「刑法研究者が作った論証パターン」感想
法学セミナー839号(2024年)の特集「刑法研究者が作った論証パターン」が話題なので、早速読んでみた。全体として、実行の着手や、共同正犯論など、新たな議論動向(進捗度説、共謀共同正犯と実行共同正犯の区別論等)も踏まえつつ、答案に落とし込みやすい解説となっており、理論面でも概ね共感を覚える箇所が多かった。個人的には、「故意責任の本質」の論証のような、「ネタ」でしかない無意味な呪文を、真面目に暗記して、答案に書いてしまう受験生が未だに存在することを憂いていたので、これにとどめを刺した(は言い過ぎか)点は、歓迎できる。他方、読んでいて気になる箇所もあったので、以下、雑駁ながら個人的メモを兼ねて、各項目ごとに感想を述べておきたい。
不作為犯の論証パターン(松尾)
不作為が実行行為たりうるかどうかというお決まりの論証がいらないというのは全く同感で、不作為犯の処罰が罪刑法定主義に反しないことの説明の方が重要というのはその通りだと思う。ただ、この点を「論証パターン」として毎回書くべきかは疑問もある。少なくとも199条については、不真正不作為犯を認めることが罪刑法定主義に反しないことは定説なので、ここは省略して、作為義務の有無の判断基準と当てはめに注力するのも戦略としてありではないかと思う。
作為義務の判断基準については、おそらく大塚『応用刑法Ⅰ』の影響もあり、「排他的支配+α(保護の引受けor先行行為)」と規範定立する答案が最近増えている印象があるが、「排他的支配」を全ての事例で必須とするのは過剰で、無理にこれを認定しようとすると、かえって歪な当てはめになるので(排他的支配を緩やかに理解すれば説明はつくが、必須の要件としながらその内容を薄めるくらいなら、最初から必須の要件にしなければいいのに、と思う)、個人的には、排他的支配も総合考慮の一要素とする、松尾論証パターンに全面的に賛同したい。
因果関係の論証パターン(大関)
行為時の特殊事情類型については、危険の現実化説を採るとしても、判断規底をどう設定するかにより結論が変わるので、その部分の理由づけがないと説得力がないと思っている。この点、客観説・折衷説双方の論パが整理されているのは有益だろう。特に、受験生の答案では、「客観的な全事情を基礎とする」という結論しか示されておらず、その理由が示されていないことが多いので、【論パ2-1】で示されている、因果関係は客観的な要件であるという視点+素因によるリスク負担の公平性という実質論の併用という理由づけは参考になるだろう。なお、「総合考慮モデル」からは、判断基底論が問題にならないという分析は理論的に重要だが、答案は書きにくいと思う。行為時の特殊事情類型に関する限りは、判断規底をどう設定するかという問題を提起して、論証する方が、理解をアピールしやすいだろう。受験生的には、同一論点につき複数のモデルからの論証を全部頭に入れる実益は乏しいので、ここは危険包摂モデルに立ち、且つ判例をとの整合を意識するなら、客観説に立つ(つまり【論パ2-1】の)論証を押さえるのが分かりやすい。
他方で、行為後の介在事情類型は、そもそも「論証パターン」が必要なのか、個人的には疑問がある。この類型は、事案の特性に応じた当てはめが勝負どころなので、パターン化された論証を貼り付ける暇があるなら、それを当てはめの評価で見せた方がいい気がする。ただ、これをいうと企画倒れになってしまうということだろう。
細かい点だが、故意作為犯の事例では、「問題提起の中で条件関係の存在を確認すれば足り」るという指摘(11頁)は、個人的にも全くその通りだと思っている。指導者によっては、法的因果関係を検討する前提として、条件関係の有無を常に確認すべき、と教える者もあるようだが、少なくとも法的因果関係が争点になっている事例では、検討の実益が乏しく、その割に時間を食うので、問題提起の中で前提として指摘する書き方が合理的だろう。
方法の錯誤(樋口)
冒頭でも書いたが、反規範的人格態度は、「理解を伴わない丸暗記という印象を強く与える」(15頁)という指摘に完全に同感である。そもそも、客観と主観で構成要件が符合する場合に故意責任が認められることは、具体的符合説を含めてコンセンサスが得られているのだから、そのことを故意責任の本質に遡って論証する必要は全くない。受験生としては、判例(法定的符合説)と通説(具体的符合説)で考え方が分かれる部分、つまり、構成要件をどこまで抽象化して良いか、という点の論証にこそ注力すべきであろう。
ただ、樋口【論パ】は、そのままトレースするには長くないか(そもそも、これを論証パターンと呼ぶのか?)という疑問がある。これは、「論証パターン」というより、一つの「解答例」と呼ぶ方が適切な気がする。これを丸暗記させて、方法の錯誤の事例で毎回暗唱されても、それはそれで頭が痛くなる気がする。
【論パ】の内容について、「(反対説は)結論が妥当とは思われない」という理由づけの適否については、意見が分かれると思った。理論的決定打がない中では、結論の妥当性から立場を選択することは許される、という樋口の指摘は尤もと思う反面、答案の理由づけとして、それを書いても、説得的な論証とは評価されないリスクがあろう(具体的符合説からすれば、本来過失犯にすべき事例を、人という範囲で構成要件を抽象化させて、故意を無限に増殖させる法定的符合説こそ、結論が妥当とは思われないわけで、結局水掛け論にしかならない)。「また〜」の一文はカットしても、司法試験の答案としては十分に成立していると思う。
なお、野暮な指摘だとは思うが、狙っていない被害者に故意を認めておきながら、そのことを「量刑で十分に斟酌」する必要性があるというなら、結局、法定的符合説には、結論の妥当性にも疑いがあることを、自白しているようなものではないか。
実行の着手(佐藤)
本人も「大胆な提案」(41頁)と自認するが、不能犯と実行の着手をいずれも危険性の問題(表裏)と扱う伝統的な通説(一元的アプローチ)ではなく、両者を全く別次元の問題とする佐藤自身の見解(二元的アプローチ)を前提とした論証パターンが採用されており、その部分の賛否は分かれそうな印象を持った。実行の着手の規範定立で、「危険性」というワードが全く用いられていないことには、戸惑う人も多そう。ただ、結果への近さという意味で「危険」という言葉を使うか、それを進捗度というかは、単なる言葉の違いに過ぎないと考えれば、十分乗っかれる論証パターンと思われる(本人からは、そのような危険性理解は「後付け的な発想」(42頁)と批判されてしまうだろうが)
むしろ、実行の着手については、「各論的論証パターン」が重要と説く点は、革新的であり、個人的には本特集の中でも一番膝を打って感心した部分である。ありがちな「危険性+密接性」という抽象的な基準からの、一足飛びな当てはめは、どうしても恣意的な印象になりやすく(規範のあてはめ規律力が弱い、ということだろう)、どうにかならないかと悩んでいたが、佐藤論証パターンは、今後導きの光なると思われる。各考慮要素の重みづけなど、気になる点は残るが、それは今後の課題ということだろう。
ただ、詐欺の実行の着手については、特に、交付要求を伴う嘘がない場合に、実行の着手を認めうるかどうか、解釈論のレベルで見解が対立するところ、その点の理論構成(①欺罔行為を交付要求を伴う嘘に限定しつつ、そこからの前倒しを認めるか、②欺罔行為の開始を必要としつつ、欺罔行為というために交付要求を必須でないとするか)や理由づけは、論証パターンに含めないのか、少し気になった。
共同正犯(豊田)
本記事で直接言及されていないが、多くの受験生の答案で、共同正犯が問題になるたびに「そもそも共同正犯の処罰根拠は〜(「結果への因果性」とか「相互利用補充関係」とかが続く)」という、謎のお膳立てからスタートするのが気になっていた。殺人罪を論じるときに、いちいち「そもそも殺人罪の処罰根拠は〜」などと書かないのだから、共同正犯でも、端的に(条文を解釈した結果導かれる)要件の定立から入ればいいのに、と思う。この点、豊田論パでも、基本的には、共同正犯の成立要件を端的に示すところから始めて、各要件の具体的な中身を説明するような構造になっており、受験生にも乗りやすいと思う。
実行共同正犯と共謀共同正犯で要件(特に、意思連絡の内容や程度)を区別する近時の有力説の理解(2本立て構成)を、しれっと「構成その2」で紹介している点は面白い。個人的には、この有力説の発想に乗り切れないところだが、その他の構成に立つ場合、「詐欺グループとの一体性や正犯意思を認定しがたい受け子」が実務上、共同正犯になっていることをどう説明するのか、という問題(23頁注19)は、考えておく価値があろう。
「構成その3」は、そもそもそのような教え方や理解が、どこまで一般に浸透しているか個人的には疑問だった。「因果性」自体を独立の要件のように扱う答案は、少なくとも自分は見たことがない。無論、要件の整理に正解があるわけではないが、「構成その3」をあえて採用するメリットは乏しい気がする。受験生としては、あまり多くの構成を頭に入れても仕方がないので、結局のところ、オーソドックスな「構成その1」を覚えて、事案に応じてメリハリのある検討をするのが最適と思われる。
不法領得の意思(十河)
「論証パターン」云々より、所有者的支配説の解説が明快でとても勉強になった。利用処分意思(「直接」効用を享受する意思があるか)基準だと、事例によっては言い方次第で肯定とも否定とも言えてしまう事例が結構あり(刑務所服役目的事例とか)、まさに「具体的帰結をめぐって混沌とした状況」(27頁)なので、所有者的支配説というのは、受験生にとっても新たな選択肢になると思う(「自己の財産に組み込む」意思という基準が、明確かどうかはさておき)。ただ、答案で自説として採用するにはまだ早く、かなり勇気がいるかなという感じもする。
不法領得の意思の論証としては、受験生の答案では、「使用窃盗との区別から」あるいは「毀棄隠匿罪との区別から」の一文で済ませるものも多く、どこまでの分量を論じるかは悩ましいと感じる。個人的には、少なくとも不法領得の意思が争点となる事例では、十河提案の論パくらいの説明が欲しいと感じる(逆に、争点にならない事例では、理由づけ自体も不要だろう)が、結局はあてはめが肝心だと考えると、常に毎回これを書くのが現実的か、という点は、一考の余地もありそう。
詐欺罪における欺罔行為(冨川)
個人的に、欺罔行為の定義について、①「交付に向けた」という要素は、②「交付判断の基礎となる重要な事項」というフレーズに含まれているともいえるから、①を独立に定義に盛り込む必要はないんじゃないか、という極めてニッチな疑問を持っていたが、31頁注9にて、現状では、「交付判断の基礎となる重要な事項」フレーズに、窃盗との区別機能まで盛り込む理解が浸透しておらず、誤解を生むリスクがあるとの分析が示されており、説明が周到だなあと思った。
重要事項性については、主観的な重要性(交付との因果性)や客観的な重要性をただ漫然と当てはめる答案が多い印象を持っているが、あてはめを行う前提として、重要事項性に何を盛り込むかを、理由とともに論じる必要があると常々思っていたので、その点で、冨川論パはいずれも(覚えるのに少し根気はいるが)参考になると思われる。ただ、重要事項性を、因果性のみで判断する冨川説(であり、実は「伝統的」とされる見解)は、一つの選択肢ではあるものの、当てはめが簡素になる(31頁)点で、受験生にはややリスクが伴いそう。経済的損失に限定する立場や客観的重要性を要求する立場との対立を意識しつつ、自説を理由づけられれば何の問題もないと思うが、そのためには、まさに冨川論パを正確に頭に入れる必要があろう。
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