霊の話 2 お寺の孫
私の母方の家系はお寺の住職の家系になり、比較的霊的なことは受け入れられている家でした。
私の幼少期、当時祖父は住職だったのですが、境内で普通に火の玉を目撃する人だったらしく、火の玉が見えると必ず、
「明日、檀家さんの誰かがなくなるから葬式の用意を。」
と、言っていました。
そしてそれは外れたことがありませんでした。
私が3歳位の頃は、よく、中空をじっと眺めていたり、お寺の壁に向かって何かを話し込んでいるような子供だったそうです。
なんとなく壁に話しかけている記憶は残っていて、壁の向こうには年配の女性がいて、その霊は仲の良い友人だったような記憶があります。
祖父の家、お寺に行くたびに楽しく話していたのをうっすら覚えています。今思うと、その記憶は私の中でとても不思議な記憶で、その霊は私と何をしていたのだろう?と思うのです。子どもと熱心にお話をする年配の女性。年配の女性から見れば私は決して対等ではありません。私からすれば友人のように感じますが、どう考えても、子守りをしていてくれたとしか思えないのです。
霊には優しい霊もたくさんいます。子守をしてくれる霊にはその霊以外に会ったことはありませんが、私の幼少期は、そんな感じで霊は当たり前の友達だったようでした。
私の中には、霊が好き という感覚さえあります(^-^)。
今思えば、幼な過ぎて、人と霊の区別がついていなかったのかなとも思いますが、私にとっては、とても大切な人達だったのだと思います。私の中には、その女性がとても大好きで会うのが楽しみだった感覚と、壁の中の女性のぼんやりしたイメージだけ残っているのです。
そして、
当時の幼少期の私の口からよく出てくる言葉は、
「にーのにーの ちんドン」という言葉でした。
大分大人になってから親戚に
「ずっと唱えていたのだけれど、覚えてる?」
と聞かれたので思い出したのですが、
おそらく、にーのにーの は祖父の読経の真似。
ちんドンは、鈴と木魚の音かと。
祖父が読経で霊を成仏させているのを見ていて、子供なりにそれをやってあげたかったのだろうと思うのです。霊の上がる瞬間の、幸せそうな顔を見て、良い事だと学んだのだと思います。
そしてそれはいまだに続き、霊を見かけると話しかけたくなり、上げてあげたいと思うのでした。