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提出しなければならないプリントをくしゃくしゃにせずに持って帰れたことがない

提出しなければならないプリントをくしゃくしゃにせずに持って帰れたことがない。ちゃんと母親に渡し期限以内に出すことはもっと難しかった。机の中でくしゃくしゃになった宿題のプリントを握ってもっとくしゃくしゃにしながらそんなものは知りませんという顔で乗り切ろうとしたことは数知れない。いっそ本当に知らなければもっと堂々としていたのだろうけれど、みんなが出すプリントにはいつも見覚えがあり、いつ先生や同級生に「ほんまは覚えてるやろ」と言われるか気が気ではなかった。みんなが順番に同じノートやプリントをまとめ出すと視界の端がじわじわと暗くなり追い詰められる心地がした。惨めな気持ちで机の更に奥にプリントを押し込んで、いっそこのまま消えて無くなってくれないかと教科書でぐいぐい押したりした。机の中は実は異次元に繋がっていて、亜空間に飛んでいくプリントを夢想したりもした。いっそ芸術的なほどぺっちゃんこになったプリントが出来上がるだけだった。プリントをいかにぺっちゃんこにするかの選手権があれば、そこそこ良いところまで行ったはずだ。と現実逃避したところでそんなだらしなさの象徴が何か特別な輝きを持ち始めるはずはなく、圧倒的情けなさで机を重く重くしていた。
そういえばその重させいで掃除の時間にやたらと気を張っていたことも思い出す。
私の通っていた小学校では自分の机を後ろに下げた後、箒係が床を掃き、ぞうきん係が床を拭く。それが終わると掃除器具を片付けた者から順に机を戻すのだが、係によっては時間がかかるので、みんな目についた机から戻していく。だが、私は自分の机を人に触れさせるわけにはいかなかった。圧縮されたプリントが大量に入っているためめちゃくちゃ重かったからだ。持った瞬間にもう「こいつやってんな」というのがバレる。万が一バレなくてもあまりの重さに机を運んでいる人が転倒してしまうかもしれない。そして倒れた机から出てくる大量の圧縮プリント。狼狽える私の傍らを走り抜け「ブラーボゥ!」と担任の圧神紙良(あつがみ かみよ)が叫ぶ。そう、今まで隠していたが紙良こそ世界プリントぺっちゃんこ選手権永年名誉審査員だったのだ。
嘘だ。私にそんな変に意味合いの強い名を持つ担任はいなかった。(もし本当に紙良が私の担任だったら今の私はもう少し自信に溢れ明るかったかもしれないけれど……いや、そんな斜め上の承認など集めても傲慢になるだけかもしれない。担任が紙良ではなくて良かった。本当に)
とにかく、私は確実に自分の机を自分で運ぶため、席が前側の時は先に業務を終える箒係を死守し、余裕を持って自分の机を運び続けた。自分の机を運ぶことに躍起になって掃除を蔑ろにしたりは絶対にしなかったし、掃除の時間になると飛んで教室に戻るので綺麗好きだと思われていた。違います。自分のだらしなさを恥じているだけです。と心の中で謝りながら、やたらと丁寧に床を掃いた。プリントはくしゃくしゃにして溜めるくせに、塵取りと床の間にいつまでも線になって残る塵は気になる子どもだった。
そうだ。この変な完璧主義こそ私が母にプリントを渡せない原因だった。
いくらだらしない私だっていつもプリントを机に忘れて帰っていたわけではない。半分かそれ以上はちゃんと折れないように教科書の間に綺麗に重ねて家まで持って帰っていた。だけど、家に着いて鞄を開けてプリントを出してみると、角が斜めに折れていたり、折れるまでいかないにしてもなんとなくヨレた跡がついていたりするのだ。私はそれが許せなかった。少しでも形の崩れたものはプリントではなくだらしないゴミに思えたのだ。私は恥ずかしくなって母にプリントはないと言う。小さく畳んで畳んで机の奥に隠して無かったことにする。机は異次元に繋がっているからいつかどこかに消えてくれるはずだと祈りに似た望みを託して引き出しを閉める。あの頃の自分に会えたら優先順位が違うよと言ってあげたい。それ、後でめっちゃ怒られるで。とも。
今、私の目の前の机には期限の迫った書類が数枚乗っている。私はいつのまにか跡のついてしまった角を指でいじくり回しながら、スマートフォンでこの文章を打っている。なんとか綺麗に伸びないかな、と触ることで余計に汚くなることも分かっているのにやめられない。だが、大人になった私はもう優先順位が分かるのでこのプリントを小さく折って隠して無かったことにはしない。ちゃんと期限通りに役所に出す。どうもすいません、と薄ら笑いで許しを乞いながら。
そういえば、私があの時頑なに「そんなプリントは知らんぞ」という態度を貫いていたのは、自分の情けなさを申し訳なさそうにすることで許して貰おうとするのは卑しいことだと思っていたからだった。
だらしなくも誇り高く優先順位のバグった私。その完璧主義も高潔さも歳を重ねるにつれてずいぶん削られたように思う。残ったのはなけなしの優先順位とだらしなさ。これではきっと、これからもプリントは綺麗に持って帰れない。

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