伸ばした音
(前半はこちらからどうぞ)
ここからは武満氏の論考にはありませんが、この考え方は、楽器ではなく能の歌で考えてみても同様で、太く、かすれた声が理想とされているそうです。"味わい"のある声ということですね。クリアで透き通った声を良しとする西洋音楽とは真反対ともいえます。しかし、実際はそれらノイズ部分に倍音が隠れており、豊かな音になっていたことは科学的検証もされているようですので、味わいというのは根拠があることになりそうですよね。(以前にnoteで書いた内容にも繋がるお話です。)
これらの美学は、辛く惨めな気持ちに歩を発して生まれた"詫び"や、華麗なものよりも古く枯れたもの、閑寂なものから浮かび上がる"寂び"から引き出された日本固有のものであると思います。また、幽玄という背後に漂う雰囲気のようなものを愛するところからも来ているようにも感じます。
反対に、西洋はノイズのない音を追求していたのですが、その行き着いた先というのはサイン波ということになりそうです。サイン波は倍音のない基音のみの音(=波)です。電話などの機器を筆頭に、数学、信号処理、電気工学で現在当たり前のように使われ、我々は生活の上でこの恩恵を大いに受けています。ですので西洋と日本(東洋)のどちらが良いとは言い切れませんね。
また、サイン波はシンセサイザーの発展の歴史にも関係しています。しかしまた興味深いことに、80年代FMシンセを愛用していた吉村弘氏は、間を最大限に活かしながら、簡素なメロディを奏で、静寂を浮かび上がらせました。当時の最先端である西洋の楽器を使って、"詫び""寂び"を生み出したとも言えそうです。日本のアンビエントの代表的人物として海外から今も人気を得ている理由はここからもわかります。
一方で坂本龍一氏は、笙など日本の伝統楽器からアンビエントを表現していました。因みに笙はルーツを辿っていくと、中国の楽器ということにもなるのですが、パイプオルガンやアコーディオンのルーツにもなっているそうです。どちらも音を伸ばすことで生まれる味わいの点では共通していますが、求める美の違いを感じることが出来ます。楽器そのものから文化の違いを伺い知ることが出来るというのは改めて考えてみると、感慨深い気持ちになります。
今回ご紹介した作品は上述の吉村弘のようでもあれば坂本龍一のようでもあるけれども、もう一歩違う距離感から日本楽器を感じることが出来る2枚であると思います。