織田哲郎の「いつまでも変わらぬ愛」を主観で語ります。
私が愛してやまない、日本で一番好きだと言ってもいいメロディーメイカー織田哲朗の「いつまでも変わらぬ愛を」について語らせていただきます。
私が織田哲朗を知ったのはZARDを好きになってからですね。ZARDは全楽曲聞いた事ある位好きなアーティストです。ちなみにですが私の世代としてはZARDの全盛期はリアルタイムでは聞いていません。私は90年代後半にZARDの事を認知しました。
小学生の運動会で毎回流れてた「負けないで」もZARDの楽曲ということと認知したのは10代半ばになってからでした。
特にZARDの90年代中盤くらいの楽曲に好きな曲が多かったです。90年代中盤のオリジナルあるバブの歌詞カードを見たときに、私が好きな楽曲の多くの作曲者が「織田哲郎」という事に驚きました。
そしてこの織田哲郎って人は何者なんだと思いました!
織田哲郎について調べたかったですが、私が中学生、高校生の時はネットは普及しておりませんでした。丁度ウィンドウズ95がヒットした頃ですが、家にパソコンがある家庭は相当なお金持ちくらいだったと思います。
パソコンがあっても今みたいに光回線や5G、4Gなんてものはあるわけ無く、電話回線を利用した超低速度の回線環境です。また現在のように多種多様なホームページサイトがあるわけでもなかったと思います。
織田哲郎の事は気になってましたが、特に調べることもなく時が過ぎ私が20歳くらい時にどこかで「いつまでも変わらぬ愛を」を耳にしました!
そして小学生くらいの時に聞いた事あるなと思いました。それは当時のポカリスウェットのCMで耳にしていたからだと思います。
十年位たっても忘れてないくらいのサビのインパクトがあったからこそ、小学生の時に聞いた記憶が蘇ったのだと思います。
20歳位に自分でパソコンを買ってADSL環境でネットが使えるようになり、とうとう織田哲郎の事を沢山調べる事ができました!
そして「いつまでも変わらぬ愛を」の楽曲ですが私はラブソングかと思っていましたがそれは違いました。29歳で薬の副作用の心臓発作で亡くなった兄へ向けた曲と知ったときは驚きました。
兄は成績もよかったそうですが、ある時から引きこもりになったそうです。しかし兄がそんな状況であっても、兄への憧れのようなものがあったと何かの記事で目にしました。そんな兄を思って書いた事を知ったあとに「いつまでも変わらぬ愛を」を聞いた時には感極まるものがありましたね。
織田哲郎はシンガーとしても楽曲制作者、音楽プロデューサーをしても大成功して誰もが羨むような功績を収めている人かと思います。
しかし織田哲郎の人生は壮絶な出来事が色々とあったようです。
少し例を挙げるとスペインで強盗に襲われ喉元を両腕で強く締められ事があります。その際に喉に大ダメージを受けたそうです。
その後、話す事は出来るようになしましたが、後遺症で「いつもでも変わらぬ愛を」のサビに出していたような声量も高音も出すことが出来なくなりました。
現在も「いつまでも変わらぬ愛を」は歌っていますがキーを3つ4つ下げて歌っていますね。そうしないと高音が出なく歌えなくなってしまったのです。本人も後遺症のおかげで喉のコンディションは60%位になってしまったと言っていました。
他にも鬱病になっていた期間もあるそうです。だけど病院へは行かなかったので正式に鬱病と診断された訳ではなかったそうです。
病因へ行かなかった理由は織田哲郎の兄が抗うつ剤や抗不安剤を飲んでいた姿を間近で見ていました。症状がよくなるどころかどんどん悪くなった事を目にしていたから薬には頼らなかったとテレビで言っていました。
思い返すと間違いなく鬱病だったと言ってましたね。その頃は毎日酒に溺れて酷い生活をしていたそうです。時期的には相川七瀬をプロデュースしていた頃です。
織田哲郎本人は過去を振り返ってよくあんな精神状態で仕事出来てたなーと笑いながら言っていました。音楽に対しては相当強い思いがあったから、鬱状態でもレベルが高い仕事が出来ていたのかなと思います。
次に、織田哲郎に関する投稿をする時は織田哲郎が作曲した好きな私が好きな曲を投稿したいです。好きな曲ありすぎて挙げきれないとは思いますけどね笑
最後まで読んでくれてありがとうございました!