棋士たちのサバイバル(上)

新年度。春光うららかにして若葉萌ゆる季節。棋士たちも決意を新たにしているだろうか。

私は今年もある一人の棋士を応援している。タイトルに挑戦するでもなく、ABEMAトーナメントの指名を受けるでもなく、地道に勝ち星を積み重ねる中年棋士。通算413勝403敗、勝率.506。その昔、彼は「モウくん」と呼ばれていた。

川上猛(かわかみたけし)七段
一九七二年、東京都足立区出身。平野広吉七段門下。一九九三年プロデビュー。実力者でありながらC級2組で三度目の降級点を取りフリークラスに降級してしまった。今期は復調気配。順位戦復帰の可能性を残している。

先崎学『将棋指しの腹のうち』(文藝春秋、2020)70頁

手合係

川上七段と出会ったのは約30年前、場所は東京将棋会館道場。私は小学生。川上七段は10代後半の奨励会員で、手合係のアルバイトをやっていた。

ほかの手合係は彼を「モウくん」と呼んでいた。穏やかで、ひとの話を聞いてフフフと静かに笑い、出しゃばったところはない。聞けば、中学生名人を獲って奨励会に入った有望株だという。

私が道場通いをやめてしばらくたったころ、モウくんは三段リーグを1期で突破し、20歳でプロデビューした。翌年には囲碁将棋チャンネルの「銀河戦」で準優勝し、周囲を驚かせる。

私は高校に進学して将棋部に入った。モウくん改め川上四段の棋譜を見つけると嬉しくなってよく並べたものだ。NHK杯に出てくればテレビの前に正座して応援した。居飛車も振り飛車も指し、器用で切れ味のいい将棋だなという印象を持っていた。

20年、40歳

デビューから15年間、川上七段は順調に勝っていた。10以上の勝ち越しをする年もあった。竜王戦のクラスも3組まで上げた。

ただ気がかりなのは順位戦の昇級争いに絡めないことだった。序盤で星を落とし、早々に来期の順位争いになってしまう。やがて昇級候補に挙げられることも減っていった。

そこからしばらく、私は川上七段の動向に気を留めなかった。大学を卒業し、働き始め、結婚して子供が誕生し、あまり将棋界の情報を追わなくなっていた。

気がつけば川上七段はフリークラスにいた。記録を見ると2008年度から負け越しに転じ、2010~2012年度はいずれも10以上の負け越し。考えられない不調である。2011、2012年度と続けて降級点をとり、C級2組から落ちた。デビューからちょうど20年、40歳。あっという間の出来事だった。

再起の兆し

私は当時の将棋を見ていない。なぜ急に成績が下降したのかも分からない。誰にも訪れる年齢の壁なのかもしれないし、流行戦法への対応がうまくいかなかったのかもしれない。川上七段の気持ちも分からない。その心境を語る記事には出会っていない。

しかしフリークラスで戦うようになってから川上七段は踏ん張り始めた。成績の推移は以下のとおりである。

年度 勝敗 勝率
2006 18-13 .580
2007 23-12 .657 15年目、35歳
2008 13-19 .406 負け越しに転じる
2009 13-15 .464
2010 7-17 .291
2011 6-19 .240 2つ目の降級点
2012 8-19 .296 20年目、40歳。3つ目の降級点。フリークラスへ
2013 9-10 .473
2014 11-10 .523  7年ぶりの勝ち越し
2015 15-10 .600
2016 7-12 .368
2017 9-12 .428 25年目、45歳
2018 13-9 .590
(日本将棋連盟公式サイト「年度別成績」より抜粋して一覧化した)

一進一退。派手な成果はない。だが勝率を上げて所定の成績に達すればフリークラスから順位戦に戻ることができる。そして2019年度も終わろうかというころ、川上七段はついに大一番を迎えたのである。

(続く)



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