拝啓、
皆さま、相変わらず世の中はご覧の有様ですがいかがお過ごしでしょうか。
わたしの近況としましては、「2021年の運勢」では12年に1度の幸運な年と言われていたにもかかわらず、1/1から上司と喧嘩するわ、外部向けの資料作成が数件団子になって押し寄せるわ、1月半ばからは仕事場がてんやわんやになり終了のお知らせが自分の中で何度もアナウンスされるわ…と、まずまずの忙しさでした。そして極め付けに、去年から体調を崩していた祖父が2月に亡くなった。最悪です。今までの人生の中で最もと言っていいほど最悪な日々でした。
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祖父は享年95歳で結果としては大往生だったのですが、コロナ禍において入院や施設での面会はごく限られており。しょうがないこととは理解しつつも、あんなに自信のあった体力も回復せず、せん妄から認知面の低下もあり状況を把握しきれない祖父の寂しさや不安を思うと、今でも悲しくなってしまうようなさいごの日々でした。
もともと私と祖父とは非常に仲良しで、コロナが流行するまでは月1回は会いに行って車で買い物に連れて行ったり、一緒にご飯を食べたり、彼の好きな相撲やゴルフを観ながらわーわー話したりしていました。私が一番下の孫ということもあり、祖父には小さい頃から可愛がってもらったし、子供好きな彼には本当にたくさん楽しい思い出を与えてもらった。父との関係があまり良くない私にとって、祖父以上の存在でもあったと思います。
今回、そういう血縁的にもココロ的にも近しい人を無くして、死が悲しいものだと初めて知りました。職業柄、散々人の死を目の当たりにしておきながら、今まで人の死について、または人の死に悲しんでいる人の気持ちについて、何も知らなかったということも実感し愕然としました。何も知らなすぎて、自分の感情の波やその行方、向かう場所、どのように行動すべきなのか分からず終始まごまごしていた。まごまごしていたらそのうち全てがゼロになってしまい、ジャングルから荒波に乗って荒野に放り出され、気付けば元通り働いているように見えて、地面からは数センチ浮いているような感覚。そんな感じで四十九日が過ぎていきました。
人生の数だけ人の死が様々ある中で、祖父の死は決して不幸ではなかったけれど、コロナ禍という状況が幾分か彼のさいごの日々の暖かさを奪ったのも事実。でもきっと大多数は、人も動物として、鳥が森の中で死ぬように、獣が草の中で朽ちるように、ただただ死を迎え入れるのだなと思いました。
なにせ彼の死に際し思うことがたくさんあった。人のさいごに直面したときの個人的な感覚などを自分の記録として残しておきたく、気が向いたときにぽつぽつと所感を書き連ねたい所存です。