将棋盤の効用

重い仕事が続いているので、合間の気晴らしに少し書いてみる。

私は7歳の時に父から将棋を教わり「なんて面白いんだ」とのめり込み、以来40年にわたって親しんでいる。高校大学は将棋部で過ごし、いまも社団戦・職団戦への出場を欠かさない。『将棋世界』を定期購読し、対局中継は日々凝視している。

ところが私の子どもたちはというと、ルールを教えても反応が薄く「ふーん」といった具合だった。長男など、勉強が得意で私に似たところも多いくせに、将棋だけが響かない。「初心者に教えるときはとにかく負け続けてください」という北尾まどか先生の教えは忠実に守った。それでも、子どもたちはどこかに私の押しつけがましさを感じたのかもしれない。

将棋を教えることをあきらめてから、年月が過ぎた。

中学生になった長男が友達を家に呼ぶことが増えた。すると意外にも皆で将棋を始めるのだ。どうやら居間にある四寸盤が目新しく、触れてみたいと思うらしい。盤の前にあぐらをかき、駒箱から取り出したツゲ駒をぺちぺちと打ちつけていく。対局する二人も、見ている他の子も、なんとなく頬が緩んでいく。

「おお振り飛車か」「あーこれやばいな」「詰みか? 詰んだ?」など賑やかで実に楽しそうだ。「悔しい。もう一局!」とリベンジマッチを挑む友達。これは縁台将棋だ。ずいぶん久しぶりに見た光景だ。

四寸盤は私が小学5年生の時にサンタクロースにもらったものだ。もう普段の棋譜並べには使っておらず、オブジェかインテリアかといった具合だった。久しぶりに対局に使ってもらって本望だろう。将棋なんて本来「日々取り組む」ものではなく、その場の思いつきで始める娯楽なのだ。自分の向き合い方の方が特殊だったのだ。

そして、やはりルールを教えておいてよかった。こうして気晴らしに遊ぶことができる。いまどきは「将棋ウォーズ」もあり、昔を思い出して遊び始める大人も数多く見てきた。職場の後輩くんもやっているし、長男もそのうち暇つぶしに手を出すかもしれない。

私の子どもたちは「将棋の子」ではなかった。けれど、幼少期にまいた種はひょっこりと芽を出していた。羽生さんが言っていたように、自然なものとして、生活の一部として存在する将棋がそこにあった。

子供たちの遊びはNintendo Switchに移った。駒がしまわれ、盤はまたオブジェかインテリアかという位置に戻った。それでいいのだ、と私は思った。

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