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藤原道長の「この世をば・・・」の歌を詠まれた日 学習院大学文学部史学科 鐘江宏之先生
貴族がなぜ日記を書いたのか
それは儀式のマニュアルとして先例を子孫に残すため
間空き暦 自筆本 道長の記録が残っている
漢文で書かれた それを読み下し文にしたもので当時の貴族の生活が分かる
藤原実資の日記から事細かに当時の貴族たちのことが分かる
特に、藤原道長に関する記述の多いのが『小右記』である
寛仁二年十月十六日、この日一日だけでもこの膨大な量の日記
原文を書き下し文で読んでみるがその詳細なこと!
大河ドラマでも奥さんにそれは日記に書いておきなさいと言われている
あのロバート秋山は実資のイメージとは少し違う 自分が話を聞くのが面倒くさくて夫に日記を勧めているだけの妻というわけでもなかったのだろう
道長に関するある一日が事細かに記されている
よほどの記憶力か、仕事中にメモをとっていたかのどちらかだろう
あのおごり高ぶった歌として有名な望月の…も、実際には参加者の皆がぐでんぐでんに酔っぱらっていた状況で詠まれたことがこの日記から分かる
まずは一献そして二、三 さらにもっと…
このころの飲み方は回し飲みであり、通常三回程度で終わるそれが
6回くらいまで続いたのであれば、場は相当な状況になるだろう
そこで道長が詠んだのがこの歌である
この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば
酔っ払いに酔っぱらって、本音がでたのかもしれない
返歌もないほどに素晴らしい歌だと皆は言い、返歌なしに
この句を繰り返し詠んだらしい