自己紹介 -わたしのこと-
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1970年代の東京生まれ。
現在は東北の雪が多いところで暮らしています。
仕事は主にデザインや撮影の他、プログラムを書いたりしていますが、現在は休職中です。
生い立ち
母子家庭で一人っ子。
幼少期は母と祖母と3人で暮らしていました。子供の頃から苦手なことが多く、人との関わり合いも苦手。一人で遊ぶことが好きでした。
小学校4年生の時に母親が再婚。
「男の人が家にいる」という状況がまず受け入れられず、呼ばれたとき以外はずっと部屋で過ごしていました。
小学校5年生の頃、親が「霊能者」と称する怪しいオバサンと知り合い、以降、カルト的な思想を強要される。近い将来に人類は滅亡し、善い行いをすれば天国のような場所へ行ける。悪い行いをすればサタンの仲間入り。所謂「終末思想」のようなものです。
テレビや漫画は「悪」なので一切禁止。
体を浄化するとされる水を飲まされ、食べてはいけない食品等もありました。なぜかお酒やタバコはOKで、親は飲み放題・吸い放題。小学5年生の自分でも矛盾だらけでした。定期的にお祓いのようなものを受けたり、絵や壺を買って家に飾ったり。
私は宗教を否定はしませんが、お金をたくさん払わされたり、絵や壺を買わないと天国へ行けないっていう考えを受け入れることはできません。
高校1年まで「罰」と称した暴力を日常的に受けていました。殴る・蹴るは日常茶飯事で、真冬に水をかけられたり、パジャマ姿のままドアに鍵をかけての締め出し、ご飯抜きもあたりまえでした。
このままではいつか殺されると思い、高校1年の冬に家出。ずっと会うことを禁止されていた祖母の家で暮らせるようになり、ようやく平穏な日々が訪れます。
初めての心療内科
社会人になってからは何度か就職するものの、職場に馴染めず転職を繰り返す。人と一緒にご飯を食べるのが苦手なため、昼食はいつも食べずに職場近くの公園で一人過ごしたりしていました。
20代後半、不眠と気分の落ち込みがひどくなり、初めて心療内科へ。
発達障害(ASD)と気分障害(うつ病)と診断される。
結婚と別れ~精神科へ通院
2003年、33歳の時に結婚。
妻の実家で暮らすことになり東京を離れる。
3世代の同居に馴染めず、地方特有の閉鎖的な空気感も自分にとっては辛かったです。東京で暮らしていた時よりも調子を崩すことが多くなり、2020年に離婚。
離婚直後に新型コロナウイルスが流行し仕事が全てキャンセルに。この頃はインバウンド向けの台湾版サイトの撮影で東北を回っていたのですが、すべてのスケジュールがキャンセルされ途方に暮れてしまいました。
持続化給付金でなんとか暮らせる状況に。
不眠と気分の落ち込みがひどくなり精神科への通院を開始。
2020年7月、体調が良くなってきたのでアルバイトを始める。本業の仕事の再開がいつになるかわからず、とりあえず家賃分だけでも稼ごうと思い隣町の農家で働く(1日5~6時間程度)。
2020年10月、突然「来週から2か月ぐらい休んでくれ」と言われ、半ば強制的に解雇。コロナ対応休業支援金を申請するため書類を書いてもらおうとするが、事業主の協力が得られず揉めることに。
このことがきっかけで約半年間、通院以外はほとんど家から出られなくなりました。
2021年5月、お金が底をつきそうになったので地元の会社に就職。毎日のように社長からの陰湿な暴言、残業代の未払い等々、耐え切れなくなり3か月で退職。典型的な昭和の社長タイプの人で、見て覚えろ、家で勉強してこい、怒ると怒鳴り散らす、そんなタイプの人でした。私が精神科へ通院していることは面接時に告げていましたが、「どうしてそんなことができないんだ」、「君は会社にとって1円にもならない」、「頭が悪い」、そんなことを毎日のように言われ続けました。今思えば、3ヶ月も我慢しないですぐに辞めるべきでした。
退職~自殺を図り入院
退職後の2021年8月~約9か月間、家から出ることが出来なくなり、病院へ通うことも出来なくなりました。兄弟もいませんし、友人と呼べる人も少ないので、誰とも会わず、誰とも話さず。助けてくれる人が一人もいない状況で、この時が今までで一番つらい時期でした。自分みたいな人間は生きていても何の意味もない、社会から消えてしまいたい、毎日そんなことばかり考えていました。
2022年5月に自殺を図り、通院をしていた精神科専門病院へ入院。医療保護入院(第3項)、救急急性期病棟への入院でした。
退院~現在
3か月間の入院を経て、2022年8月に退院。退院後は自立支援医療制度を利用しながら3週間に1度の通院と、月に一度の訪問看護の他、精神科デイケアにも通っています。精神障害者保健福祉手帳も取得しています。障害の等級は2級です。
服用中のお薬
リフレックス 15mg (NaSSA)
サインバルタ 20mg (SNRI)
ロゼレム 8mg (メラトニン受容体作動薬)
レンドルミン 0.25mg (睡眠導入剤)
Noteで書きたいこと
少し前までは日々の生活の様子をノートに記していましたが、書くのを忘れたり面倒になったりすることもあり、この機会にNoteに切り替えました。
ネットを始めたのが1996年頃で、これまで自分のサイトをいくつも持ち、ブログやSNSも散々やってきましたが、シンプルなNoteが今の自分には合っていると思います。
ここは自分用の「日々の生活の記録」という意味合いが強いかもしれませんが、もしも自分と同じような境遇にある方が、少しでも生きやすく、少しでも辛さや苦しい毎日から良い方向に向かっていただけたら嬉しく思います。
「生きていればきっといいことがある」
よく人から言われがちな言葉ですが、私はこの言葉があまり好きではありません。当事者にしかわからない悩みや苦しみ、つらさがあるからです。
ひとつだけ確かなことは、もしも死んでしまったら
全てが無になってしまうということ。
好きな音楽を聴くこともできなくなり、テレビを見たり、散歩をしたり、暖かな日の光を浴びたり、そんな、ささやかで、穏やかな日常は、もう二度と訪れません。
これから心療内科や精神科への通院を考えている方には、私のこれまでの体験が何かのお役に立てたら幸いです。
精神科は怖い場所ではありません。病院のスタッフの皆さんは、きっと、あなたの味方になってくれます。
好きなこと
映画鑑賞、音楽鑑賞、読書、写真、神社仏閣巡り、掃除、地道な作業等。
音楽はクラシックからメタルまでけっこう幅広いです。日本のアーティストだとX(特にhideさんとYOSHIKIさん)、LUNASEA、INORAN、J、松崎ナオ、Salyu、鬼束ちひろ、真天地開闢集団 ジグザグ、等を良く聞いています。
Xは初めてライブへ行ったのが1987年頃で、hideさんやPATAさんが加入した直後でした。場所は目黒のLIVE STATIONだったと思います。Xの影響でV系はかなり幅広く聞きます。BUCK-TICKやDEAD END、黒夢、ラルク、Laputa、ROUAGE、DIR EN GREY等も好きです。
苦手なこと・困りごと
人が多いところが苦手
初対面の人とどう接してよいのかわからない
人と一緒にご飯を食べること
人前で話をすること
会話が続かないことが多い
急な予定変更や突発的な出来事に対応できない
計画的に物事を進められない
男の人が苦手
家を出る1時間前には起きないと間に合わない
買ったものをお店に置き忘れる
自分だけの「こだわり」があったりします
色々なものがまっすぐに置いていないと嫌(家具や物全般)
持ち物すべてに置き場所が決まっている
毎日のルーティーンが決まっている
出掛ける前の持ち物確認と戸締りの確認は最低でも3回が普通
水回りはいつもピカピカじゃないと嫌
いつも同じレジで会計を済ませる
道順を変えるととても不安なのでいつも同じルートを使う
他にもいろいろありますが、こだわりに関しては「自分の決まり事」の一つに過ぎず、それで何か困っているとか、止めたほうがいいんじゃないかとか、そういうことを思ったことはあまりありません。誰かに迷惑をかけるわけではないですし、好きだからいつもやっているという感覚です。
一時期は、朝からトイレとお風呂場の掃除を毎日したり、買い物へ行くだけなのに火事が心配でガスの元栓を閉めたり家中のコンセントを全部抜いたり、玄関の鍵を閉めたかの確認に何度も車と玄関を行ったり来たり。今はそこまですることはなくなり、例えばトイレの掃除などは週に1回です。
その他、何かに没頭すると、ご飯も食べず寝ないで続けてしまうところがあります。今は特にゲーム等は控えるようにしています。
気に入ったものはずっと同じものを使い続けます。シャンプーとか洗顔とか洗剤等は特にそうです。
食べることに関する興味があまりありません。今日はお寿司が食べたいとかお肉が食べたいとか、そういう食に対する欲求があまりありません。毎日同じものを食べていても大丈夫ですし、1日ぐらい何も食べなくても平気だったりします。退院後は訪問看護の際に食事面のアドバイスなどもしていただいてます。
最後まで読んでいただきありがとうございます。