~あなたに巡り合う為に、僕は生きてきたのです(笑)~
≪はじめに≫
≪大阪で生まれた男≫
このノートでは、よっしんの歴史を簡単にお伝えさせせ頂きますね。
(おいおい、歴史って)
って、今思ったあなた!
素晴らしい!
その突っ込みを待っていたのです(笑)
では、早速簡単に略歴から
1968年9月3日
大阪府東大阪市で三男として生まれる
ドラえもんと同じ誕生日です。
つまり僕は、人々に夢と勇気を与えるのが使命なのです!
東大阪市というのは、中小企業の街で、
映画やドラマになった
『下町ロケット』の舞台です。
現在54歳、まあ結構オッサンです。
ただ、心はまだまだ20代、
体も40代中頃ぐらいの状態です。
中学から、大阪では有名な進学校に通い
そのまま大学までエスカレーター式に行きました。
家は裕福な家庭で、
幼少期に香港とハワイに家族で旅行に行っています。
まぁ、ここまで読むと、
(ふざけんな、ボンボンかよ~怒)
ですよね。
はい、僕もそう思います。
でもそんな平穏な人生ではないから面白い!
父が16歳の春に死にました。
大好きな父親が。
今でこそやっと、悲しみを伴わず書けますが、
ずっと、引きずっていましたね。
30歳ぐらいまでは、
簡単に人に話したりも出来ませんでした。
父の死までは、不自由なく育ててもらっていたので、
それこそ温室育ちだったので、
逆にショックは大きかったのかと。
父の死に立ち会う事は出来ませんでした。
僕は高校のクラブ合宿に参加中で、
その報せを朝食後に顧問の先生から聞かされました。
(ちなみに何のクラブだったん?)
あなたが思っている事に回答しましょう。
合唱部でした。
しかも僕は男子校だったので、
むさくるしい男ばっかりで合唱する、
ちょっと暗い感じですよね。
何故、僕がこのクラブに入っていたかというと、
将来、お芝居をしたい、
その為には今から発声を学んでおこう、
そんな事を考えて、このクラブに入っていました。
悪友と二人でこのクラブに入っていたのですが、
二人だけ、他から浮いた感じでした。
そして、少しして二人して退部しました(汗)
今から、ちょっといい話をします!
後で聞いた話では、母から宿泊先に電話があったのは、
僕の朝食前だったそうです。
その時、母は少し涙ぐみながら電話でこう言ったそうです。
『あの子には、朝食後に伝えてもらってもいいですか。
せめて朝食は、何も知らずにきちんと食べてもらいたいから。
先生、よろしく‥‥、お願いします』
母の優しさ。
一番辛かっただろうに。
僕は母の子供で良かった、そう思いました。
16歳でした。
自宅へ帰宅するまで、
僕は泣く事が出来ませんでした。
涙を流すというのは、
まだ心のどこかに余裕みたいなものがあるから
流せるのかもしれませんね。
自宅に着き、どれぐらいの時間が経ったのでしょうか、
僕は友人に電話しました。
すると、友人のお母さんが出ました。
まだ、もちろん携帯電話などない時代。
いつも、まずは友人のお母さんと少し話してから
友人につないでもらう、
そんな時代でした。
友人の母親の穏やかな声を聞き、
何かしらホッとしたのでしょうか、
僕は初めて泣きました。
父が死んだのは52歳でした。
僕の中では、52歳で自分も死んでしまうのかなぁ、
そんな事をいつも考えていました。
昨年の誕生日は、だからかなり色んな思いが入り組んだ誕生日でした。
≪東京ライフ≫
20歳で大学を中退しました。
そして東京に行きました。
芝居をやろう、そう決意したのです。
人生で初めて、自分でお金を稼ぐ。
東京に住み始めてすぐの頃、
色んなアルバイトを経験しました。
交通量調査、パン工場、荷物の仕分け‥‥。
デパートのマネキンつまり販売員もやりましたねぇ。
いずれも短期のアルバイトです。
いつ劇団に入団できてもいいように、という事で。
そして、半年が過ぎた頃、
やっと劇団のオーディションを受け、
入団が決まりました。
その劇団の公演で、
ドイツに行った事もあります。
公演終了時に観客が
全員スタンディングオベーション、
この記憶は今でも鳥肌が立つほどです。
舞台上で受けた感動、
素晴らしい心震えるものでした。
けれども僕はそのドイツ公演最終日に
ホテルで座長に退団する事を告げました。
自分で劇団を造りたいという思いからでした。
約2年の在籍期間に、
東京、大阪、名古屋、そしてドイツでの公演を
経験させて頂きました。
一旦劇団を辞めた僕は、
その後舞台芸術学院という専門学校に一年間通いました。
そこで知り合った仲間たちと
念願の劇団を結成します。
楽しかったです。
公演をしてもお金が儲かる訳ではない、
むしろチケットノルマがあり、
そのチケットを全部売れなければ
自分で支払わなければいけない‥‥。
でもそんな事はちっとも苦痛ではありませんでした。
みんなでいつも夢を語り合っていました。
公演で客席が満員になった時。
温泉合宿に行った事。
楽しかった思い出しか思い出せません。
(その仲間の一人は今では結構著名な映画監督兼脚本家になりました)
ただ、少しずつ方向性の違いを感じていた僕は、
新たに劇団を旗揚げする事にしました。
その劇団で約5年間、
主宰として脚本、演出を担当していました。
演出家の仕事というのは、人にモノを教えるのに近く、
僕にはこれが向いているなぁ‥‥、
そんな事を思っていました。
その劇団で、小さいながらも賞を頂きました。
まだ若かった僕は、メチャメチャ嬉しかったのをひた隠し
(あぁ、そうですか。どうも)
みたいな態度をキープしていました(笑)
30歳の4月に劇団を解散しました。
金銭的にも肉体的にも精神的にも、
これ以上続けたらヤバイ、
そんな状況でした。
今まで一直線に突き進んできたから、
僕はいわゆる、燃え尽き症候群的な状態でした。
これからどうしよう‥‥。
真っ白な部屋に閉じ込められた、
そんな感覚でした。
劇団を維持するために借金で賄っていた事もあり、
急いで働かなければいけない状況ではありましたが、
気力が一切湧かない、そんな日々を一週間程過ごしました。
とりあえず働き始めたのは、
夜の仕事でした。
約1年半程、借金の返済にかかりました。
そのままお金が貯まり、
そのお金を投資に回しました。
少しずつ資産が増えていきました。
ただ、いつも心には何かしら雲がかかっていました。
大金持ちとまではいかないけれど、
小金持ちぐらいには成れたかな。
ただ、日々の生活は僕が求めている暮らしではない。
そんな葛藤の日々。
≪大阪へ≫
一度、大阪に帰る事にしました。
1からやり直そう、そう思いました。
今まで芝居をやってきた経験が活かせる仕事はないか、
一番有効だと考えたのはトーク力、表現力を活かせるものは‥‥
コールセンターを選択しました。
僕の選択は間違いではなかったようで、
約200人いるアポインターの中で3位になる事が出来ました。
業務内容はリストにあるお客様に電話をしてアポイントを取る業務でした。
商品に興味があるかどうかも解らないお客様に対して、
アポイントを取り、クローザーへとパスを渡す、そんな役割でした。
入社後、初めは小手先のテクニックを勉強しました。
けれども、それでは結果はついてこなかった。
1日約300件の電話をする事によって見えてきたのは、
上辺だけの会話だと、お客様にそれが伝わりNGになる。
最終的にスーパーバイザーにまで昇格。
入社して3年後。
入社研修のトレーナー業務を任されるように
なりました。
それと共に全アポインターに対して月に一度、
コーチング、カウンセリングを行っていました。
成績が伸びないアポインターに対しては、
今の悩みをヒアリングからでした。
その中で多かったのは、仕事以外に関する悩みでした。
パートナーとの不仲、子供の進路、体調不良、日々が楽しくない‥‥。
プライベートを充実させる事により、仕事も捗る。
なかなか簡単ではない問題であっても、
原因を掘り下げて考える事によって、
解決の糸口は案外簡単に解決する場合もありました。
もちろん、全てを解決出来た訳ではありませんでしたが。
問題を抱えて悩んでいるうちに、
知らず知らずに自己肯定感が下がるものです。
話し合いの最後に僕が必ず言っていた事は、
1日1回、自分自身を褒めてあげて!
という言葉でした。
実際に実行してくれた人、実行してくれていない人、
日々見ていると話しを聞かなくても、
その人の普段の行いを見ると解るようになってきました。
結局はその人自身、なんですよね。
投資も続けていました。
そして‥‥
ある詐欺的な投資案件に引っかかってしまいました。
それにより、大打撃を受けました。
ほとんどの資産を失いました。
世の中、そんなにうまい話はありません。
基本的に僕は人を信用し過ぎだと友人知人は言います。
確かにそうですね。
騙される人間が悪いんだ、いい勉強になったと思う事にしよう、
そう自分に言い聞かせました。
ただ、そんなに簡単に自分の心を納得させる事は出来ません。
これはもう環境を変えるしかない、
そう決心しました。
≪再び、東京へ≫
お芝居をやっていた頃に、
シティホテルでアルバイトしていて知り合った、
配ぜん会の所長さんの事務所で勤務させて頂く事になりました。
業務内容は、得意先との折衝。スタッフのスケジュール管理、
新規開拓営業、金銭管理全般、コーチング、カウンセリング‥‥。
当初は、事務所内のすべての仕事を所長と僕二人だけで
すべてこなしていました。
コーチングやカウンセリングをしている間に、
以前の経験もあり必要性を感じましたので
心理カウンセラーの資格を取得しました。
資格取得の為に勉強した事で、
それにやはりこれが大きかったでしょう、
日々経験を積み重ねる事によって、
自分の言葉に説得力が増したのを自覚しました。
そして、一つ一つのカウンセリング、コーチングに
やりがいを感じるようにもなったのでした。
人の悩みを解決出来た時は、
何とも言えない喜びを感じたものでした。
友人からカフェをオープンするので店長をやらないか、
という誘いがありました。
その頃は事務所にも別の事務員さんもいて、
僕が辞めても大丈夫な状態だった事、
そして僕は、元々天才演出家だったので(笑)
カフェの内装や照明、看板デザイン等々を
自由にさせてもらえる事を条件にして、
その誘いを受ける事にしました。
カフェの店長になったと同時に
マーケティングの勉強を始めました。
どうすれば継続して人気があるお店造りが出来るのか‥‥。
本を読み漁り、他の店を偵察し、来店されているお客様と会話し。
それと同時に経営についても友人と一緒に学ばせて頂きました。
スタッフのトレーニングもしっかりとやりました。
ホスピタリティとは!
しっかりと教育しました。
(すみません、自慢です笑)
その甲斐あってか、カフェは常に盛況でした。
内装その他諸々、すべて任せてもらって、
本当に良い経験をさせてもらったと友人に感謝です。
≪残念ながら、今ではコロナの影響で閉店してしまったそうです≫
日本での最後の仕事は、
ラブホテルの支配人でした。
カフェをまずまずの人気店に仕立て上げた僕は、
これも友人が経営するラブホテルの支配人を
やらせてもらえないか、と尋ねました。
ホテル一棟、自由に演出できる、
例えばエントランスからフロント、廊下、客室。
全てを演出できるというのは、
僕にとってかなりエキサイティングなモノだったのです。
友人は二つ返事でOKをくれて、
僕は晴れてラブホテルの支配人になったのでした。
自己満足と言われるかもしれませんが、
日本一のラブホテルを造った、という自負があります。
音響、照明、POPデザイン、ホームページ、
スタッフ教育には少し手こずりましたが、
最終的には最高のチームを作った自信があります。
ヘルプザヘルパー!
お互いがお互いを助け合う精神。
異国の人も多かったので、少し言葉の壁もありましたが、
その壁も乗り超えました。
投資で失敗していなければ、
自分でカフェをオープン出来ていたのに‥‥。
うまく行けば、ラブホテルも持てたかなぁ‥‥。
まぁ、人生色んな事があるから面白い、
そう思うようにしています。
ラブホテルでの業務に達成感を感じました。
日本一のラブホテルを作り上げた‥‥。
フィリピンに行く事を決意したのにはこんなエピソードがあった時でした。
ある日、僕が出勤すると、フロント担当の女性が、
『すぐにWさんの所に行ってあげて下さい』
と言いました。
(何か問題発生か?)
急いでWさんの所へ行きました。
するとWさんは明らかに体調が悪い、という顔をしていました。
『Wさん、体調悪いの?』
Wさんはフィリピン人です。
日本語は少し変ではありますが話せます。
そのWさんが言いました。
『ハイ、デモミンナニメイワク、カカルデスヨネ』
僕は思わず涙しました。
『ありがとう、Wさん』
『ナイテルノ?ドウシテ?』
感動でした。
今までやって来た事は間違いではなかった。
ちょっと行き詰った事もあったけど‥‥。
『ありがとうね、Wさん』
僕はもう一度そう言いました。
僕がこのラブホテルの支配人に就任した時は、
フィリピン人スタッフが大多数のここでは、
遅刻、欠勤当たり前。
作業の指示をしても、
その場ではいい返事をするも全然クリア出来ていない。
僕が一番大事だと考える事も出来ていませんでした。
それは、挨拶です。
きちんと目を見て挨拶する事。
毎日それさえやっていれば、次第に距離は縮まる。
例え仲が悪い人同士でもきちんとした挨拶継続する事によって
仲良くなった例をいくつも見ました。
フィリピンで永住する事を決めました。
もしかしたら多くの日本人が忘れてしまった大切なモノを
フィリピンの人たちは持っているのではないか、
僕にも、貧しい生活をしている人々の
役に立つ事があるのではないだろうか、
そんな考えからでした。
そして今。
フィリピンのセブ島に住み始めて2年半。
新たなスタートを切りました!
ここまで長文をお読み頂き、ありがとうございました。
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そして、その質問であったりお悩みを、
よっしんが解決出来るように、
一緒にまずはその問題に立ち向かって考えて行きましょう。
また、特にお悩みというほど深刻ではない場合でもウエルカム!
ちなみになんですが、
よっしんはセブに住んでいますので、
現地の様子が垣間見れたりもします。
例えば、セブの話が聞いてみたい。
海外に住むってどんな感じなのか知りたい、
国際結婚ってどんな感じなのか知りたい、
(ちなみによっしんの奥さんはフィリピン人です)
そんなライトな感覚でも大歓迎ですよ。
ちょっと気分転換に、いかがですか?
どうぞ、お気軽に。
さあ、一歩踏み出す勇気です‥‥、
今の生活のまま生きていくのも人生、
クリック一つで新たな体験をして、
何らかの学びを得るのも、
これもまた人生。
あなたは、どっちを選びますか?
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