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無理やり、オックスフォード大学の学生になった話 その5

学問にも、高等教育にも縁がなく日本で育った私がイギリスに渡り、オックスフォード大学の学生になるまでと、なってからの逸話自伝エッセイ。
経済的、精神的な苦労もなく甘やかされてワガママに生きてきた日本女性の半世記。



渡英

留学の受け入れ先大学は決まったものの、その頃もまだ銀座の広告製作会社に勤めていて、多少の貯金はしていたが、英語学校や社交費にと給料は使いたいように使っていたから到底2年間を先進国で過ごせるほどの財力はなかった。

その頃、従姉妹が結婚式を挙げた。一人娘である彼女の結婚式は高級車が数台買えるほどの費用がかかったそうで、それには出席したうちの親も勿体無いと思っていたようである。

実家はそれほど貧乏でもなかったので、私のために結婚費用を用意していることは知っていた。そこで従姉妹があげたような派手な結婚式はいらないからと説き伏せて留学費も援助してもらえることになった。

A大学からの2年次からの入学許可も英語力の得点を入学時までに満たすことというのが条件だったので、まずは4月から大学入学前の3か月間ケンブリッジの英語学校に行くことにした。 
その学校が斡旋してくれたケンブリッジの中でも高級住宅地の中流家庭にホームステイし、徒歩7分の英語学校には毎朝爽やかにご近所の庭先の緑や花の香りを深呼吸しながら通った。日本のごちゃごちゃした街並みからしたら、別世界だった。夢のようというより、これが真っ当だと思った。もう日本には帰れない、帰らない、帰らなくていい条件を見つけなければ、とまだ英語も拙く、大学も始まっていないうちから考えた。

英語学校では様々な国からの留学生に出会うが英国人との接触は少ない。そこで街に版画のワークショップがあることを知り、学校以外での、地元の人たちとの出会いも期待して通い始めた。

そこでロバートと出会う。しょっちゅうそこにいたのでその頃彼は経営者の一人と思っていたが、後で知ったが施設をただで使ったり、事務所として使ったりする代わりに利用者の面倒を見たり、受付みたいなこともしていたようだ。何度か顔を合わせるうち彼に私の作品を見せたら一目置かれるようになった。

行くつもりでいるA大学のことをはなすと「そこは相当の田舎で、可愛いカントリーサイドじゃなくて割とダサい田舎でまず文化的な刺激は期待できない。君の才能だったらもっといい大学に行けるはずだから他の大学も挑戦してみれば」と言ってくれたが、今更学校変えるなんてできんの?それにあの副学長さんの期待を裏切りたくなかった私は渋った。「じゃあどんなところか見せてやるよ」と彼がその街へ車で連れて行ってくれた。ケンブリッジから一時間半ほど離れたところだった。確かに工業的であまり可愛らしい建物や風景は見当たらない。昼間だったし、物騒な気配はしなかったが、退屈そうな町であることは見受けられた。親切な割に、結構傲慢な彼はその街をちょっと見て歩くことすら価値もないと判断し、その街でお茶も飲まず、車を降りてその街を一歩も歩かず帰路に着いた。強くもないが、弱くもない、といったポジショニングのフットボールチームが唯一英国内でのその町の知名度をある程度保っているらしいそのスタジアムを横切ったことの記憶ぐらいしかない。

以前ロバートはロンドン近郊の大学でコースリーダーをしていたことがあって大学のシステムには詳しかった。ロンドンの大学に私は興味はなかった。その頃ロンドンには日本人はわんさかいたし、本当のイギリスらしさを体験するには首都は避けるべき、留学資金も郊外の方が長持ちすると直感的に思っていた。そこで彼は中部で、そこそこ都会で、ロンドンや、ケンブリッジに日帰りできる距離の大学をいくつか目星をつけてくれ、3校に、面接の取り合いもつけてくれた。彼は大学側には「自分はこの学生のチューターで彼女は優秀な生徒だがイギリスに来て間もないので」と言って面接まで付き添いで来てくれた。英国の美大は入試の代わりにポートフォリオを見ながらの面接で試験のようなものはなかった。ロバートが面接が終わった後も、どういう反応だったか、どういう条件のオファーをくれたかを説明してくれた。

今はどうかわからないが、その当時、英国の大学は普通の入学ルートだけでなく、教授との直接のやり取りでコースの定員人数に余裕があれば、入学を許可する枠があるらしかった。特に留学生は大学にとってもいい資金源なので寛容であった。

ロバートが交渉してくれて、元々行くつもりであったA 大学と同じ条件でB 大学に2年次から編入できることになった。もう一つ受けたC大学の面接官や設備のいい感じから私自身はC大学に行きたいと思ったのだが、その大学側からは「この生徒は1年次から入学すべき、初めから学ぶことは彼女のため」との条件を出された。ロバートは「君には基本的すぎる一年次なんて必要ない。B 大学にしろ」と勧めてきた。むしろ、「当然でしょ、C大学はやめとけ。1年分の学費の無駄。」といってB大学への入学するものとして話を進めてきた。私自身、C大学でなくては、という強い思いもなかったので、B 大学に行くことにした。

いつになったらオックスフォードの学生になった話になるんだと思っている方、それはこの時点から28年後のことです。
続く。


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