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無理やり、オックスフォード大学の学生になった話 その4

学問にも、高等教育にも縁がなく日本で育った私がイギリスに渡り、オックスフォード大学の学生になるまでと、なってからの逸話自伝エッセイ。
経済的、精神的な苦労もなく甘やかされてワガママに生きてきた日本女性の半世記。


留学準備

脱出先をイギリスに定めて帰り、それからまた2年働いて留学の準備をした。ただ無闇に日本脱出するよりも、留学というのはいい言い訳だったから。そしてイギリス英語と留学制度のことを学ぶためにブリティッシュカウンシルの英語学校に行き始めた。そこで時折、英国留学フェアなるものが開催されいくつかの英国の大学が生徒を誘致に来ていた。行儀マナーも学費の支払いもいい日本からの留学生はいい収入源でもあるのだ。

英国中部のあるA大学には私の希望する学部があるということでその大学の多分副学長みたいな人と面接に漕ぎ着けた。ただ作品を見せながらつたない英語で説明してるだけだったが、彼の反応はイマイチ理解していなかった。面接後、通訳をしてくれたブリティッシュカウンシルの方が、「すごい褒めてたよ、ぜひ君にうちに来て欲しい、他の生徒にもいい影響になると思う。って言ってた」と言われ舞い上がってしまい、ぜひその望まれているA大学に行くことにした。日本で既にそれなりの作品を制作していて、職業経験もあったので2年次から編入できるということだった。

もう一つのF大学の人とも面談したけれど大した会話をしたわけでもなく、作品もチラ見で丁寧に見てもらっったわけでもなく、それほどその大学には興味はなかったが、社交辞令程度に「資料を送ってください」くらいの登録をしただけなのに数週間後に入学許可の手紙が来た。もう金蔓としか思われていないようで、その海沿いの町のF大学から入学するのかしないのかの返事の催促は何度となくあったが全て無視した。

その頃付き合っている年下のボーイフレンドがいた。家業の手伝いをしていた彼は時間も自由で車やバイクで送り迎えしてくれたし、一緒に遠出をするのも楽しかったが、職場の同僚で音楽の趣味の合う男性に惹かれ始め、彼がいる、という拘束されている状態に鬱陶しさを感じるようになり、だんだんとその年下の彼からの誘いを断ったり無視したりするようになった。彼に悪点があったわけではないので、彼は混乱し、高価なプレゼントを送ってきたりして私を引き止めようとしたが、私はもう彼には飽きていて違う人とお付き合いがしたかった。他の数人の男友達からも誘惑が多々あったし。でも話していて楽しい男性とはもっと親しい関係になりそうな誘いがあってもいつも私の方からはぐらかして友人以上の一線を超えなかった。どうせもうすぐ日本から離れるのだし、あまりロマンティックな関係になって別れづらくなるのが面倒というのもあったが、男女関係ではなく、純粋にいい友達でいたかったからである。そんな男友達とは30年ったった今もまだ友人でいられている。過去に恋人同士の関係を持ってしまった男性たちとは、会うつもりもないし、会いたくもない。

いつになったらオックスフォードの学生になった話になるんだと思っている方、それはこの時点から29年後のことです。
続く

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