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トランスジェンダーへの「本当の理解」

LGBTQ(そういや最近は+までついたんだっけ?)という思想が、今持てはやされている。
同性愛者がいることなんて公然の事実だし
トランスジェンダーへの理解など、一般民衆には不要である。
クエスチョニング・クィアについては言うまでもない。


日本人の方が「進んでる」

元々この阿呆な啓蒙はキリスト教圏の国から下賜されたありがたいものである。
キリスト教は同性愛者を認めていない。
また、この宗教はアダムとイヴの原罪を根底とした教えなので
身体性別により負うべき義務が決まっている。
なので、キリスト教圏ではジェンダーの問題が一層根深いのである。

日本での「LGB」について

同性愛者は江戸時代頃までは普通に日本社会にいた。
白人様に教えていただくまでもなく
同性愛者との共生は達成済みなのである。
ただ、共生の中で同性愛者を肯定的に見るかどうかは
個人の手に委ねられているというだけに過ぎない。
そのため、白人様よりもさらに上のステージにいた日本人には
「更に同性愛者を受け入れなければならない。誰もが一律に肯定せねば!」と
曲解してしまったのである。
正直、白人様の方がこの点は何周も「遅れている」ので
今更日本人が学ぶものは何もない。

日本での「TQ」について

トランスジェンダー、クエスチョニング及びクィアという言葉は目新しいが
日本には「おカマちゃん」「おナベさん」という概念があり
異性装・同性愛者・性同一性障害という細かな分類はないものの
日本社会では元々その存在が許容されている。
歌舞伎や宝塚歌劇団にみられるように
こと異性装に関しては、非常に肯定的な文化を我々は持っている。

ただ、日本では「女らしさ」「男らしさ」というジェンダーに紐づいた概念が浸透しており
社会で生きていくためには
自身の性別と合致した「らしさ」を一定量持つべきとされてきた。
この点がトランスジェンダーの問題点と混ざり合ったと考えられる。
なおクィア・クエスチョン等は「Q」として別分類されているが
身体のジェンダーを受け入れられないという点からして
根源的な病理は全く同じと私は捉えている。

トランスジェンダーの生きづらさ

さて、なぜトランスジェンダー(以下、前述の通りQ含)は生きづらいのか。
なぜ「らしさ」を身に着けることに苦しみを感じ
異性と認識している同性と同等に扱われることが苦しいのか。
それは平たく言えば、現実の自分と理想の自分の乖離が苦しいからである。

性転換手術という器質的な治療法があり
昨今では戸籍上の性別を性転換手術なしに変更できるという、法的な支援すら実現してきた。
だというのに、彼らの要求はエスカレートしていく一方で
「こんなに理解してくれてありがとう。」
「社会の一員として受け入れてくれてありがとう」
という、御礼の言葉一つない。
まあ…当たり前である。
彼らの苦しみは解決するどころか、こうした「理解」のせいでより深まっているのだ。

トランスジェンダーにとって至上最高の理想は何かといえば
オギャーと生まれた瞬間から、自分のなりたかった性別として存在していることである。
だが、それは出来ない。なので苦しい。
それが彼らの苦悩の根源である。
彼らの「至上最高の理想」はこの世に誕生した時点から絶対に到達出来ないのだが
それ故に彼らは死ぬまで苦しみ続けるのである。

こうして説明すると、凄く可哀想に思えるかもしれない。
だが、これは本来ありふれた悩みなのである。

子供の頃、偉人の伝記を読んだことがあるなら分かるだろうが
なれもしないのに、ナポレオンやナイチンゲールの生き様に心を打たれ
それを目指すこともあっただろう。
もちろん、誰一人としてナポレオンにもナイチンゲールにもなれない。
彼らの生き様に心を打たれたとて、彼らを目指したとて、まず同一人物にはなれないし
今は全く同じことをして「偉業」と讃えられる時代ではない。
百歩譲って、彼らの生き様から学び取った事柄を根底に社会的成功を収めたとしても
彼らほどのインパクトを世界に齎すことが出来る人間はほんの一握りもいない。

トランスジェンダーの苦悩

それでも、ナポレオンやナイチンゲールになれないことを理由に
精神を病む人間は、皆無ではないといえ極少数だろう。
トランスジェンダーもはっきり言うが、それと同等に極小数である。
だが社会が「理解を広めなきゃ」と変な方向にいったせいで
トランスジェンダーの方々は余計に苦しんでいる。

持病を持って生まれた人間が「持病を持たずに生きたかった」と願うことと
トランスジェンダーの人間が「心の性別の身体で生まれたかった」と願うことは
全く同じことであり、トランスジェンダー等と持ち上げるまでもなく
その病理の根源は非常に普遍的、一般的な人間の悩みである。

ただ対処法が持病とトランスジェンダーでは異なる。
持病は医師から言われた通り、病気に対処することで症状を緩和すればいい。
医学において持病への対処は正解がある。

しかしトランスジェンダーは
自分のジェンダーと向き合い
どこを落としどころにして
心身のジェンダー乖離と上手に共生するかが重要なので
この世のどこにも正解はない。
本人にしか正解はわからないし
正解は年を経る毎に変わる可能性もある。
この「その人なりの落としどころ」を見つける作業を
「トランスジェンダーを理解してあげる社会」は阻害している。
「社会が自分を受け入れてくれれば解決するかも?」と本人たちを混乱させ
本来負わなくてよい苦悩を強いているのである。

LGBTQ+への理解は、いらない


もう「トランスジェンダーへの理解を深める」ことをやめていただきたい。

返って、彼らを余計に苦しめている。
「こういう人もいるんだ。フーン」くらいのトーンで終わればそれでよかったのに
彼らに社会の在り方を寄せてあげることを理解だなどと
頭の弱いインテリ風情が余計なことを吹聴するので、みんなが勘違いしてしまった。

トランスジェンダー(Q含)故に苦しんでいる人たちは、しっかりご自身と対話してほしい。
そのために専門家を頼るほか、たくさんの人と現実で会い、人間を知ってほしい。
どういう自分なら良いのか。どう生きていくことで満足できそうか。
それを知っているのは、この世界でただ一人。あなたしかいない。
それを見極めた上で、あなたの事情を理解してくれる人を生涯大事にしてほしい。

TQに何をしてあげるのが正解か、よくわからない人たちは
「トランスジェンダーは心の性別と体の性別が違う人」
「クエスチョニング、クィアは自分の性別を決められない人」
これを読めば十分である。
意味などわからなくてもよい。
「そういう人間もいるんだ。へえ。」とつぶやき、3歩歩いたら忘れてよい。
何ら特別なことはせず、良き人との縁を大切に生きれば、何の問題もない。

社会規模の「理解してあげてる仕草」が
返って深く人々の心に闇を落とし
問題の所在を不明瞭にしている。
LGBTQ「+」などと、また下らないものを付け足し、更に苦しめる対象を広げ、あらゆる人の縁に亀裂を入れようとしており、本当に腹立たしい。
許されざる悪行であるとすら言える。

この不都合な事実を、私はこの記事で広めていきたい。

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