北海道滞在、そして登山
ついにやってきた、喜茂別のライダーハウス「雪月花廊」。
(ライダーハウスとは、北海道にたくさんあるバイクや自転車など旅人のための安宿である。
雑魚寝が基本で、素泊まり一泊数百円くらいで泊まれる。)
(写真は5年前に自転車で訪れた時のもの)
現在この宿は、廊主である通称「かかさん」が切り盛りされていて、3人のお子さんがいる。
ここに来るといつも、「あっき~おかえり~」とかかさんが笑顔で迎えてくれる。
5年前の5月、自転車で日本一周をしている際に初めて訪れた時、長男のしんちゃんが小学4年生だった。
かわいらしい素朴さがありながらも、どこか大人びた落ち着きのある少年で、今は中学3年の好青年となっている。
長女のふうちゃんは、当時小学校に入学したての元気でかわいらしい女の子。
末っ子のゆうくんは保育園通いで個性が光りまくるリアルクレヨンしんちゃん。
自転車旅行で訪れた5年前は一週間後に近くで人と会う約束をしていたので、まるまる一週間滞在させてもらうことにした。
その間ヒマなので、薪割りなど少しだけ宿の手伝いもさせてもらいながら。
陽が傾き始めて空気が少しひんやりした頃にしんちゃんが学校から帰ってくる。
長い廊下の端っこにあるライダーハウスで寝転んでいると、キックボードが板張りの床の上をゴロゴロと走る音が近づいてくる。
その音が部屋の前で止まり、「あっきー、野球しよ。」と呼ぶしんちゃんの声に「おう」と応える。
「なんやろ、この、気恥ずかしさのようなものが混じった嬉しさは、、、」
こんな気持ちを感じたのはずいぶん久しぶりの事のような気がした。
久しぶりすぎて、どんな時に感じた気持ちなのかもはっきりと思いだせなかった。
いま思うとそれは、友達の概念も無いような幼い頃に初めてそう呼べる人が出来た時の照れくさい気持ちに近かった気がする。
そのうち私は、夕方にかけられる「あっきー、野球しよ。」という一言を楽しみに待つようになった。
僕は野球少年に付き合う青年を装いながら、内心は彼とキャッチボールをする事を1日の最大の楽しみにしていたのだ。
繰り返すが、私は当時25歳で、しんちゃんは9歳だった。
しかし友情に年齢は関係ないのだ。
家の庭が校庭なので、野球をする場所には事欠かない。
タンポポが咲き乱れるグラウンドで日が暮れるまで一緒に野球をしていた。
晩御飯を食べてお風呂に入ると、なにをしたわけでもないのに充実感にあふれた一日が終わる。
次の日も、またその次の日もそんな風にして過ごしていく。
それまで、人生の幸福感や満足感とは大きな仕事や出世など複雑で曲がりくねった道の先にある手に入れづらいものだと漠然とイメージしていた。
会社を辞めて自転車で日本一周をしてみたのも、そんな息苦しさから逃れるためだったのかもしれない。
しかしこの生活はどうだ。
清々しい空気の中で、のんびりと少しだけ宿の手伝いをする。
夕方になって、「あっきー、野球しよ。」の声に誘われて運動をしながら世代を超えた交流を深める。
今思い出してもぼんやりと春霞がかかったような幸福感に満ちた光景だ。
というか、あの頃の夕方に撮った写真はなぜかすべて春霞がかかったようにぼんやりしている、、、
昼間に撮った写真はそんなことないのに。
とにかくそれ以来、この雪月花廊に来てしんちゃんと野球をすることが私の毎年の楽しみとなっていた。
それが仕事をするエネルギーにもなっているのだ。
大体、遊びに行くのは1年ごとになるので、「今年は突然敬語を使われ出すのでは!?」というのが毎年訪問時の懸案事項となる。
中学3年になった今年も敬語は使われずセーフだった。
かかさんのfecebookによると、5月末にしんちゃんが宿近くにある標高1107メートルの尻別岳に一人で登ったということだった。
なにやらそれが物足りなかったらしく、あたり一帯からひときわそびえて見える羊蹄山(ようていざん)の登頂を画策しているのだとか。
(羊蹄山は標高1898メートルの成層火山で日本百名山の一つに数えられる。)
一人きりで行かせるのは心配だということで、同行者を募るような投稿内容を京都で見ていてソワソワ、、、
「一緒に行きてぇなぁ、、、」と思っていた私である。
そして一年ぶりの再会を果たした。
かかさんから、次の土曜日は野球の練習試合がある事を聞いていた。
行けるとしたら、日曜日しかなかったが、かかさんも日曜日のしんちゃんの予定はわからないということだった。
夜になってしんちゃんが中学の部活から帰宅した。
挨拶もそこそこに、次の日曜日の予定を訪ねると、特に無いということだった。
「じゃあ羊蹄山登りに行こ!」とすかさず言う私に、「うん。」という返事。
まったく、我ながらどっちが年上かわからん。
そんなわけで、宿に到着したのが水曜日。
日曜日の登山までゆっくりと過ごすことにした。
晴れたらいいな。
つづく。