それでも私は、エメトセルクという人が好きだ
※まず始めに、この記事では「FINAL FANTASY XIV 漆黒のヴィランズ」と「暁月のフィナーレ」のネタバレを含みます。
まだプレイ中の方、クリアされていない方は記事を読まれない方が良いと思います。
ぜひクリアされてからいつか目に通していただけると嬉しいです。
貴方の旅路が良いものでありますように。
さて、この記事を書き始めているのが1/4です。
公式から暁月に関するネタバレ解禁のお知らせが来たので、
自分の気持ちをせっかくなのでまとめておこうと、いそいそとこの記事を書いている所存です。
いつ書き終わるか分からんし、何なら上手くまとまるか分からんし。
もっと時間が経った頃に読み直したら何だこの文と自分にキレ散らかす可能性もあるし。
でもどうにか形には残しておきたいのでいそいそと頑張っています。
読みづらかったらごめんね。
書きたい事はタイトルが全て語ってしまってるんですが。
エメトセルクが好きなんです。とにかく。
漆黒の時から既に沼に堕ちていたんですが、暁月で更に拗らせてしまったオタクです。
凄く、良いキャラクターじゃないですか。彼。
あれだけ人気があるのも頷けるというか。
漆黒の去り際も、助けてくれるタイミングも、何もかも絶妙だったじゃないですか。
憎めない敵というか。
でも暁月まで経ても、大前提があって。
エメトセルクが、アシエン達が奪ってきた命って、途方もない数だということは忘れてはいけないという事。
私達プレイヤーは、ヒカセンは、暁月まで通して古代人を襲った悲劇を見てきたじゃないですか。
彼等はただ、自分達の世界を取り戻したかったという純粋な願いがあったのを知ってしまって。
でも。それでも、途方もない数の命が失われてる。
霊災は物語の中で7回起きている。
7つの世界が失われている。
古代の人々の命が少しずつ戻っていく代わりに、
誰かの命が奪われていっている。
どれだけ命を助けてくれても、
ほんの少し認めてくれても、
ほんの少し歩み寄ってくれても。
その事実はどうあっても忘れてはいけない事だと思う。
そういう経緯があるから、多分中にはエメトセルクを信用できないだろうし、好きじゃない方もいるでしょう。
私はそういう人達の想いを否定したくない。
だって分かります。
だって、アシエン達が居なければ。
蒼天で盟友が命を失う事は無かったかもしれないでしょう。
帝国も興る事がなくて、もっと違う形の国になっていたかもしれないし、紅蓮で対峙した彼女がいなくなる事も無かったかもしれない。
もっともっと、物語は違う形になっていたかもしれない。
失われた命の数を想えば、彼等に反対の想いを抱く人ももちろんいるでしょう。
それもまた、彼等との向き合い方の1つだと私は思います。
暁月をクリアしてから、私は色んな人の感想や考察や想いを読んだ。
何度も何度も読み込んで咀嚼して納得した。
どの想いも考えも正しくて、
正しいからこそ私も何度も迷った。
段々苦しくなってきて、どうしてこのキャラクターの事を好きになってしまったんだろうと思うぐらいに迷った。
良い人だからたくさんの命を奪った事は許されるのか?
最後に認めてくれたから許して良いのか?
助けてくれたから許して良いのか?
それでも私は思うのだ。
きっとエメトセルクというキャラクターは、
「それがどうした」
と回答する人だと。
自分がどれだけ「悪」だと罵られても、
「許さない」
と断罪されても。
「それがどうした」
と返す強さを持った人だ。
なぜならそれだけの信念を持っていたし、
それだけの覚悟を持てる程愛した世界があった人だから。
自分の正しさを信じているから悪に徹する事ができるし、
自分の正しさを信じているからこそ、
ウルティマ・トゥーレでヒカセンに言ったのだ。
「何より、お前たちが進む未来は、私の愛した過去じゃない。 だからこそお前たちと本気で、命を懸けて戦ったんだ。」
「その結果ならば、敗北であれ、覆すものか」
「間違っても哀れんでくれるなよ」
と。
エメトセルクは、自分の愛する世界の為に、
自分の愛した過去の為に、「役割」を演じきった人だ。
だから、もし自分を悪だと指摘するのならば、自分達の正解を私にぶつければ良いと多分言えてしまう人だ。
例えて言うならば、暁月でゼノスがユルスに自分自身の信念を語ったのと同じように。
結局ここまで書いたけれど、上手くまとまってないけれど。
私はエメトセルクが好きだ。
多くの命を、世界を奪った事実は消えない。
彼の、アシエンの行動で世界に混乱が起こった事実は消えない。
失われないかもしれなかった命があった事実は消えない。
それでも好きだ。
だって楽しかった。
漆黒でしつこいと言われるぐらい話しかけるのも。
暁月で、エルピスで共闘できたのも。
だって嬉しかった。
漆黒ラストで、ほんの少し認めてくれたこと。
あの時はまだ、ヒカセンが「アゼムの魂を持つ人」だから認めてくれたと思っていた。
彼が助けてるのはあくまで「アゼム」の為だと思ってた。
それでも良いから嬉しかった。
暁月のウルティマ・トゥーレで、ほんの少し認めてくれたこと。
でも暁月では、「ヒカセン自身」を見てくれてた事。
「アゼム」だった人ではなくて、今を生きる人として見てくれた事。
その事実がたまらなく嬉しいのだ。
だから寂しくて仕方がない。
もう今度こそ会えないのだ。
あの嫌味を聞くことができないのだ。
疲れたような猫背も見ることができないのだ。
私というプレイヤーは、
結局誰よりも推しとなった自機ヒカセンは、
もうエメトセルクと会えないのだ。
私達は今度こそ、お別れをしたのだ。
最後に。
「覚えている」
というのは
「見聞きしたことを心に留めておく」
という意味合いがあります。
類義語として
「忘れない」があると思いますが、こっちは
「その関する記憶が無くならない様」
というのが一般的な意味合いだそうです。
漆黒5.0のラストで彼は言いましたね。
「ならば、覚えていろ」
「私達は……確かに生きていたんだ」
どうして彼は
「覚えていろ」
そう言ったのか。
「ならば、忘れるな」
でも良かったはず。
「覚えていろ」
なんです。彼がヒカセンに言ったのは。
上記の違いを想えば、
「覚えていろ」
という言葉が選ばれた理由が何となく分かるような気がしますね。
もちろん、これは私の勝手な、想像だけどね
最期まで読みづらかっただろうけど、
読んでくれた貴方へ。
ありったけのありがとうを。
ここまでの文は私自身の想いです。
だからどうか、貴方が抱いた想いは捨てないでください。
それはきっと、貴方がエオルゼアで抱いた想いですから。
答えはヒカセンの数だけあるのです。
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