霊の話 12 四国お遍路の旅
震災の数か月後、しばらくして夫と四国のお遍路をしました。
このお遍路は、震災の供養だとか、そんな大それた目的のものではなく、当時の密教の修行の一環として始めたものでしたが、行ってみると、たくさんの人が震災への弔いをしていました。
不思議な事に、お遍路が気になり始めるとあちこちから話が聞こえるようになります。歩きお遍路通し打ち(一気巡り)3回目とか4回目の方や、車お遍路やバスツアーなら毎年行ってますという方、順打ち3回、逆打ち(反対周り)経験者のプロ?のような方からたくさんの体験談を伺うことができました。
さすがにこれはもう行けと言わんばかりの雰囲気になり、私と夫はせかされるように四国お遍路の旅へと向かったのでした。
私たちは、定期的に仕事の休みを取りながら、数日ずつ四国に来ては歩くという区切り打ちという巡り方を始めました。
今回はその時の話です。
お遍路では大体毎日20~40㎞ほど歩きます。
この日は始めてまだ2日か3日目くらいの頃だったと思うのですが、普段さほど歩いていない私は、山越えで足に痛みが出てしまい、山を下りた頃には真っ暗。宿につく時間が大幅に遅れてしまいました。
ですが宿の人は遅くなった私たちにとても親切で、そして食事が豪華でうれしかったのを覚えています。夫と感謝をしながら食事をし、お風呂に入り、早々に布団に入り、眠りにつくと夢を見ました。
・・・
私は赤黒い壁の大きな場所にいます。正面には閻魔様らしき怒り顔の方がいて私に話します。
「自分に憑いた霊を私の元へ送りなさい。」
「マントラを唱えるだけでいいのです。」
「では、練習をしましょう。」
私は夢にも関わらず、
「えーっ何を唱えればいいのかわかりませんが」とかなんとか言ってます。
「あなたはわかっているはずです。」と一言。
すると口からマントラがスラスラと出始めます。その夜、私は夢の中で、朝起きるまでずっとマントラの詠唱をさせられていました。
そんな夢を見ながら朝を迎え、全く寝た気がしないまま朝起きて夫にこの話をすると、それはおそらく地蔵菩薩様のマントラでいいんじゃないかという事でした。閻魔様は地上に出ると地蔵菩薩になり、人を導く仕事をしているのだそうです。
それから私はマントラを唱えると、霊を閻魔様の元へ運ぶことができるようになっていました。実際、このマントラは震災後、実家に帰るたびに憑依されていた私にとってはだいぶ手軽に上げられる便利ツールとなり重宝したのでした。
そして、次の日、12番目のお寺に向かう途中のことです。
山のふもとにある田んぼの畦道。道とはいえないようなところですが、そんなお遍路コースでのことです。
夫と私はのどかな景色に疲労も重なりぽやーっと歩いていました。すると、突然前から黒い人がやってきます。
気づくとあちこちに黒く焦げた人が横たわっていたりと、現実とは違う景色が見えだしました。
そしてその黒い人は全体的に手足が長く、少し人型から外れてきている形。焦げていて真っ黒です。数人がこっちに歩いてきます。
少し古い霊だなーとぽけーっと見ていたらどんどん寄ってきます。私はのどかな道にすっかりやられていて、我に返るまで時間がかかってしまいました。
!!
「ちょっ なんか来た! 祓って! めんどくさそうなのきた!!」と、
突然一人で騒ぎ出す私。マントラなんかすっかり忘れています。夫は実にめんどくさそうな顔をして、そして、いきなり金剛杖で私をたたき始めました。もはやDVです。
しかしこれは、旅の途中で、霊に憑かれたら杖で叩くと祓う効果があると二人で気づいたからでした。金剛杖実に素晴らしいです。肩に乗った霊なんて一発でいなくなります。
しばらくぼこぼこに叩かれていましたが、だんだん向かってくる霊はいなくなりました。
仕事柄、もう少しスマートでかっこいい払い方できるだろとも思ったのですが、祓ってもらったので文句は言えません。
おお、いなくなった(^0^)
ほっとして、またただひたすらお寺に向かって歩き出します。景色は焼け野原、焼け焦げたたくさんの人が相変わらず視えます。なんだかここ、火事があったみたいだよと歩きながら夫に話していました。
しばらく歩くと山の中へと進み、空海さまの像があり、そこで休憩。
休憩では、道すがら施しをくださる方がたくさんいて、だいたいそれがおやつになります。今日は宿泊所のおばさんがくれた大事なミカンがおやつです。
それはもう楽しみにしていたミカン。食べようと皮をむくと中がからっからに干からびていました。ミカンの皮はとても麗しくツヤツヤなのですが、中身の水分が全くなくなっています。ミイラです。
・・・・('ω')?
どうも、さっきの黒いのに食われたらしいと感じました。心霊現象(物理)です。私はショックで怒り出しました。
楽しみにしていた休憩に何をしてくれんだという気持ちです。しばらく怒っていた私は、夫からミカンを半分もらい、なだめられ、仕方なくまた歩き出しました。
そしてようやく12番目のお寺に到着。
そこは『焼山寺』という名前。山火事でなくなった人のための弔いのためのお寺です。
そうであったか。という気分です。
おそらくですが、お遍路の旅人は、先ほどのような、山火事で亡くなった人の霊を乗せてこのお寺に連れてくる役目もあるようだと感じました。お遍路道中には、廃村の脇道を通ったりといたるところにそんな感じの霊的仕組みが施されているのです。
後日、帰ってきてこの話をお遍路を勧めてくれた人に話すと
「いいことしましたね。」と言われ、私はそこでようやくみかん食べられて激怒している場合じゃなかったことに気づきました。
そう。徳を積むタイミングだったのです。
余りに普通に霊と過ごしている人生なので、自分の霊との関わり方がとても雑だとようやく気づいたのでした。
だいぶ残念な気づきでした。
続く。