無理やりオックスフォードの学生になった話 その7
学問にも、高等教育にも縁がなく日本で育った私がイギリスに渡り、オックスフォード大学の学生になるまでと、なってからの逸話自伝エッセイ。
経済的、精神的な苦労もなく甘やかされてワガママに生きてきた日本女性の半世記。
英国の美術大学卒業、就職そして1度目の結婚
英国の美術大学は、ひと学期中に一つのプロジェクトを制作するというのが課題で、毎週一度18人ほどのクラスメートとチューターのミーティングがあり、毎回その週にやったこと、途中経過でも進歩具合などをみんなの前でプレゼンテーションするというものだった。チューターである先生だけでなく、他の生徒からもバンバン感想やら、参考になりそうな作家の名前やら、質問が飛んできた。出席すれば単位をもらえるような、生やさしいもんじゃなかったけど、私はすでに作品を制作した経験もあり、社会経験もあったので、高校を出てすぐ入ってきた子達よりは課題をこなす要領はわかっていたかもしれない。少なくとも作品というヴジュアルアートについて説明するため、まだ拙い英語でも作品さえ良ければ、みんな認めてくれた。
はじめに住んだハウスシェアはマレーシア人、スコットランド人、アイスランド人、インド系イギリス人、私日本人と、国際色豊かだった。面倒なことや、迷惑なこともあったはずだし、家自体がちょっとボロかったりしたが、楽しかったことしか思い出せない。あの時に戻りたいとは思わないが、私の人生の中であの時があって良かったと思う。
卒業が近づき、どうしても帰りたくなかった私は仕事を探していた。ある日新聞で私ができそうな仕事の広告を見つけた。イギリス中部のカントリーサイドにある版画のアーカイブでイメージの著作権を売ったり、古い版木やエッチングプレートを刷ってファインアートとして販売する会社の版画技師としての仕事だった。面接に行ったら日本での経験や、自分でも制作していることなどを買われ、オファーを頂いたが、就労ビザの問題があった。じゃあ結婚しちゃえということでロバートと結婚した。2年間ずっと一緒にいたし、ビザの問題がなかったら結婚しなくてもよかったかもしれないが、それでもビザのためだけでなく、愛もあっての結婚だった。
こちらで仕事が見つかったこと、それまであまり話していなかったロバートと結婚することを親に電話で話したら、歳も離れていて離婚歴のあるイギリス人との結婚は父親はカンカンに怒って「許さない、勘当だ!」などといった。でも不景気の日本に帰って何ができるというんだろう。帰国する気なんかさらさらない私は「それでも結構」と言ってここに残ることにした。私は来たいところに来て、やりたいことをやって、一緒にいたい人と一緒にいるのだ。仕事にも就けて経済的にも独立してこわいものはなかった。
いつになったらオックスフォードの学生になった話になるんだと思っている方、それはこの時点から25年後のことです。
続く
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