張も、今しかできないことだ。楽しんで来い」

「楽しむ――」

「ああ、楽しむ。それが一番大事だ」

 そう言って先輩はニカッと笑った。

「ほら、お前の番だ」

「あ、はい」

 ぽんと頭に手を置かれた。

「どうだ? 緊張してるか?」

「え? あっ――」

 してない――むしろ、いつもより心が穏やかな気がする。

「っふ、大丈夫そうだな」

「ありがとうございます……先輩見ててください! 私、やりますから!」

「ああ、見てる。ここでな、最後まで見てるよ」

「ありがとうございますっ……では、いってきます!」

「いってらっしゃい」

 先輩との練習の日々、私の思い。全てを胸に、私はステージに立った。


 
 



 
 

 文化祭。体育館のステージ。
 午前の部のトリは二年生の藤嶌が抜擢された。

 俺たち軽音部でもなく、演劇部でもない。
 近年では異例の事だった。それだけに周囲の期待が否応なしに高まる。

「やれるぞ……藤嶌ならやれる……」

 肝心なのは出だしだ。

 練習の時から苦手としていた箇所である。
 歌いながら弦を弾くのに慣れていないせいか、その成功率は五分といえる。

「――っ」

 危うく息をすることすら忘れていた俺だったが、無事に演奏が始まったことに安緒の息を吐いた。

「いいぞっ、そのまま――」

 そこで……

 ふいに、音が途絶えた。

「――、――」

 のではない。

 そう錯覚するくらい、会場中が一瞬の内に静寂に包まれた。

「やべえ……」

 後ろから聞こえてきたのはバンド仲間の呟きだ。

 なんて、そんなの些細な事は頭の中からすぐに消え去っていく。

「藤嶌……お前――」

 



 それは、すごく綺麗で繊細な歌声だった。
 騒がしかった会場の空気をたった一音で一変させるほどの――

 ……やはり、俺だけではなかったか。

 と客席の様子を見やる。

 誰もが息を止め、食い入る様に声の出どころに魅入られていた。

 ある者は外からの僅かな音すら遮断するように耳に手を翳して。

 またある者は何か堪えるかのように口元を抑えて。

 心を奪われた――と表すのが正しいのか分からない。

 この溢れ出てくる感情を言葉に出来なかった。

 恋愛ソングらしい、彼女らしい歌詞。

 奏でられるギターの音はただただ優しくて。

 誰かに向けられたであろう愛のメッセージが心に響く。

 苦しくて――、儚くて――、それでいて――

 とても美しかった。

 
 


「はは……」

 聞こえてきた乾いた笑いは誰の声か。

「おいおい……簡単に俺を超えていくなよ……」

 それが自分の声だったことに気付いた時。

 泪が一滴、零れ出ていた。




 




 

「――ぁ……」

 曲が終わると同時、客席の皆が立ち上がった。
 割れんばかりの歓声と拍手が私を迎えてくれる。

「よかった……」

 無事終えた喜びか、今になって体が震え出す。
 未だ鳴りやまぬ拍手にぎゅっと服の裾を掴んだ。

「せ、先輩……私―――え?」

 ステージ袖に先ほどまでいたはずの先輩の姿がなくなっていた。

「……」

 私の視線に気づいたのか、軽音部の方たちが頷きながら拍手を送ってくれている。
 私はそれに小さく会釈をして、きょろきょろと先輩の姿を探す。

「藤嶌さん――」

「あ、はい! すみませんっ」

 司会の方の声に慌てて客席へと顔を向けた。

「あ、ありがとうございましたッ!!」

 客席に感謝を述べて勢いよくお辞儀をする。

 そんな私に再び大きな拍手が沸き起こったのだった。

 



 青は藍より出でて愛より青し――


 



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