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棋聖、藤井聡太(上)

藤井聡太棋聖に渡辺明名人が挑戦する第92期ヒューリック杯棋聖戦五番勝負は、6月6日(日)に第1局が行われた。

棋聖戦は1962年に創設された棋戦であるが、「棋聖」という呼称は主催者の造語ではない。将棋界では幕末の棋士天野宗歩(あまの・そうふ/そうほ)の異名として知られている。

江戸時代にあって、将棋家元の生まれではない宗歩が名人位に就くことはなかった。しかし「実力十三段」とも言われるその棋譜は時代を超えて現代にまで伝わっている。一度その棋譜を並べた者であれば、宗歩の名手「遠見の角」を折に触れ思い出す。囲碁でいえば『天地明察』の本因坊道策、『ヒカルの碁』の本因坊秀策のような棋士だと思っていただければよい。

その由緒正しき「棋聖」位を争う五番勝負は、前期と立場を入れ替え「名人」渡辺明がリターンマッチを挑む形となった。両者の対戦成績は藤井の5勝1敗。ライトな将棋ファンなら天才藤井聡太の防衛と予想することだろう。だがコアなファンはおそらく違う。この勝負は互角と見たはずだ。

まず藤井について見ると、最近の調子が気になる。昨夏の二冠奪取の後、秋の王将リーグ3連敗が意外なつまずきであったが、その後高校中退を決意すると怒涛の進撃を再開。半年間負け知らずの19連勝を記録した。ところが5月6日の王座戦と6月3日のB級1組順位戦に敗れてしまい、やや「勝ち疲れ」の様子が見えたところで初防衛戦を迎えることとなったのである。

初防衛戦というのはなかなか難しいもので、あの羽生善治でさえ防衛に失敗している。これまで多数の栄誉を勝ち取ってきた藤井が、初めて守る立場に置かれるのだ。しかも6月末には王位戦七番勝負も始まる。挑戦者は豊島将之竜王で、過去の対戦成績は1勝6敗と大きな負け越し。ほかにも竜王戦や叡王戦の挑戦、順位戦の昇級など期待されることばかりで、棋聖戦だけ勝てばよいわけではない。守りの心理、周囲の期待過剰、対局過多など、戦うべき相手が多い状況だ。

他方の渡辺。保持しているタイトルの防衛戦が3つ続いたが、王将戦を4-2、棋王戦を3-1、名人戦を4-1と、いずれも星2つ以上の差をつけて防衛した。内容面でもはっきりと差をつけて勝った将棋が多かったといえる。王座戦と叡王戦の挑戦者決定トーナメントは敗退したのだが、わりとあっさりした内容であまり執着を感じさせず、ダメージはなさそうに見える。

何より、名人位にある渡辺は順位戦を指す必要がない。王位戦、王座戦、叡王戦、竜王戦はいずれも敗退済み。NHK杯、銀河戦、日本シリーズ、朝日杯はシード棋士として出番待ちであり、目下、すべての力を棋聖戦五番勝負に集中できる状況にある。

思い返せば、昨年は名人戦七番勝負を並行して戦っていた。だが今年は違う。念願の名人位を獲得し、防衛戦も済んだ。通算タイトル獲得数ではあの谷川浩司を超えた。史上4人目の中学生棋士として果たすべき義務はすべてクリアした。そして名人位を早々に防衛したボーナスとして、ささやかな休養と念入りな研究のための時間を得た。久々に何の憂いもなく、純粋な挑戦者として五番勝負に臨むことができる。

今こそ藤井聡太を倒し、"undisputed champion"として君臨する絶好機なのだ。テレビの開幕直前インタビューで、渡辺は以下のように語った。

「始まっちゃえば関係ないですからね。将棋は“密室”でやるので、スポーツみたいにアウェー感は出ないんですよ。僕を応援している人がほとんどいなくても、対局場に入ってしまえばアウェー感、出ないんです。野球とかサッカーだと歓声の数が違うじゃないですか。将棋にはそういうのがないので、『別にいいですよ、全然』という感じです」

「もしもっと遅れていれば自分はとっくにピークを過ぎてどこにもいないかもしれない。そうしたら、ただ彼の活躍を見ているだけという状況になっていたかもしれない。実際は自分がまだこの年齢で、ある程度指せていて自分が対戦できる、それを多くの人が注目して見てくれるというのは、棋士冥利に尽きることですので、それはすごいやりがいとしてエネルギーに変えていきたい」 

AbemaTV「ABEMAヒルズ」及びテレビ朝日系列の直前インタビューより

ヒール上等。渡辺明は意気軒高であった。(つづく)


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