無理やりオックスフォード大学の学生になった話 その10 同棲、妊娠、出産
学問にも、高等教育にも縁がなく日本で育った私がイギリスに渡り、オックスフォード大学の学生になるまでと、なってからの逸話自伝エッセイ。経済的、精神的な苦労もなく甘やかされてワガママに生きてきた日本女性の半世記。
同棲を始めたピーターの家は彼が数年前にケンブリッジの教授職についた時に購入した寝室が2つあるフラットだった。独身の身であまり料理もしない彼には十分だった。彼は家賃や生活費を要求しなかった。その分貯金しときなね。といって。
その頃ロバートと住んでいた家が売れ諸々の借金を返済し、残ったお金を2等分した。私一人でケンブリッジに家が買える頭金にはならなかったが、ピーターのフラット売り、そのまとまったお金と合わせれば、庭付きの一戸建てが買えそうだということになった。
ピーターは結婚は女性を束縛する制度だから、といって積極的でなかった。もうすでに私は永住権を得てビザの問題もないし、事実婚のような友人のカップルが沢山いたので、結婚の話はしなかったが、日本に二人で旅行に行き、ハネムーンのようにを過ごした。私が自立して楽しくイギリスで暮らしていたので、父とも和解していた。
私も30代後半に差し掛かり、子供を産みたいと思っていた。母性本能で赤ちゃんが欲しい、というよりも、、生理痛に苦しめられてきたその女としての機能を使ってみたかった。人体実験をしてみたかったのである。彼もいつかは家族を持ちたいと思っていたらしく、避妊をやめた。高齢でもあるし、いつ妊娠できるかわからないからといって妊活というよりただ避妊をせずに夜の生活を楽しんだ。
日本から帰ってからしばらくすると妊娠が発覚。翌年早々には男の子が生まれた。
日本大使館に出生届を出しに行くと、言われたとうり、4種のフォームを2枚ずつ合計8枚手書きで記入して提出すると、係員の人はいった。「子供の父親と結婚されていないのでしたら、非嫡出子の欄に印をおつけください。ああ、まだ前夫との離婚が成立されていませんから前夫のお子さんとしてお届けください。」
???!!!
ピーターに説明すると理解に苦しんでいるようだったが、じゃあ届けるのを見送ろうということになった。調べたら、離婚後でも300日以内に生まれた子であれば前夫のことして届け出なねればならないこと。それを訂正するには日本の裁判に持っていかなければならないとのことだった。
英国の離婚制度は日本のように離婚届を出せばその場で成立するのではなく、2年の別居期間の後にどちらかが訴えるとうい形で法廷に裁判として申請し、裁判官に裁いてもらうので、その間いろいろなやりとりが5、6週間後にあり、その後また約半年後に法廷で仮離婚の判定があり、それからまた数ヶ月後の判定をお待ちくださいという連絡があり、実際に裁判所に出向いても、出向かなくてもいいそうで、一応形式で裁判官が裁判所でアナウンスするものの私もロバートも出向かず、全て書類の郵送だけだった。結局ロバートとの離婚が正式に成立したのは、第一子が産まれた数週間後だった。
二重国籍を認めていない日本国籍を取っても、20歳でどちらかのパスポートを選ばなけれはならない。英国籍は問題なくとれた。そもそも二重国籍って必要なんだろうか?人によってはその国の奨学金制度が利用できるからとか、もし帰国したくなった時のためにとか、私もとれるもんなら取っておこうくらいの気持ちで申請しに行ったが、実際に必要ではない。私だって来たい国に来て永住権を得て住んでいる。もしうちの子がアルゼンチンに永住したくなったら?その時は彼自身でなんとかするだろう。
こんな古臭いルールをまだ執行し続けている国。そんなことがあると「だから日本を脱出したんだよ!」と思い起こされる。ちなみに2022年の時点でもロンドンの日本領事館では全ての届けや申込書は紙に手書きで記入式で料金も現金でお釣りのないように支払うのが原則です。クレジットカード?もちろん使えませんよ。
いつになったらオックスフォードの学生になった話になるんだと思っている方、それはこの時点から14年後のことです。
続く
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