霊の話 9 自ら命を絶つということ
私のもとにやってくる霊のタイプではありませんが、ご質問があったので私が知っているものをいくつか。
ただ、自死でも人によって様々なパターンがあるので、これからお話することばかりではないと思っていてください。
霊の話7でお話をしましたが、人は亡くなっても意識は連続性を持っています。
人は自死を選ぶ時、現実で生きているよりも死んでしまったほうが楽だと考えるのだと思います。
ですが、自死をした人はその時の心の状態のまま肉体を失うので、意識だけが残り、苦しみが終わらない事に驚きます。
そして、生きている人のように、時間というものをかけて様々な問題と向き合い、痛みを強さに変え、人生に光を取り戻すという事がほぼできなくなります。いつしか痛みの固まりのようなものになっていきます。
この話は以前関わったケースなのですが、どうしようもないほどの強い渇望を抱えた人が肉体を失うと、渇望に囚われ、渇望という自分の意識世界へ自我意識が落ち込んでいくような感じになります。肉体を失う前の感覚は消えることがないのです。
渇望という一番強い感情しか感じられなくなっているように見えます。外界から何も受け取れなくなり、学べなくなり、癒されることもなくなり、渇望を手放したくて肉体を手放す選択をしたのに、逆に渇望の海に溺れたような状態になり、苦しみそのものへと変化していきます。
これは仕事にしていた時にたまたま出会ったケースなので、たくさん見たわけではありませんが、地獄というのは、霊魂が向かう世界ではなく、こんな感じで、霊になった人が自分で創り出した意識世界に閉じ込められたことをいうのかなと当時思いました。
また、苦しみが比較的軽度であったり、亡くなる事で問題が解決したり、病気などで余命が宣告されていて、自分でタイミングを決めたという感じの場合は時間は必要ですが成仏することがほとんどです。
自分で命を絶った人が成仏する場合は、自分の感情に飲み込まれることのなかった霊が、死ってこんな状態なの?と、しばらく戸惑った後、時間をかけて生と死に向き合った結果、なんとなく何かを悟ったり何かを受け入れた様な状態になった時になります。このプロセスは事故の方とあまり変わりありません。
人生に納得し、悔やむことも手放し、死を受け入れるというところまで意識が向かった霊は自死であっても普通に成仏する感じです。
ただ、人生のシナリオを途中で中断してしまうので、生きていたら、人生の痛みを乗り越えた先に、誰かと出会って信頼関係を持ち、何かを共同で創り出したり、社会貢献したり、幸せになったりする予定の人たちとの約束を全部キャンセルしてしまうので、おそらくその後も大きなカルマを抱えて大変なんだろうなと感じます。
人生にはシナリオがあり、サイクルがあるので、いつしか痛みからは抜けられる様になっています。
その痛みが永遠のように感じて絶望してしまうこともわかりますが、それでも、全ての人に生を選択し続けてほしいなと願わずにはいられません。果てしなく続く悲しみや痛みの中にいる霊たちは報われることがないからです。
もし、自死をした方が身内にいる場合は、宗派関係なく、護摩祈祷が一番強力なご供養になると感じます。一度だけではなく、定期的にご供養してあげてください。
なんとなくその方の不在が気にならなくなった頃、その方は上がったのだという事になります。
人は死にたくなるほどの苦しみを経験することがありますが、私たちは生きているからこそ光を取り戻すことができるようになっています。
続く。