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無理やり、オックスフォード大学の学生になった話 その6

学問にも、高等教育にも縁がなく日本で育った私がイギリスに渡り、オックスフォード大学の学生になるまでと、なってからの逸話自伝エッセイ。
経済的、精神的な苦労もなく甘やかされてワガママに生きてきた日本女性の半世記。



ロバートとの甘い夏

その前後から彼がいろんなイギリスの史跡や、劇場や、美術館に連れていってくれるようになった。イギリスの普通の生活習慣、学校で習わないよう言い回しなどを面白おかしく教えてくれた。

ある時、郊外の遺跡を散策しているときに、麦畑のそばを歩いた。まだ穂先が新緑の麦畑の中にポツリ、ポツリと赤いポピーが咲いていた。

ロバートが「こういう赤いポピーの種は何十年も土の中にいて、昔戦場だった場所の畑を耕すために掘り起こすと発芽してこんなふうに突然咲くんだよ。これが戦争で亡くなった兵士の血のようだから、Rememberance Dayには赤いポピーのバッジをつけるんだよ。」と教えてくれた。

そして私がバックパッカーだったときに出会ったインド人のおじさんのことを思い出すとともに、そんなことを教えてくれるロバートのことが一層愛しくなってしまった。

そうして色々とやり取りするうちにロバートとは急接近し、ホームステイの契約が切れて大学入学までの夏の2か月をどこに住もうかと探し始めた頃、彼がうちに住めば、と言ってくれた。彼は数年前に離婚した後に付き合っていたガールフレンドとも別れたばかりでシングルだった。彼のぐいぐい引っ張っていってくれるダイナミックな振る舞いとチャーミングな性格に惹かれていった。

彼の借家は小さな村の教会に面した藁葺きのコテージだった。
甘い日々でケンブリッジシャーのカントリーサイドは美しく、私は何不自由なく、何の悩みも、痛みもなかった。ストレスがなさすぎるのが、かえって怖かった。

そして秋になると大学のある街へ移ることになった。彼はそこで私との関係は終わり、私はその街や大学で新しい恋人を見つけるだろうと思っていたようであり、「さよなら、元気でね、またいつか会おう。」といって去っていった。

私はもうそこに一人世界から取り残されている気がして毎日バスの中で泣いた。
何かあると彼に電話して、会いたがったのは私の方であった。
結局週末になると彼と会い、関係は続いた。

いつになったらオックスフォードの学生になった話になるんだと思っている方、それはこの時点から28年後のことです。
続く


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