叶わぬ恋に心を尽くすより犬猫を飼え
今年の夏もそろそろ終わりか。
行き交う人々を見ながらそんなことを思っていた。
「おいおい辛気臭い面してんじゃないよ! 売り手のお前がそんなんじゃお客が逃げちまうじゃねぇかよ」
「う、すんません」
親戚の叔父さんに小突かれた。
――しかし、こんなもんが売れんのか?
叔父さんが売っている商品を手に取ってみる。
この令和の時代によく分からないお面やら何やら。
いくらお祭りの出店とはいえ、そう簡単に財布の紐は緩まないだろう。
「さぁ、寄ってらっしゃい! 見てらっしゃい!」
元気がいい掛け声にお客さんが集まり出した。
叔父さんは明るくていい人なんだけど、口が悪いのが頂けない。
「結構毛だらけ猫灰だらけ、お尻のまわりはクソだらけってね」
「汚いよ、叔父さん……」
「うるせぇな、お前は!」
二度目の拳骨をスルリと避けて立ち上がった。
「……さてと、うるさくて邪魔な俺は焼きそばでも買いに行こうかな」
「おお。んじゃこれを持っていきな」
と今年の顔が一枚。
「ありがとうございます!」
「あーそれと……○○。お前さん、今日はこのまま帰ってこなくていいぞ」
「え?」
「そいつでよ、好きな姉ちゃんでも捕まえてよろしくやったらいい」
「いや、俺は叔父さんの手伝いに来ただけだし。それにこんなに貰えないよ」
「いいんだよ。餓鬼は素直に感謝しとけば」
「……そっか。ありがと、叔父さん。見直したわ」
「おう! ――って一言多いんだよ糞餓鬼っ」
蹴り出されたキックを今度は素直に受けた。
「――ッ」
お尻に直撃。思ったよりもちょっとだけ痛かった。
……
焼きそばを片手に腰を下ろす。
「美味いな。やっぱり屋台の焼きそばが一番美味い」
お祭り特有の雰囲気がそうさせるのか。はたまたただの空腹か。どちらにしろ、やはり祭りの焼きそばは一味違うのだ。
「……ん」
ふと仲の良さそうなカップルが目についた。
射的に夢中になってはしゃぐ姿がとても楽しそうだった。
『好きな姉ちゃんでも捕まえてよろしくやったらいい』
なんて叔父さんに言われたけど、生憎そんな相手はいない。
いたとしても俺じゃ手の届かない高嶺の花だ。
どうせ彼女も今頃は、背が高くて格好良い彼氏と一緒なんだろうな。
なんて考えていたら、
「――ああ、ほらやっぱり……」
見たくもないものを見てしまった。
噂をすればなんとやらだ。
「……」
冷たい風が首元を通り過ぎていく。
「流石に夜は冷えてきたな」
昼夜の寒暖差が激しい。
これから花火が上がるというのに、浴衣で来た人が帰り支度を始めている。対照的に子供は元気一杯だ。半袖半ズボンで走り回っているじゃないか。
『それも風情だ』と叔父さんなら言うだろう。
今なら何となく『そうだね』って俺も頷くんだろうな。
「はぁ……駄目だな。俺らしくない」
帰ろう。せっかくの祭りだ。辛気臭い奴はこの辺りで退散しておくに限る。二度目の溜息をなんとか我慢して立ち上がった。
叔父さんの元に戻ろうか。と思ったけど、余計な言葉を貰うだけだろうし――と考えを改めて、俺は祭り会場を後にしたのだった。
……
背後から聞こえてくる歓声を背に、一人夜道を歩く。
「――ん?」
何かが聞こえて公園の中に足を踏み入れた。
「お?」
「にゃぁ」と可愛らしい鳴き声と共に小さなそいつが姿を現す。
「おー、よしよし……おお? こんなにいっぱい」
一匹撫でたら我も我もと集まり出した。
「おい、よせっ。はは、おま」
胡坐をかくように座り込んだ。
そんな俺の背に一匹。太腿の上に二匹。さらに一回りでかいその一匹が――くんくん、と空の容器を嗅ぎ出せば……虎柄のそいつに釣られるかのように他の猫も臭いの元へ。
「腹減ってるのか? ん~どうしようかなぁ。野良猫に餌をあげるなってババァが言ってたしなあ」
嫌いではない。むしろ好きの部類だ。
だからこそ餌を与えるのを躊躇してしまう。
”おなかを空かせてかわいそう”などという理由で餌を与える行為。
これが野良猫の為にならない。そう教え込まれた。近所の婆さんにだ。
やるなら徹底的に面倒を見ろとも。
無責任な行動がかえって猫の不幸を招く。
俺自身もその意見には賛成だった。
「お~、可愛いなお前ら。うんうん、そっかそっか。行く場所ないのか、お前らも。…………あー、まいったなぁ。見捨てれなくなっちまった」
どうやら俺は、情に弱いらしい。
愛くるしい瞳に見つめられて、どうにかしてやりたいと思ってしまった。
保護して里親を探す? それとも自分で飼うか? 経済力もない一人の学生が?
答えの出ない問に悶々としていた――時だった。
「……好きなの?」
突然、声が聞こえてきた。
「まぁ、嫌いではない――って!? うぉ!?」
俺の叫びに驚いて逃げて行く猫たち。
まさか人がいるなんて思っていなかった。驚きのあまり思ったよりも大きな声が出ていた。
「ちょ、うるさいから」
「いや、その……すいません。……えっと、いつから居たんですか?」
ベンチに座る女性へと問いかけた。
「んー、ずっと? なんなら〇〇が来る前から」
「そう、なんだ……ん? ○○?」
「うん、〇〇でしょ? 名前変わったの?」
「いや、〇〇だけど……」
近づいて目を細めた。
「あ、藤吉じゃん」
「え? 今頃気付いたの?」
「いや、少し暗くて気付かなった。てか何してんの?」
「猫を見てた」
「それだけ?」
「うん。私、猫アレルギーだから」
「ああ、そうなんだ……」
要領を得ない返答に懐かしさを感じた。
変わってるけど、変わっていない。昔のまんまだ。
小・中・高と同級生だった藤吉夏鈴。
藤吉とは家も近くて仲が良かった。一緒に映画を見に行くくらいには親密な間柄だったと言える。
付き合っていた――なんてことはなかったけど、友達以上恋人未満だった気がする。そんな相手。
「一人?」
「うん。○○も?」
「そう。さっきまで親戚の出店の手伝いしてた」
「へー。言ってくれたら見に行ったのに」
「いやいや、別に見るもんじゃないし。よく分からんしょうもない品ばっかりだったぜ」
「なにそれ。逆に気になるじゃん」
「ふふっ」と目を細めながら、口に手を当てて笑うその仕草。
まるで猫みたいだなって当時の俺は思っていた。
「藤吉って猫みたいだよな」
当時の俺だけじゃなかった。口からすんなり出たその言葉に俺自身驚いていた。
そんな俺をじっと見つめる藤吉。
「それって褒めてるの?」
と今度はどこか仏頂面で。
「褒めてる、褒めてる。言ったじゃん、猫は嫌いじゃないって」
「ふーん。そっか」
ぷいっ、と背けた顔がなんだか嬉しそうに見えた。
「こんなやり取りも久しぶりだな」
「うん。高校卒業してから会ってなかったよね。……元気にしてた?」
「まぁーそこそこ」
「ふーん。……そういえば、〇〇さ。――彼女、出来た?」
「……いや。出来てない」
「そっか。私もまだ一人……」
「そうなんだ……」
「うん」
次第に言葉数が減っていき、静寂が場を包む。若干の気まずさを感じていた俺の足元に柔らかい感触が――
「あ、帰ってきたね」
いつのまにか逃げ出したはずの猫たちが戻ってきていた。
それが一つ、二つと増えていき、気付けば俺の足元にもわらわらと。
「ふふ、可愛いね」
「……だな」
「見て、ゴロゴロいってるの。あっ、あの欠伸してる子。凄いね、ビジュアルが崩れちゃってる。……それでも可愛いなぁ」
「ああ、可愛いな――」
なんて言いつつも、俺の視線は別のところ。
何だろう。今日の俺はどこかおかしい。
「藤――」
「ねえ、○○」
「ん……なに?」
外れかけていた思考を慌てて戻した。
「この子たち。どうにかならないかな?」
「どうにか、か。……てか藤吉ってアレルギーなんだろ?」
「そうだけど、私も好きだし。猫……」
「ふーん。ちなみに”も”じゃないから。別に俺は好きとは言ってないし」
「……ふふ、変わってないね。素直じゃないところ」
「……」
どうしてだか、返す言葉が見つからなかった。
「私が飼おうかな」
「え、冗談だよな?」
「……結構本気かも」
「アレルギーは? 大丈夫なの?」
「私の家広いし。お母さんとか猫好きだから……」
確か藤吉の家は地主だったけ。
一度お邪魔したことがあったけど、めちゃくちゃ広かったのを覚えている。
「使ってない離れを私にくれるって前に言ってた」
「まじか……すげえな」
「でも『ちゃんと面倒は見なさい』って言われるかも」
「出来るの?」
「そこまで触らなければ何とか?」
「いや、俺に尋ねられても」
アレルギーの程度にもよるのだろうが、飼えないこともないのか?
「でも、私一人じゃ大変かも」
上目遣いに問いかけられて、なんとなくだが言葉の真意を読み取った――気がする。
「……手伝おうか? バイトない日なら暇してるし」
「――ま、◯◯が手伝いたいなら私は構わないっ」
「そっか、じゃあ。そうさせてもらおうかな」
再び猫に視線を戻した藤吉だったけど、その頬が僅かに緩んでいたのを俺は見逃さなかった。
良かった。今度は正解だった――と浮かびかけてきた苦い思い出に蓋をする。
今更蒸し返すことでもない。
そもそも藤吉は覚えていないだろう。
そんなことを考えていた隙に、
「うん、お願い。うん……大丈夫。〇〇も手伝ってくれるって言ってた。……そう、かも。じゃあ……待ってる」
いつのまにか電話を掛けていたらしい。
「……おばさん?」
「そう……」
相変わらず行動が早い。
「何だって?」
「今から来るって」
それだけじゃ分からない。
と言いたいところだけど、なまじ分かってしまうのが俺という男。
ちょっと嬉しそうな横顔を見たら、だいたい察することが出来る。藤吉は昔からそうだ。口にはしないが顔には出やすかった。
他の奴らには知られていない藤吉の特徴。俺だけが知っているそれに、どこか優越感を抱いていた。
「……これからよろしくね」
「ああ、猫のためだしな」
「うん。猫のため……」
なし崩し的に手伝う羽目になったけど、悪い気はしていなかった。むしろ――
――ドォン、と大きな音が公園にまで届いてきた。
「あ、花火」
「ここからでも見えるんだな」
「ね……ほら、皆も見てみな。綺麗だよ」
夜空を彩る特大の花火。
その音に、止まっていた時が再び動き出すのを感じたのだった。
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