学歴と資格
時々、学歴や資格でマウンティングする人がいる。
よく考えて自慢するか決めた方がいい。
バカを穴埋めする為に学校に通って、学歴を得るんだよ。
学歴で穴埋めしたから、もうバカでは無いと言いたいんだろうけど、元々がバカと言ってるのと同じ。
「結局は凡人です」と言ってるようなもの。
学歴で凡人のバカさが多少、薄まっただけ。
本当に天才や秀才なら、学歴が邪魔になる。
本物の天才は、学校という鎖に繋がれて型に嵌目られると、心が激痛だったり苦痛に感じる。
だから、学校の面白くない授業を毎日、強制的に聞かされる、見せられるなんて、拷問に等しい。
天才にとって、凡人の教師が組み立てた下手くそ話なんて、永久につまらないし、時間の無駄、時間の浪費でしかない。
そんなの、独学でじゅうぶん。
大体、天才なら教える仕事で学校の教師なんて選択はしてない。
教育体制に疑問が次々と湧き起こるし、教科書自体がつまらないから。
天才の教師なら、もっと自由度の効く収入が青天井の塾経営者をしているだろう。
話が逸れてしまったので、続きを。
天才の学生は凡人の同級生同士が騒いで楽しんでいるのを見て、「どこが楽しいの?全然面白くないよ」という目で見ている。
発想が天才と凡人では全く違うので、感じ方が乖離していて当たり前なのだ。
対して、凡人は、学校という鎖に繋がれて型に嵌まり、教師から心の鞭で叩かれて、「みんなと同じだから」と納得して高校や大学を卒業して巣立っていく。
凡人同士の同級生の交流も騒いで楽しめる単純さがある。
天才は、学歴が無くても、チャンスを掴んだら、やりたい分野で結果を出してる。
天才は、学歴が無くても、チャンスを掴んだら、やりたい分野で億万長者になっている。
学歴って、幼児が自転車に乗る時の「補助輪」なんだよ。
そんな使った補助輪の種類(学校名、大学名、塾、予備校など)を自慢されても、「結局は補助輪が無いと生きていけない凡人でバカなの?」と思われて終わり。
自慢されて、「スゲー」とか言ってる奴は更にバカ。
最終学歴が中卒で、車の免許しかない億万長者で、専門家みたいな人に何人も会ったことあるけど、やっぱり優秀。
資格も学歴と同じ。
国家資格だろうが、民間資格だろうが、所詮は幼児が自転車に乗れなくて使う「補助輪」と同じ。
資格という補助輪が無いと稼げない、自信がない、承認欲求が満たされない。
資格自慢しても、「資格(補助輪)が無いと稼げない、元々は凡人のバカで、ちょっとバカが薄まりました。依存してる資格の看板をぶら下げて生きてます」と言って自己紹介してるのと同じ。
本物の優秀な人達や賢者は例外なく、学歴自慢も資格自慢もしない。
学歴と資格の依存症にもならないし、頼らないし、要らない。
だから、中卒でも無資格でも大丈夫。
生きていれば大丈夫。
本当に大事なのは、学校を卒業してから、自分の好きな専門分野に本気で取り組めているかどうかだ。
誰かに認められても価値は無い。
自分がまず納得して幸せかどうかに価値がある。
学歴差別をしている奴こそ、脳みそがスカスカで不足している。
学歴コンプレックスを植え付けてる犯人は、低知能な学歴バカ信者、偏差値自慢バカなのだ。
ついでに。
例外なく、本物の天才は生涯で孤立を好み、異常な独学力と没頭力を持っている。
天才を真の意味で理解する者が周囲にほぼ存在しないため、孤立した方が自分の才能を発揮できるのを本能的に理解しているからである。
天才が凡人に迎合して仲間に入った生き方をした場合、天才の能力が希薄化または消失してしまうのを、私は何人も目の当たりにしている。
よく学校で孤立を好んで読書や考え事をしている学生を見かける事があったが、彼らの中には、天才の種を持っている人達もいる。
それで長年ずっと蓄積したものが何らかのチャンスでアウトプットした時、世の中を進化させるチカラを持っているが、一生の内でスポットライトが当たるかどうかは、彼らの運次第なのだろう。