仕事の原点 2006年度講師時代8 「息と書いて、自分の心」

日記から引用してきました。

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昨日今日は本当に重かった。
前任者の専科の先生が怪我で検査入院したのが先週の火曜日。

自信のない音楽。誰に聞くこともできない。
校長に聞いても教頭に聞いても「わたし、わからない・・・」「ぼくはわからないから」

5、6年の子どもにはピアノを習っている子どももいて、ウチより絶対音楽を知っている。
ウチは知らない。
だから、「あの先生大丈夫?」なんて思われているんじゃないかって思っていた。

だけど、ウチは専科。
音楽の先生。
「音楽なんてわからない」なんて口が裂けても言えない。
教師としての建前あるし、建前があって初めて通る指導もある。
音楽の授業で子どもがざわつく。
だめだ、ウチのまずい授業のせいだ。
子どもにごめんって謝りたい。
ウチは君たちの音楽の何を見てやれるんだろう。。。
まじ御免。

そんな気持ちが水曜日、木曜日と授業を重ねるうちに自分に重くのしかかっていた。

東京から帰ってきて、日曜日も夜2時まで起きて、あーだこーだ音楽の授業を悩んでた。

月曜日。5年生。必死に本を読んで考えたことを実践する。
少し形にはなったけど、自信なし。

高学年の歌唱のときって大体歌わない。口を開けない。開けても小さい。でも、何か熱中する授業すれば変わるって信じてやってきた。でも、大して今のところ変わらなかった。

ウチは前の小学校でお世話になった音楽専科の先生に昨日電話した。その先生はこの●●市で音楽第一人者と言われている先生なのだ。

ウチはそこで少し気付かされた。
言われた。
「わたしがcalionさんの立場で2月からの残り2ヶ月でやっても難しいわ」
この一言でなんか救われた気がした。
「歌はこころだよ」「息と書いて自分の心だよ」
「わたしは子ども達に『自分達の前に自分を映す鏡があると思ってごらん』ってよく言うわ」
「音楽は特に子どもとの信頼関係がないと難しいよ」
「calionさんがまずさ、子ども達とよく関わることやわ。空きの時間を使ったりしてさ、出来ればcalionさんが苦手な子どもとよく話してさ、信頼関係できたらさ子どもたちにきっとcalionさんの一生懸命さは子ども達に伝わるんじゃないかな」

ちょっと自分に抜けていたかな。
子どもに精神論とかあまり響かないと思っていたし、説教臭いことあんまり好きではないので、「どうかなぁ?」って思った。でも、今日実践して通じた子は確かにいたように思います。

あと、音楽に自信がない故にウチは本を読んでスキルにこだわりすぎていたということもあるかな。
まったく不必要ではないけど偏りすぎてる面はあるかな。
今日2、3時間目の間のロング休みで6年生の教室に「こんにちは~!」と入っていった。
ウチがまだ扱いなれていない子どもは教室にはいなかったけど、女の子たちがCDデッキの前で音楽を聴いてたまり場を作っていたので行ってみて「何してんの?」と絡んでいくとどうやらある女の子が焼いてきたCDをみなで聞いているんだって!

ウォーターボーイズのサントラとか色々ありました。

今日の6年生の音楽は何だか心の面で一歩冷静になれる自分がいて、よく子どもが見えました。
専科なんだから「授業(だけ)で勝負!」「音楽ができないと子ども達に言わない」という固定観念を少し吹っ切れたような気がします。

子どもと話すって大事ね。
最近、イチローの本「イチロー思考」という本を読んでいて、弱音を吐くことがイチローの中でありえないみたいな完璧主義的なことが散りばめられている本を読んでいるので、これも多少は自分に影響を与えていると思います。

明日もcalionは頑張る!

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教育技術に走る当時の自分。

その教育技術は自分で開発したものではなく、人の真似。

真似は大事だ。否定するつもりはありません。

大切なのは、教育技術に心底納得して使っているのかという点です。

メッキは剥がれても貼り続ければ本物になると私は思います。

貼り続けるだけの納得感が自分にあれば。

子どもたちがどういう姿になればいいと思っているのか。

その具体的イメージがあるのか、ないのか。

それ以外の教育技術はないのか。

今も問わなければいけない問題です。
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