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自分と両親のために家を出る

2022年6月
家を出ると決意した。
理由は、毎日死にたい気持ちに襲われながらも「生きたい」と訴える自分を見つけてしまったから。
そして、父と母が、お互いと向き合うきっかけを作る役割が自分にあるから。

幼少期から、母は怒ると手をあげた。
最初は落ち着いたトーンで「ねえ何でこんなことしたの」って。
段々とトーンが上がり、怒りや悲しみといった感情が言葉にこもってくる。
体を使って怒りを発散させ始めると、私は「いつ手が出るかな」と怯え始める。
怒りがピークに達すると、「殴られたいのかあ!」と叫んで、右手で私の左頬を叩く。
心臓が変にぎゅっとなって、緊張した空気を痛く感じて、ギラついた母の目に耐えて、体が震えて、「ごめんなさい」と言う。

母はタバコを吸いにベランダに行く。
5分くらい、どうしようどうしようと考えながら過ごしていると、母はリビングに帰ってくる。
(どうやってこの場を収めようか)とドキドキしていると、
「さ、◯◯しよっか」と、ケロッとしている。
私はそのテンションの差に毎回ついていけない。
トイレか布団の中で、隠れて泣く。

「怒ってる時に泣かないでね、怒れなくなるから」と言われた時があって、
(泣いたら少し収まるのか!)と思って怒られてるときに試したけど、
もうその時には涙なんて出なくなっていた。
頑張っても頑張っても、錆びた蛇口みたいに一滴も出てこなかった。

怒ると物に当たることもあった。
マグカップを割ることもあったし、私のステンレスのコップはいまだに凹んだままだ。
5歳くらいの時に夜ご飯の配膳を手伝っていて、「もう運ぶものない〜?」という言葉が癪に触ったみたいで、持ってたおたまをガンッッーっと鍋に叩きつけた。
それ以来台所から聞こえてくる、おたまについたカレーとかを鍋に叩きつけて落とす音を聞くたびに、(怒ってる・・・!?)と怯えてしまう。

早く寝ないと怒られた小学生のある日は、横になってる私の顔に向かって目覚まし時計を投げつけてきた。
それを避けてしまったことをずっと後悔してる。
アザとかできてたら、学校の先生に気づいてもらえたかもしれない。
(あ、蹴られてテーブルの足におでこぶつけた時はアザできたけど、特に誰にも何も言われなかったな。どうせこの時アザできても気付かれなかったか。笑)

言葉も尖っていたな。
「寝不足で死んでも悲しくないよ?」と言われ、じゃあ死ぬかーと思ったのは5歳くらいかな。
寝不足で死ぬのは大変そうだなと思ったからやめた。
「何でできないの」とか
「ママはこんなにやっているのに」「あなたは何をしてる?家のために何もやってないよね」とか
「あなたのためにこんなにやっているのに」
「もう信用してないから」
「そんなんじゃ信頼されないよ?」
あとは、「嘘つき」ってよく言われた。
うっかり間違えたとき、ただ誤解していたとき、指摘の言葉として決まって「嘘」「嘘つき」って言われた。
でもね、テレビや本で見るような言葉は言われたこと無いよ。
「のたれ死ね」と言われたのは一回だけだし、
「産まなきゃよかった」と言われたことは無い。
だから、マシな方だと思う。

父は、多分この状況を知らない。
断片的に、軽くしか知らない。
私の母に対するストレスを、すごく軽く見ている。
そもそも夜中に帰ってきて朝早く仕事に出掛けていたし、
手が出ないくらいで怒られている時はピークが過ぎると
「じゃあ明日早いから」と寝てしまう。
母は、父が家にいる日は手をあげなかった。


ずっと自分が悪いと思ってた。
怒るのは決まって、私に理由があったから。
早く寝ないとか、塾の宿題やらないとか、ピアノの練習しないとか。
だから、人には言えなかった。
母が世間体を気にしているのも分かっていたから、守らなきゃいけないと思ってた。
(小さい頃、両親の友人から「パパとママどっちが好きー?」と聞かれて、
「本当はパパだけどそう言ったらママが他の人からどう見られるか気にして傷ついて後で怒るかな、それは嫌だな、でもママって言ったらパパが傷つくかな、それも嫌だな」
と考えた末に出した答えは「どっちも〜」だった。
結構頭の回転早い、やるじゃん私。)

高校生くらいになって色々理解できるようになると、母も何か抱えているのかもなと思うようになった。
幼少期の何かかもしれないし、夫婦間の何かかもしれない。
傷ついている結果として出ているものだから、私がそれを辛いと言ってはいけないし、母を守らなきゃと思っていたのだと思う。
それに、自分が人権が無いくらいにダメな人間なだけだ、と。
母を満足させられない、完璧じゃ無い自分がいけない、と。
母に悪気が無いのは分かってる。
きっと怒っている時の記憶が無いか、コントロールできなくなっていて、
それは彼女自身の中にある苦しさや辛さ、悲しさが変な方向に出てしまっているもので。
だから母も辛いんだ、と。
その辛さを想像できてしまうから、私は母を悪者にできない。

父のことも然り。
家庭内の問題から目を背けるのも、母に向き合おうとしないのも、
何かしら要因が彼自身の中にあるんだ、と。
そりゃあ自分を認めてくれる外の世界にいた方が楽しいよね。
問題からは目を背けた方が楽だよね。
一悶着起きるよりいびつでも安定していた方が良いよね。
だから、父を責めるつもりも無い。

人を悪者にすることも責めることもできないし、
人が変わるのを待っているのでは遅すぎる。
きっと私はその前にベランダから飛び降りる。
だから自分のことは自分で守ると決めた。


家を出ると決意する半年前から、家のことが辛すぎて少しずつ人に話し始めた。
話をする人全員に「家出た方が良いと思う」と言われ続けたけど、
決断できずにいた。
ハードルが高すぎるんだもん。
親の説得、家探し、お金の工面、、あらゆることを全部自分一人で考えなきゃいけない。しんどすぎた。
何より、「家出るなんてエゴだ」と言ってくる自分に勝てなかった。

でも毎日襲ってくる「死にたい」に耐えるのがしんどくなった。
死ぬ方法を決めて、あとは自分の限界が来るのを待つだけだった。
でも、、気付いちゃった。
本当は「生きたい」と思っている自分がいること。
「もし生きれるとしたら」って温かい未来を想像する自分がいること。

生きたいって言う自分を見つけちゃった以上、私はその自分のために生きなきゃいけない。
あー前もこんなことあったな。(高校1年生の頃、死ぬ場所も方法も日付も決めて、綿密な計画を立てた。でも「生きたい」っていう自分に気付いちゃって、計画を全部無しにした。)
生きるために、自分のために生きるためにどうするか、って考えて、
「家、出ようか」と結論を出した。


家を出る理由

生きるため。
「自分」として生きるため。
それがもちろん一番大きい。

でも、私は父と母の子どもである以上、本能的には好きなんだよね。
幸せに生きて欲しいと思ってる。
歪んだ関係だったり、それぞれ何か抱えていたりっていうのは、いずれ向き合わなきゃいけない、どうにかしなきゃいけないことだと思う。
そのことに今気付いていて、一番打破するのに近いのは、私。
だから、「きっかけを作る」役目もあると思ってる。

母に、自分自身と向き合ってほしい。
父に、自分自身と向き合ってほしい。
父と母、お互いに向き合ってほしい。
そして、幸せになるための行動をとってほしい。

目を逸らさないで。自分を蔑ろにしないで。
一緒に生きると決めたパートナーを蔑ろにしないで。
幸せにすると決めたなら、ちゃんと向き合って。
一番近くにいて影響を与えられて、抱えているものと向き合うようにサポートできるのはあなたでしょ。
私にはできないことだから。

幸せになってほしい。お互いに笑って生きていてほしい。
でも、人は窮地に立たないと動けないと知ってる。
安定を求める生き物だし、目を背けられる状況ならいくらでも背ける。
私もそうだったから。自分の苦しさや辛さに、死のうとしてから初めて向き合った。
向き合って苦しんでもがいて、そして小さな光を見つけた。
向き合う過程は本当に暗くてしんどくて辛い。でも、今の私たちにはそれが必要だと思うんだ。
そうして乗り越えた先にはきっと、明るくて温かくて、「生きてて良かった」と思えることがあると思う。

だから、そのきっかけを作る。
ただの意味付け、大義名分を作ってるだけかもしれない。
「自分のため」が主で、それを正しいことだと裏付けたいだけかもしれない。
だけど、幸せに生きていてほしいのはホントだよ。
お願いだから、向き合って。
今の、幸せじゃなさそうに生きているのを見てるのは辛い。
お互いに向き合うのは、私には関与できないこと。
きっかけを作るから、行動で本気だと示すから。
私がそこにいなくて良い。(むしろ一緒にいることは考えてない。)2人が幸せに、過去の自分を癒して許して生きていってくれることを願うよ。


自分を自分で守るために、
そして「一番長く一緒に生きてきた人を変えるために」
っていう大義名分を持って、
強く道を進んでいきたい。
もう自分のことを無視しない。
生き直す。
幸せに、強く美しく、生きる。

そう思って、きっとまたすぐに揺らいで、死にたくなると思う。
でも時々こうやって言葉にすると、強い気持ちでいられる。


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